5 魔鳥ジーナと報告書
俺は自分に用意された部屋の窓から外を眺めた。
穏やかに瞬く夜空の星を見ていると、魔界とは違う世界にいるのだと、自覚させられる。
「さて、やるか」
誰に聞かせるわけでもなくそう言うと、机に向かい、羽ペンを手に取った。報告書を作成するためだ。
家は静かだった。ザックは、不寝番をするのだと張り切っていた。本来、この家の周辺には強力な結界が張ってあるので、不寝番の必要はない。皇子様発見の第一報を受け、派遣された術師達が、魔王城並みの高度な術を施したのだ。
まあ、ザックの本当の目的はテレビだろう。リモコンの使い方を熱心に教わっていた。初めての人間界にはしゃぐ気持ちもわかるので、騒いで拓海の睡眠を妨げることがないようにだけ、釘は刺しておいた。
「わかってますって。それにしても、拓海様って礼儀正しくて親切ですね。ちょっとびっくりしました」
確かに、何かと俺達のことを気遣ってくれる。先触れの使者にはかなりの塩対応だったと聞いていたので、拍子抜けしたことは否めない。
夕食の時もそうだ。箸にチャレンジしたザックが、サラダのプチトマトを拓海の前に飛ばしてしまった。
「す、す、すみません」
「失礼しました。後で食事のマナーを徹底させます」
「そんな、マナーだなんて、お店じゃないんですから気にしないでください。なんていっても食事は楽しく食べるのが一番です」
ザックはその言葉で安堵し、食事はなごやかに続けられた。
あの時の、拓海の言葉、あれはあの方も――。
俺はある事件で家族と一族を失った。屋敷もその際に、焼け落ちた。
子供だった俺に残されたのは、従者になったばかりの年若いザックだけ。
全てを失い絶望する俺へ、救いの手を差し伸べてくれたのが、魔王様の一人息子である、あの方だった。
「可哀そうに、みんな失くしてしまって……でも、大丈夫。僕が君の家族になってあげる。だから僕と一緒においで」
俺は感謝しながらその手を取った。そしてザックと共にあの方の元に身を寄せた。でも……それは間違いだった。
そう思い知ったのは、初めて一緒に食事をした晩のこと。
薄暗い室内、控えめに灯された燭台の明りで、調度品に施された金が鈍く光っていた。幼い俺は、高貴なこの方と同席しているだけで緊張し、口の中がカラカラ。けれど食事が始まると、召使の存在が俺を苦しめる。
俺は、うっかりナイフを床に落としてしまった。静かな部屋に響く金属音に身が竦む。
「す、すみません。手が、手が滑ってしまって……」
「緊張しなくていいよ。客人を招いた晩餐会じゃないし、ここにいるのは君と僕だけ。食事は楽しく食べるのが一番だよ」
そう言ってあの方は優しく微笑む。でも俺の震えは止まらない。
あの方の背後には、壁に串刺しにされた召使がいる。配膳の際に、料理に指が触れたという理由で。
召使は苦悶の表情そのまま、飛び出した舌がぬらぬら光っている。
俺は、恐ろしくて仕方がない。だが、死体よりもなにより、この凄惨な場で、顔色ひとつ変えず、食事を続けるこの方が、一番恐ろしかった。
苦い過去を思い出していたら、窓を叩く音がした。
ベランダに、ブラッドフォード卿の使い魔である魔鳥がいた。
美しい翼を持ち、ほっそりし体はとても優美だが、風魔法を得意とする危険な魔物だ。知能も高く警戒心が強い為、調教は困難とされているが、今回、この魔鳥が秘密のやり取りに使役される。
俺は窓を開けて、魔鳥を招き入れた。
「ちょっと待っててくれ」
書き終えた報告書に手をかざし、魔力をこめる。報告書の輪郭がぼやけだし、小さな種へと姿を変えた。それを、魔鳥に付けられ首輪の飾りに入れる。こうしておけば、もし他の誰かに奪われても植物の種だと思うだろう。この報告書が読めるのは、送り先のブラッドフォード卿だけなのだ。
報告書を受け取った魔鳥が、外に出ようとしたので、声をかける。
「待ってくれ、ジーナ。君のために、これを残していたんだ」
俺は皿に取り分けていた唐揚げを、ジーナの前に置いた。初めて見る食べ物に、ジーナは警戒の色をみせるが、匂いを嗅いだ瞬間、眼がきらりと光る。たちまち皿がきれいになった。
「気に入ったのなら、また用意しておこう」
ジーナは、俺の言葉に応えように、「くるるる」と嬉しそうに鳴くと、勢いよく飛び立ち、木立の暗がりに溶ける様に消えた。
終わった。
俺は、ようやくベッドに潜り込む。
見慣れぬ天井を見ていると、つい余計な事を考えそうになる。だが、全ては機械的に処理し、そこに自分の意志や感情を挟んではならないと自分を戒めた。
時間がないのだ。
魔王様は言わなかったが、ブラッドフォード卿からは、三ヶ月と期限を切られている。その期間で、王族としての知識や魔法を習得させるようにと。
かなりタイトなスケジュールなので、私情に囚われて時間をロスすることだけは絶対に避けたい。
俺は、一日でも早く、魔界に帰りたいのだ。
ふと胸元に手を伸ばした。そこには、チャームが開閉式になっているペンダントがある。
「この仕事を終えて領地に戻ったら、君の好きだった花を植えるつもりだ」
ペンダントにそう語りかけて目を閉じる。
眠りに落ちる寸前、瞼の奥で、明るい髪の少女が笑った気がした。




