6 魔界新聞
夜が明けた。
俺は静かに部屋を出ると、一階へ向かう。
今日から本格的に家庭教師をする予定――だったが、延期となってしまった。人間界に慣れる為、街を案内したいと、拓海が強く希望した為だ。
その提案を聞いた時、俺はやんわりと辞退した。
それなのに「拓海様のお世話をするには、確かに慣れておいた方がいいですね」とザックが賛同してしまい、三人で出かけることが決定してしまった。
まったく、ザックのやつ。
居間に行くと、起きているはずのザックが、ソファーの上でいびきをかいている。
「ほら、そんなところで寝てると風邪をひくぞ」
「あ、ユリウス様……もう朝ですか?」
「ああ。でもまだ早すぎるから、部屋に行って少し寝て来い」
「え、いいんですか?」
「寝不足でふらふらしていたら、拓海様に迷惑をかける」
「そうですね……では、お言葉にあまえて。ふぁあー」
ザックが部屋へ行ったので、俺は台所へ。
朝食の準備をするにはまだ早いから、湯を沸かして、丁寧にコーヒーを淹れる。器具は、台所にあったものを借りた。
コーヒーを飲みながら、届いたばかりの魔界新聞を開く。これは魔界にいた頃からの習慣なので、この洋館にも届くよう手配しておいた。
まずは、皇子に関する記事の有無を確認する。ざっと目を通したが、それらしきものはない。
じゃあ、一面から読むかと新聞をめくっていたら、ある記事に目が留まった。それは大雨の被害に関するもの。河川の氾濫で孤立した村へ、物資を運ぶ写真が載っている。
「大雨……物資を運ぶ」
その言葉を口にした途端、記憶の奥底に埋めたはずの、あの方との記憶が、雨音と共に蘇る。
◆◆◆
「見えるかい、あの列が」
あの方の隣で、俺は窓の外を見ていた。
土砂降りの雨の中、この離宮へと荷物を運ぶ馬車の列が途切れずに続いている。
「こんな悪天候にもかかわらず献上品を運んでくる。どうしてか、わかる?」
「早く、届けたいからでしょうか……」
「うん。彼らは、一刻も早く献上品を納めれば、僕の歓心が買えると信じているんだ……でもね、それだと、僕が、こーんな大雨の中、荷物を運ぶ使用人の苦労を気にも留めない冷血漢ってことにならない? 心外だなあ。僕はこれでも民を大切にしているし、周囲からは人望があるって、そう思っているんだけど」
そう言って、あの方は俺の顔を覗きこむ。口元は綻んでいるが、目は笑っていない。
「お、皇子様は、ご立派な方です」
「あはは。そうだね。やっぱりユリウスは、僕のことをわかっているね」
俺は、機嫌を損ねずに済んだと安堵する。
「さて、失礼な奴らだけど、せっかく来てくれたんだ。謁見して労をねぎらわないとね」
この後、彼らは何かしら難癖をつけられて処罰される。それは拷問だったり、財産没収だったり、はては腕を切り落とされた者もいた。
彼らがあげる怨嗟の声を、あの方は愉快そうに笑う。俺は耳を塞ぐことを許されず、ただその場に立ち続けた。
◇◇◇
俺は今、あの方と同じ年齢になった。
それなのに、昔を思い出すと、あの頃の幼い自分に戻ってしまう。
成長して大きくなった手を使い、コーヒーを飲む。口に広がる酸味が、沈んでいた意識を現実へと引き戻す。
今は、まだいい。だが、もし拓海の存在が外部に漏れたら、恨みを抱く者達が、動き出すだろう。それほど、あの方は敵が多い。
だからこそ、早急に皇子教育を開始する必要がある。魔法が使えなければ、自分の身は守れない。魔界の者にとって、魔力を持たぬ人間など、赤子の手をひねるよりも簡単に始末できる。
それなのに、街を案内したいとは……。
「本当に、昔も今も、厄介な人だ……」
その時、新聞の他に小さな箱も届いていたことに気づいた。差出人はブラッドフォード卿の秘書官。
「なんだ。追加の教材か?」
箱を開封して中身を確認する。思わず、くすりと笑ってしまった。
「確かに、大事な皇子様に、これは必要だな」




