67 気まずい夕食会
嶌村家の台所には、どこか気まずい空気が流れていた。
「さあ、席についてください」
ユリウス様が声をかけて、全員が食卓に着いたところまでは、よかった。
拓海様と杉咲先輩が並んで座り、その前にユリウス様と俺が腰を下ろす。
いつもなら拓海様の正面にはユリウス様が座るのだが、今回は杉咲先輩とユリウス様が向かい合う形になっている。
最初は、拓海様のテンションも高かった。
「先輩、帰り道でも話しましたけど、うちのとんかつ、さっくり揚がっていて、本当に美味しいんです。学校でそのことを話したら、孝太君もぜひ食べたいって言って、リクエストされたんです」
「そうなんだ。さくっり……した、とんかつなのね。これ」
杉咲先輩のどこか戸惑った声色に気づいた拓海様が、食卓に並んだ皿を見て、はっと息を呑んだのが分かった。
あー、そうだよ。そういう反応になるよな……。
ユリウス様作のとんかつは、揚げたてのときは申し分なかった。けれどその後、キッチンペーパーで油を切ろうとして、かえって衣に油が戻ってしまったのだ。
その結果、刻んだキャベツの前に、べっちゃりとしたとんかつが鎮座している。
ちらりと横を見ると、ユリウス様も目を見張った顔をしている。上手く出来たはずなのに、いざ皿に盛ってみれば、「さくっ」とは程遠い仕上がりなんだもんな。
はあ……。だから、あれほど注意しておいたのに。
「まあ。ちょっと見栄えはあれですが、せっかくの出来立てなんです。食べましょう」
俺は、なるべく明るい声を出して、みんなに箸をつけるように促した。
「そうですね。せっかく、そちらの、ユリ……なんとかさんが作ってくれたらしいし。食べましょう、拓海君」
杉咲先輩が、拓海様に優しく声をかける。
「あ、はい。……じゃあ、いただきます」
拓海様も気を取り直して、とんかつを一切れ口に運ぶ。
無言のまま噛み締めて飲み込むと、食卓の空気が一気にしんと静まり返った。
困った。美味しいとも、まずいとも、誰も言わない。
俺は、呆然としているユリウス様の横っ腹を肘でつついた。
はっと我に返ったように、ユリウス様が箸を手に取り、食事を始める。
楽しいはずの夕食の時間は、なんとも気まずい幕開けになった。
会話が弾まないまま、少しして、
「拓海君。あたし、お腹いっぱいになっちゃったみたい。お行儀悪いけど、残してもいい? ごめんね」
杉咲先輩が、小声で拓海様に話しかけた。
それも仕方ないな、と聞き流していたら、
「気にしないでください。こんなに油っぽいんです。胸やけして食べられなくても、仕方ないです!」
あー、拓海様、そんな大声で正直に言っちゃ駄目ですよ。
ほら、ユリウス様が、がっくり肩を落としているじゃないですか。
いつもの拓海様なら、「失敗なんてよくあることです。ちゃんと食べられます。気にしないでください」なんてフォローが入るはずなのに。
大好きな先輩を前にして、違うスイッチが入ったままなんだろうな。
「……すみません。油の切り方が悪かったんです。私のせいです」
ずっと黙っていたユリウス様が、二人に向かって謝罪する。
「ひょっとして、料理は、そこのザックさんが担当なんですか?」
ユリウス様の言葉は、あっさり置き去りにされる。
杉咲先輩は、俺の方へと視線を向けて来た。
俺は、こくりと頷く。
「やっぱり……ザックさんの手って、働き者の手をしてますよね」
「え、俺の手?」
「はい。きちんと家のことをして、家族を支えてくれる。そんな手に見えます」
身近に、そういう人がいるのだろうか。杉咲先輩は、どこかしみじみとした様子でそう言った。
なんだ。見た目は暗そうだけど、この子、いい子じゃないか。
俺の中で、杉咲先輩の好感度が、一気に爆上がりしていく。
そして、それは俺だけじゃなかった。
案の定というか、拓海様まで感激したように語り出した。
「そ、そうなんです。さすが先輩。ザックさんは、家事を一手に引き受けてくれているんです。きれい好きだし、料理は上手いし、入院しているおばあちゃんのお見舞いにも、毎日のように行ってくれるし。もう、もう本当に、頼りになる人なんです」
拓海様にまで、きらきらした瞳で見つめられ、さすがの俺も照れくさくなって、思わず頬をかいた。
「で、そこの、ユリなんとかさんは、この家で何をしてるんですか?」
さっきより明らかに低い声で、杉咲先輩がユリウス様に問いかけた。
「は、私ですか?」
「そう。そこの、美容に気を使っていそうな、あなたです」
「あ、えっと……特に、美容に気を使っては――」
「そんな長い髪をしているのに、手入れに時間をかけていないなんて、ちょっと信じられないですね」
杉咲先輩は、じとっとした目でユリウス様をめねつけた。
「切ったらどうですか?」
「え?」
「今どき、そういうの流行ってないです。それに、今までさぼっていた家事をするのに、長い髪は邪魔になると思います。行動を改めるためにも思いきって短くしたらいいんじゃないですか?」
畳みかけてくる杉咲先輩に、ユリウス様はさすがにたじたじになっていたが、「髪を切る」という言葉には、どこか引っかかるものがあったようだ。
「髪は切れないです」
「どうして?」
「うちの一族では、未婚の男子は、伴侶を得るまでは髪を伸ばすという習わしがあるんですよ」
それを聞いた杉咲先輩は、ひどく驚いたように一瞬、言葉を失った。
やがて、ぽつりとつぶやく。
「そんなの……守る必要って、あるんですか」
「必要は……ないかもしれないですね」
「だったら――」
「長く続いた伝統も、途切れたらそこで終わりなんです。なら、それを受け継ぐ者がひとりくらいはいてもいい。そう思うんですよ」
ユリウス様は、ふざけて言ったわけでも、感情的に声を荒げたわけでもない。
それなのに、杉咲先輩はどうにも納得がいかないらしく、ふいっと横を向いてしまった。
「……ひとりだけで続けるなんて、そんなの自己満足じゃないですか」
口にしてから、杉咲先輩は自分の手のひらをきゅっと握りしめた。
その仕草に、ユリウス様が困ったように眉をひそめた。
なんだよ、これ。いつの間にか、杉咲先輩とユリウス様だけの世界になっている。
俺が、この意外な雰囲気に戸惑っていると、その空気を断ち切るように、拓海様が声を張った。
「あの、ユリウスさん! 確か、食後のデザートにゼリーも用意してくれてるんですよね」
「はい、あります。持ってきますね」
「俺も、手伝います」
席を立ったユリウス様を追って、俺は小声で話しかけた。
「ゼリーなんて聞いてないですよ。作ったんですか?」
「いや。冷蔵庫にあるだろ。ちょっと高級そうなやつ」
俺は額を押さえた。
「……あのゼリーは、初音さんに頼まれてたもので、今日、病院に持って行ったからないですよ」
「え?」
ユリウス様が、その場で固まった。
「先輩。ゼリーなら食べられそうですか?」
「うん。口直ししたいから、嬉しいかも」
俺たちの背後で、そんな二人の弾んだ声が聞こえてくる。
ああ、なんてことだ。デザートのゼリーなんて、そもそも存在しない。
どうカバーする。
俺は、まだまだ続く気まずい夕食会の行く末を思って、早くも途方に暮れる。




