66 杉咲先輩がやってきた
杉咲という名前を聞いて、ユリウスは驚いた。
孝太君に代わってやって来たのが、拓海が気にしている先輩だったのだ。
一度会ってみたいと思っていたので、嬉しいサプライズではある。
けれど、意外だった。
以前、ザックがどんな子か尋ねたとき、『先輩は、すごく可愛い子だ』と言っていたので、勝手にそんな女の子を想像していた。
でも、目の前にいる杉咲は、体型こそ華奢だが、おさげにした黒髪は手入れをさぼっているのかぱさついているし、かけている眼鏡がなんとも野暮ったくて、全体に暗い雰囲気が漂う。
素顔ははっきりしないが、可愛いというより、「地味」とか「素朴」という言葉が似合う女の子だ。
ユリウスとザックは、互いにちらりと視線を走らせた。
拓海様の審美眼って……と、ザックの目が何かを訴える。
やめろ。人の好みはそれぞれだ。この子が、拓海様基準の「可愛い」なんだ。と、ユリウスが目でたしなめる。
黙っていた二人に代わって、拓海が口を開いた。
「先輩、この人がさっき話したユリウスさんです。それで、その隣の大きな人がザックさんです」
「拓海君が、いつもお世話になっています」
ユリウスは驚きを隠しつつ、できるかぎり歓迎の笑顔を作った。
「どうぞ、上がってください」
ザックがスリッパを出してやる。
「ありがとうございます」
拓海と杉咲が靴を脱ぎ、スリッパをはいた瞬間、ユリウスの手が杉咲の肩に伸びた。
「えっ?」
拓海がびっくりしていると、ユリウスがにっこり笑って言う。
「肩にごみがついてましたよ」
「……ありがとうございます」
杉咲は表情を変えずにそう返した。
時間にすれば数秒だが、何とも形容し難い、ぴりっとした空気が流れた。
その雰囲気を打ち破るように、ザックが明るい声を出す。
「さあ、食事の準備もできてるから、洗面所で手を洗ってきてください」
「そうですね。先輩、洗面所はこっちです」
拓海の案内で、杉咲が洗面所に向かった。
二人きりになって、ザックが小声で聞く。
「どうでした?」
「傷はないようだ」
「じゃあ、違いますね。ユリウス様の短剣に仕込んでいたスナイルの毒が、こんな短時間で治るはずないし」
「そうだな……どうやら気のせいみたいだ」
拓海たちを出迎えようと台所を出たとき、玄関のほうから気になる気配がするとザックが言い出したのだ。
それは、以前拓海を襲った仮面の少女のものと似ている、と。
それを聞いたユリウスが、傷の有無を確かめるために、杉咲の肩に手を伸ばしたのだ。
ちょっとナーバスになり過ぎたかな。
それにしても、失敗した。
傷を確認しようとして、おさげの髪をそっとどかしたとき、一瞬、あの子の首に俺の指が触れてしまったのだ。杉咲は口で何も言わなかったが、瞳は少し尖った気がした。
よし、挽回するためにも、うまい飯でもてなそう。なんといっても、拓海の大切な先輩だしな。
ユリウスはそう心の中でつぶやくと、ザックと共に台所へと歩き出した。
洗面所で手を洗う杉咲先輩を見ながら、僕は胸がドキドキしていた。
うちに、うちに先輩がいるー。どうしよう。顔の表情筋が崩壊しちゃうよー。
ああ。こんな幸運なことが起こるなんて。
僕は、神様に「奇跡をありがとう」と叫びたくなる。
でも、その奇跡は、あの時、先輩が通りがかったからなんだ。僕は、孝太君と別れたときのことを思い出した。
孝太君が来られなくなったって、報告しないといけない。
ユリウスさん、がっかりするだろうな。つい暗い顔で考え込んでいると、背中をとんとんと叩かれた。
驚いて振り返ると、そこに、杉咲先輩が立っていた。
「せ、先輩?」
「どうしたの、拓海君。こんなところでぼーっとして」
「あ、実は――」
僕は、遊びに来るはずだった孝太君が来られなくなった話をした。
「……そう。夕ご飯の約束をしていたのに、ドタキャンされたんだ……」
「はい。孝太君、どうしてもはずせない急用だから、仕方ないんです。でも……孝太君のためにって準備した夕ご飯が無駄になっちゃうのが、残念で……」
本音がぽろりと僕の口からこぼれた。すると、
「それなら、あたしが孝太君の代わりにお邪魔してもいい?」
「え! 先輩が、孝太君の代わりに?」
「そう。前に拓海君、差し入れのお礼がしたいって言ってたよね。それを、今夜の食事にするのって、どうかな? あたしが孝太君の代わりじゃ、物足りないかもしれないけど……」
先輩が目を伏せる。長いまつ毛が寂しそうに震えるのを見て、思わず大きな声が出た。
「先輩が物足りないなんて、そんなの、そんなこと、絶対にありません。ぜひ、うちに来て、ご飯を食べてほしいです!」
「そう?」
ぱっと顔を上げて、先輩がにっこり笑った。
「それとね、拓海君の家にお邪魔するとき、これを使いたいんだけど」
先輩がサブバッグを開いて中を見せてくれた。
「眼鏡とかつら、ですか?」
「うん。前にね、ちょっと絡まれたことがあって、姉が心配して、男の人が大勢いるところでは、これを身につけるって約束なの。いいかな」
「はい。大丈夫です」
「よかった」
かつらと眼鏡で、先輩のきれいな目と髪が隠れちゃうのはもったいないけど、先輩は先輩だ。
手を洗い終えた先輩に、僕はすかさず真新しいタオルを差し出す。
「ありがとう」
小さな鈴を鳴らしたみたいな、きれいな声がする。ほらね。先輩はどんな格好でもすごく可愛らしい。
「それじゃあ、台所へ行きましょう。今日は、ユリウスさんが料理をしてくれることになってて、僕も楽しみなんです」
「へえ、そうなんだ」
拓海の後ろを歩きながら、杉咲先輩ことリリアーナは、心の中でつぶやいた。
さあて、いよいよ本番ね。
馴れ馴れしく人の首なんかを触ってきて、あのイケメン気取りのセクハラ男。見てなさいよ。これからぎゃふんと言わせてやるんだから。




