74 アマンダとの約束
買い物を終えて戻って来たルルは、門番に声をかけ、警備の者に購入品をあらためてもらった。
門番のおじさんは「ルルさんなら顔パスでいいのに」と笑うが、家人の安全を預かる以上、決まりを曲げるようなことはしない。
「あ、そうだ。これ、よかったら休憩のときに皆で食べて」
少し多めに買っておいたお菓子を、ルルは門番のおじさんに手渡した。
門のそばに駐車していた小型の車に乗り込み、静かにエンジンをかける。
背後で、警備の男たちが、「ルルさん、やっぱり美人だよなあ」「俺、さっき話しちゃった」などと浮かれた声が上がる。だが、その言葉は走り去るエンジン音に紛れ、ルルの耳には届かなかった。
リリアーナ一家が暮らすこの邸宅の敷地は広大で、屋内外の移動には車を使うことが多い。
離れに近づくにつれて樹木が増え、周囲は次第に森の様相を呈していく。
やがて目的地が近づいたあたりで、ルルは車を止めた。近くに人影がないことを確かめてから、「エマ。ちょっといいか」と静かに声をかける。
次の瞬間、ルルの足元の影から、頭にリボンをつけたエマがそっと顔を出した。
「今日の昼食会の分、先に教えてほしい」
ルルがそう告げると、エマはすでに準備していた様子で、一枚の紙を差し出した。
「さすが、エマ。抜かりがないな。あたいは、今からこれを読ませてもらう。エマは戻って、お嬢のそばにいてくれ」
エマはこくんと頷き、影の中へすっと身を沈めるようにして消えた。
エマの報告書を読み始めたルルは、行を追うごとに、苦虫を噛み潰したような表情になっていく。
またリリアーナに嫌味を言ったのか。
リリアーナは、大旦那様に嫌われている。
旦那様はかつて、親の決めた婚約を一方的に破棄したことがある。
相手を捨て、リリアーナの生母を正式な妻に迎えようとしたのだ。
しかし、その望みは大旦那様の激しい反対と、いくつもの複雑な事情によって、ついに果たされることはなかった。婚約破棄に伴う高額な賠償金と、それにまつわる醜聞に心を痛めた大奥様は、やがて病の床につき、ほどなくこの世を去った。
大旦那様は、それらすべてをリリアーナのせいだと決めつけ、今なお深く恨んでいるのだ。
その理不尽さを分かっていても、今のあたいじゃ、どうにもならない。嫌味だらけの昼食会に付き添ってやることすらできなかった。
「はあ……アマンダさん。あたしは、リリアーナの役に立っているのかな……」
ふとこぼれた弱気な独り言は、アマンダと別れたあの日の記憶を呼び起こす。
ベッドの上には、きちんと畳まれた侍女の制服が置かれている。ドレッサーの中に残っていた化粧品をポーチに収めているとき、ドアが静かに開き、少し背が伸びた後輩侍女が部屋へ入って来た。
「ノックもなしに入ってくるなんて、そんな不作法、教えた覚えはないわよ、ルル」
「今日、出てくって本当なのかよ」
「あらあら、田舎言葉は抜けたんじゃなかったの? 昔に戻っているわよ」
「ふん。一番世話になった先輩侍女が辞めていなくなっちまうんだ、気の一つくらい抜けるさ」
この家に来てからの三年間、あたいはこの人から本当にいろんなことを教わった。文字の読み書きから、言葉遣いに礼儀作法まで。そのどれもが、あたいを形づくっている。本当に感謝してもしきれない。なのに、その人が、今日、いなくなってしまう。
「奥様がお亡くなりになって、お嬢様には支えが必要なの。ルル、お嬢様のことを頼んだわよ」
「……だったら、アマンダもいろよ。辞めるの、やめりゃいいじゃないか」
思わず本音が口をついて出た。アマンダは困ったように眉をひそめる。
「そういうわけにはいかないのよ。お嬢様は、これから旦那様が住む王都に移られるわ。でも、私には病気がちな母がいるから、この街から離れるわけにはいかないの」
くそ。引き留めたいのに、言葉が出てこない……。
あたいが唇をぎゅっと噛みしめていると、アマンダの手が、そっとあたいの肩に置かれた。
「王都の家は、ここよりもっと大きいから、召使いもたくさんいるわ。言葉遣いと態度に気を付けて、周りの人たちと衝突しないよう、うまく立ち回りなさい。それは、あなたのためだけじゃない。お嬢様のためにもなることよ」
「うん……」
「それと、あなたは覚えがいいんだから、勉強は続けなさい。執事のパルマさんにお願いしておいたから、面倒をみてくださるわ」
「……うん」
「私が教えたエイドスを扱う術も、いつか役に立つ日がくるかもしれないわ。練習は続けてね」
あれ、なんだろ。アマンダの顔の輪郭が、少しずつぼやけていく。
「体を大事にするのよ。あなたなら、いつか必ず、幸せになれるわ」
気がついたときには、あたいはアマンダの胸の中で、声を上げて泣いていた。
大勢の者に見送られて、アマンダはお屋敷を後にし、旅立っていった。
あたいは、その後ろ姿を見つめながら、最後に交わした約束を思い出す。
「なあ。アマンダさんに受けた恩はどうしたらいい?」
「恩? そんなもの返す必要は――」
そこで言葉を一旦切ったアマンダが、にっと人の悪い笑みを浮かべた。
「そうねえ。ルルにはたくさんいいことをしたから――もし、私が困ったときには力を貸してもらおうかしら」
「わかった! あたい、これから勉強も魔法も、もっともっと頑張って、役に立つ女になる。だから、もし、アマンダさんが困って大変なときは、あたいが力を貸すから」
「ふふ。じゃあ、約束よ」
アマンダと小指をからませて、くすりと笑った。
そのとき指先に感じた温かさを、あたいはずっと忘れないと心の中で誓った。
運転席で、自分の小指をぼんやりと見つめていたルルは、ひとつ深呼吸をして、離れへ向かって車を走らせた。
軽やかなハンドルさばきで裏口近くに車を停めると、荷物を抱えて車から降りた。
「お帰りなさい、ルル」
「ルル先輩。荷物、持つっす」
車の音を聞きつけたリリアーナとポーリンが、裏口から姿を見せる。
ルルはポーリンに荷物を預けると、リリアーナに向き直った。
「昼食会は、どうだった?」
「あ、えっと……今日はおじい様の機嫌がよかったみたいで、いつもより和やかな昼食会だったわ」
「へえ、珍しいな。……じゃあ、お嬢は楽しかったかい?」
一拍おいて、リリアーナが「うん」と答え、ルルに向かって笑ってみせる。
嘘つき。目のふちが赤いじゃないか。
子供の頃は、大旦那様に会うたびに、あたいの膝に顔を埋めて大泣きしていたくせに。
でも、大人になった今は、無理をしてでも笑おうとするんだな。
リリアーナの成長を感じて、嬉しくもあり、少し寂しくもあって、ルルの胸には複雑な気持ちが広がった。
「お嬢さまー。ルル先輩が買ってきたお菓子は、夕食のデザートにしますかあ?」
「うーん。ルルも帰ってきたし、せっかくだから、みんなでお茶にしましょう」
「やったー。さすがお嬢さまー」
嬉しさを隠しきれずに尻尾を左右に揺らすポーリンを見て、リリアーナが笑う。その横顔を眺めながら、ルルは心の中でそっとつぶやいた。
この笑顔を守るために、あたいが出来ることは、すべてやる。
その一つが、コディに話をつけておいた“アレ”だ。
うまく持ち出せれば、この先の保険どころか、最後の切り札になる……。
そんなことを考えていたら、リリアーナに手を引っ張られた。
「ほら、ルル。そんな所に立ってないで、早く入りましょう」
「わかった、わかった」
裏口には、二人を待ちかねるように、ポーリンとエリンが顔を出している。
ルルは、かすかに口元をゆるめると、屋敷の中へ足を踏み入れた。




