73 ルルの赤い瞳
翌朝。王都のとある屋敷にて――。
本邸とは別に建つ、こじんまりとした二階建ての離れの玄関前で、メイド服をまとった少女が掃き掃除をしていた。
離れの前には、小さな花壇と芝生の庭があり、朝の風に葉っぱがかすかに揺れている。
その少女は、丸い耳と、くりっとした大きな目をした獣人だ。小柄で手足も少し短いせいか、幼く見られがちだが、実年齢は今年で二十歳になる。
鼻歌を口ずさみ、そのリズムに合わせるように、リスのようにふっくらとした尻尾が楽しげに揺れている。
そのとき、自分を呼ぶ声がして、少女はぱっと顔を上げる。
いつの間にか、仕えているお嬢さまとその侍女が、庭先に立っていた。
「お嬢さまー。ルルせんぱーい! 会いたかったっすー」
しばらく留守にしていたリリアーナとルルの姿を見つけて、少女は一目散に駆け出した。
「ただいま、ポーリン」
リリアーナは、目の前までやってきたポーリンの手を取って、その場でくるりと回転させる。
「え?」と驚くポーリンを、そのふさふさの尻尾ごと、背後からぎゅっと抱きしめた。
「く、くすぐったいっす。お嬢さまー」
「だってえ、ポーリンの尻尾ふわふわで気持ちいいんだもん」
「そんことしてると、またルル先輩が焼きもち焼くっす」
「だーれが焼きもち焼くだ、こら」
ルルがポーリンの頭を、ばしんと軽く叩く。
「いたっ……。ルル先輩はツンデレだから、お嬢さまがあたしの尻尾をぎゅっとすると、いっつも叩くじゃないっすか」
涙目でポーリンが抗議すると、
「そうかあ?」
ルルは頬をかきながら、わざとらしく違う方向を見る。
「でも、焼きもちっていうなら、あっちだろ」
「え?」
ルルの指さした先へリリアーナが視線を向けると、目に涙をいっぱいにためたエリンが立っていた。
まるで、恋人の浮気現場を目撃してしまったかのように、悲痛な顔で。
「ち、違うの。エリン、これは、ただの挨拶だから」
「にゃーーん(ぜったいうそ)」
弁解するリリアーナの横を全速力で駆け抜け、エリンは家の中へと飛び込んでいった。
「待ってー、エリン」
リリアーナがエリンを追いかけていってしまったので、庭にはルルとポーリンの二人だけが残された。
「どうだ。うちらがしばらく留守してたって、気づかれてないか?」
「大丈夫っす。でも、一度、お屋敷の坊ちゃまが、お嬢さまと遊びたいって、この離れに侵入しようとして……それを、護衛役の方が止めてくれて、事なきを得たんっす」
「そうか」
坊ちゃんの護衛役……あの人がいたなら、大事にはなってないな。
あの人が、あのままお嬢の護衛をしてくれていたら、よかったのに……。
去ってしまった、かつての仲間のことを思い出して、ルルは小さくため息をついた。
「そうだ、ポーリン。今日の昼食会には、お前が同行しな」
「え、あたし? ルル先輩じゃないんすか?」
「大旦那様は、あたいのこと嫌っているからな。ついて行くと、お嬢が困ることになる」
「なーるほど。お嬢さまの立場が悪くならないよう気を利かすなんて、やっぱり、ルル先輩は、お嬢様ラブっすね」
ポーリンが目をキラキラさせて言うので、またも頭をばしんと叩かれた。
「アホなこと言ってんじゃない。あたいは、お嬢に頼まれた買い出しに行ってくるから、あとはしっかり頼んだぞ」
「はいっす!」
ポーリンがへたくそな敬礼をするので、ルルは思わず吹き出してしまった。
◆◆◆
ルルは、一般エリアにある小さな商店街にやってきた。
そこはダウンタウンに近いこともあり、様々な種族が店を構えている。コウモリ族のルルにとっては、自分の瞳を気にせず買い物ができる、気楽な場所だった。
通りには、おいしいと評判の焼き菓子の店や、魔法関連の書籍が充実した本屋、反対に恋愛小説しかない本屋など、店主の個性が光る店が多い。そのなかでも、ハンドメイド好きが集う小さな手芸店は、ルルのお気に入りだ。
エマに作ると約束したドレッサーの材料を買うため、ルルは手芸店に入った。店の一角で編み物のワークショップが開かれていて、店内はいつも以上ににぎやかだった。
必要な物を素早く選んでレジへ向かう。顔なじみの店主に「あら、ルルちゃん、久し振りねえ。最近、顔見ないから心配してたのよ」と声をかけられたので、当たり障りのない近況だけ話してから店を出た。
「えっと、お嬢に頼まれたのは……」
リリアーナから渡された小さな紙に視線を落とす。そこには、お菓子と紅茶の名前が書いてある。どれもルルとポーリンが好きなものばかりだ。
まったく、お人よしなんだよ、リリアーナは。自分の欲しいものは後回しで、使用人の好きな物を頼むなんてさ。
ルルがメモから顔を上げたそのとき、前から歩いてきた男性とぶつかった。
相手は大量の本を抱えていたせいでルルに気がつかず、腕の中の本を辺り一面にぶちまけてしまう。
「わ、わわっ。大切な本が」
慌てる男性を手伝って、ルルもしゃがんで本を拾う。
「ぶつかってしまい、すみませんでした」
ルルが少しかしこまった声で本を手渡したが、返事はない。
男性は、本を受け取ったまま、じっとルルを見つめている。
まあ、あたいの目はコウモリ族の中でも珍しくて、瞳孔がちょっと赤い。
だとしても、見すぎだろ、こいつ。
「では、失礼します」
一応そう声をかけてから、ルルはさっさとその場を立ち去った。
どんくさそうな男だね。文官服を着てたから頭はいいんだろうけど、あれじゃ出世は無理だな。
通行人は、歩道の真ん中で立ったまま微動だにしない男性を、あからさまに邪魔そうな目で見ながら通り過ぎていく。
そこへ、スーツを着た白髪の老人がやって来た。
「お待たせしました、坊ちゃま。車はすぐそこに――坊ちゃま?」
「あ、ああ。ヨアヒムか」
まるで夢から覚めたような顔で、マックスが目を瞬かせる。
ヨアヒムの後ろにいた運転手がマックスから本を受け取り、三人は車へ向かった。
車が走り出し、ヨアヒムがあれこれと話しかけるが、マックスの耳には入らない。
あの女性の、あの目。綺麗だった。あんな印象的な目、見たことがない。
まるで磁石で引き寄せられたみたいに、目が離せなかった……。
車窓の外を流れていく景色を眺めながら、マックスは心の中でつぶやいた。
また、彼女に会えるだろうか。
名門オステルマン家の嫡男にして、周囲から魔方陣の天才と呼ばれる彼が、初めて一人の女性に強く心を奪われた瞬間だった。




