70 ユリウスの反省会
拓海が自室で眠りにつき、嶌村家の台所には、ようやく静けさが戻ってきた。
食器を洗い終えたシンクからは、かすかに洗剤の香りが漂ってくる。
テーブルをはさんで、ユリウスとザックによる、二人だけの反省会が始まろうとしていた。
「では、ユリウス様。今日、何がまずかったか、分かっていますね?」
腕を組んだザックが、目尻をわずかにつり上げて、俺を見据える。
これまでの経験上、こういう顔をしているときのザックは、説教が長い。
その対策に、頭の中で最適解を高速で弾きだす。反論しない。反省を述べる。態度で示す。
まあ、いつもの三本柱なんだけどな……。
「……ザックのアドバイスに耳を貸さず、自分の思い込みだけで料理を作ったことです」
「その通り。料理をするときの、ユリウス様の悪い癖なんですよ。これに懲りたら、もう少し落ち着いて料理に向き合うこと。それを心掛けてください。いいですね」
「……分かりました。善処します」
俺ができるだけ神妙な顔で答えると、ザックの眉間に寄っていた皺も、すぐに元どおりになった。
よかった。今夜の説教は、これでお開きになりそうだ。そう高をくくって、椅子から腰を浮かせかけた、そのときだった。
ザックが突然、ばんとテーブルを叩いた。
な、なんだ。心臓が一瞬だけ跳ね上がる。
「次は、本日一番のやらかしについてです!」
「やらかし? そんなのあったっけ?」
俺のきょとんとした顔を見て、ザックがわざとらしく大きなため息をついてみせた。
「拓海様の恋路を、台無しにしかけたことです」
「恋路? なんだよそれ。単に、学校の先輩を連れてきただけだろう」
俺が、思わず噴き出しそうになっていると、
「分かっていないのはユリウス様だけです。いいですか、拓海様の初恋なんです。応援しないでどうするんです」
あまりにもきっぱりと言い切られて、俺は少し動揺した。
「な、なんだよ。ザック、お前、あの子を初めて見たときは、想像していたのと違うって顔をしてたくせに」
「うっ。それは認めます……でも、話をしてみたら、すごくいい子だったんです」
「働き者の手をしてる、なーんて褒められていたもんな、うちのザックさんは」
「ええ、そうですよ。それに比べて、ユリウス様は……」
ザックが、どこか気の毒そうな目をして俺を見てきた。
「なんだ、その目。やめろ。あっちが勝手に、俺を毛嫌いしたんだろ」
「うーん。確かに、そんな感じでしたね。でも、それってどうしてですかね?
とんかつはおいしくなかったけど、それだけであんなに嫌うって……。ユリウス様、何か他に心当たりはありませんか?」
「理由? そんなの俺に分かるわけ――あ!」
そんなもん、あるわけないと思っていた。
でも、あった。ひとつだけ、心当たりが……。
「なんです。何があるんです」
「あ、うん……実は、玄関で傷の確認をしようとした時、ちょっとだけ、あの子の首に触ったんだ」
「え! 触った? 首に? 本当ですか?」
ザックが心底驚いた顔をするので、俺は慌てて弁解する。
「触ったっていっても、ちょっとだ、ちょっと。ほんの少し指がかすっただけだ。そんな大ごとじゃない」
「ユリウス様!」
ザックのいつになく厳しい声が飛んできて、思わず、俺はびくっとする。
「自覚がないみたいですけど、ユリウス様のそれ、完全にセクハラですからね」
「はあ? セクハラ? なに言ってるんだ。そんなの、俺がするわけないだろ」
「甘い! 甘いですよ。今日の杉咲先輩の様子からして、あの子はそう感じたんです。初めて訪れた友達の家で、知らない外国人からセクハラ被害にあった、って。だから、あの態度だったんです」
「なあ、それって極端すぎないか? お前が考えるほど、大げさなことじゃないんだ」
「いいえ。加害者と被害者とでは、受け取り方がまるで違うんです!」
ザックに、びしっと指を突きつけられ、俺は言葉を失った。
「今度、杉咲先輩が来るときは、ちゃんと謝らないとだめですからね。これは、もう確定事項ですよ」
鼻息も荒く言い切るザックを前に、俺は、どうやって誤解を解いたものかと、本気で頭を抱える。
そして、この出来事こそが、後々までユリウスが杉咲に頭が上がらなくなる原因となるのだった。




