7 人間界の休日
土曜日の朝。
「本当に、おばあちゃんに会うんですか、ユリウスさん」
「はい。私とザックは、拓海様と一緒に生活するのですから、きちんとご挨拶しませんと」
「で、でも、見ず知らずの、しかも魔界の人と一緒に生活してるなんて知ったら、おばあちゃん驚きすぎて、気絶しちゃうかもぉーー」
楽しく家を出発した拓海だったが、「最初は病院に行きたいです」とユリウスが告げた一言に、びっくり仰天する。
それもそのはず、拓海が立てた予定の中に、ユリウスと祖母を会わせるという項目は存在しない。いや、そんな展開は、想定すらしていなかったのだ。
「大丈夫ですよ、拓海さまー。俺、こう見えても、お年寄りと子供には好かれるたちなんです」
何故か力こぶを誇示するザックに、拓海は「ははは」と乾いた笑いを返すしかなかった。
「またの機会に」「いきなりは、ちょっと」「僕、他に行きたいところが……」
拓海の必死の抵抗も虚しく、三人は、拓海の祖母が入院している病院にやって来た。受付で面会の手続きを済ませ、病室へ向かう。
「こんなの、絶対上手くいくはずない……あー、もう、どうしたら」
廊下を歩きながら、拓海は悲痛な顔でぶつぶつとこぼす。
そんな拓海の目の前で、ユリウスが「失礼します」と一声かけて、病室に足を踏み入れた。
「ぼ、僕、忘れ物したみたいで……取ってきます!!」
踵を返して逃げ出そうとする拓海の前に、ザックが立ち塞がる。
「大丈夫ですよ。ユリウス様に任せておけば」
「で、でも……」
ザックに背中を押されて、拓海も病室の中へ入る
ユリウス一行が近づくと、四人部屋のいちばん奥、窓際のベッドで本を読んでいた老婦人が顔を上げた。
ああ、万事休す。助けて、神様――――!!!
拓海は心の中で叫ぶ。
だけど――。
「まあ、お待ちしていました、ユリウスさん」
「初めまして、初音さん。お加減はいかがですか?」
「え? ええー。どういうこと? 二人は知り合いなの?」
祖母とにこやかに挨拶を交わすユリウスに、拓海は驚愕し、口をあんぐりと開けたまま、その場に立ち尽くした。
四人は病室から談話室へと場所を移した。
すでに談話室にいた患者とその家族は、入室してきたユリウスたちが気になるのか、ちらちらと視線を向けてくる。
「いやー、拓海さ、じゃなくて、拓海君の唐揚げが本当に美味しくて、作り方教えてもらったんですよ」
「あら、本当に? ザックさんはお料理なさるの?」
「はい。料理もと家事も、生きるための基本ですから、一通りできます。いえ、むしろ得意かも。ははは。だから、入院中の拓海さ、拓海君のお世話は、俺に任せてください」
「まあ、頼もしい」
出会って間もないというのに、ザックと初音は、すっかり打ち解けた様子で楽しそうに会話を弾ませていた。
「ユリウスさん、一体どうなっているんですか?」
拓海は、二人に聞こえないよう、こそっと尋ねる。
「私は、拓海様の亡き父君が語学留学でホームステイしていた家の人間。ザックは私の従弟です。そして、先月、日本での滞在を希望する手紙が嶌村家に届き、初音さんが了承していた。そういう設定になっています」
「そ、そんな都合のいい話……無理です。絶対、信じるわけないですって!」
「そうでしょうか。初音さんは、微塵も疑っていないと思いますよ」
ユリウスがそう断言しても、拓海はまだ不安が拭えないようで、そわそわと落ち着きがない。
だが、拓海の心配は杞憂だ。
何故なら、初音の記憶は、予め改ざんしてある。俺がこちらに送り込まれるのを見越して、必要な準備はすべて整えられていた。ブラッドフォード卿は、いつだって用意周到なのだ。
拓海はきっと嫌悪するだろうが、俺とザックが人間界で暮らすには、どうしても必要な事だ。それに、この老婦人も、自分に代わりに孫の世話をする者を得たのだから、お互い、イーブンだろう。
人間の記憶を少々いじることぐらい、取るに足らないことだ。
「ねえ、拓海。皆さんに、飲み物買ってきてくれない?」
「あ、そうだね。僕、売店に行ってくるよ」
「拓海さ、うおっほん。拓海君、俺も行きます」
拓海とザックは、連れ立って売店へ向かった。
「ユリウスさん。せっかく日本に来てくださったのに、私が不在で、本当にすみませんね」
「そんな、とんでもありません。拓海君もよくしてくれますし、家に置いていただけて、感謝しています」
ユリウスが微笑むと、談話室にいた女性たちから、ほうっと吐息がもれた。
「私が入院したせいで、拓海が独りになってしまうと、すごく心配していたの。でも、お二人がうちに住んでくれて、本当に心強いです。ユリウスさん。どうか、これからも拓海のことをよろしくお願いします」
初音は、ユリウスへに向かって深々と頭を下げた。
その痩せた小さな体を目にして、ユリウスは、思わず視線を反らす。家族を想う老婦人の姿は、なんとも居たたまれない気持ちにさせられた。
「おばあちゃん、お茶買ってきたよー」
拓海とザックが、売店から戻って来た。
皆でお茶を飲みながらとりとめのない話を交わし、初音を病室まで送り届けてから、三人は病院を後にした。
◇◇◇◇◇
日曜日の夜。
「あー、楽しかった。人間界の店っていろいろな物が売っていて、目移りしちゃいましたよ」
ザックは、居間のテーブルに買って来た物を、どんと置いた。
数が多いので、買い物袋の山ができた。
「あのショッピングモールには人気のお店もたくさん入ってるし、隣には公園もあって、僕もよく利用するんです」
「それにしても、拓海様に選んでもらったこの服、生地がいいし、着心地もよさそうです」
「ザックさん、試着した時、すごく似合ってましたもんね。サイズが合ってよかったです」
拓海とザックは、楽しそうに買ってきた物を見せ合っている。
「そうだ。明日は、いよいよ皇子教育ですね。記念すべき初日ですから、今日買ったこの服を着るのはどうですか?」
ザックは、拓海が買ったトレーナーを広げてみせる。
「あ、うん。そうですね」
「それとも――こっちにします?」
「あはは。それ、ザックさんのだから、僕には大きすぎますよ」
ユリウスは、二人のやり取りを見ていて、おやっと思った。
ザックが皇子教育を口にしたとたん、拓海の表情が曇ったのだ。
まあ……それも仕方ないのかもしれない。魔界の学習、それも皇子教育を受けるのだ。緊張するなというほうが酷だろう。
そう結論づけて、その表情のことは、意識の外へ追いやった。
「飲み物を用意してきます。拓海様は、何がいいですか?」
「あ、ユリウス様。俺がやりますよ」
「ザック、お前は、買って来た物の片付けがあるだろう」
「えへへ。すみません」
「拓海様は、ココア。それともミルクティーですか?」
「えっと、ミルクティーがいいです」
「わかりました。ザックも紅茶でいいか?」
「はい」
二人を残して、ユリウスは居間を出た。
「さて、休日の締めくくりに、うまい紅茶でも淹れるか。明日からは、ついに皇子教育が始まるからな」
授業がさくさく進む光景を思い描きながら、ユリウスは台所へと向かった。




