64 ユリウスの腕前
朝食の席で、ユリウスと拓海は、無言で向かい合っていた。
ザックが用意した目玉焼きにサラダ。焼き立てのトーストは、まだ一切手が付けられていない。
スープを運んできたザックは、成り行きを見守ろうと素知らぬふりをしているが、内心では気をもんでいるらしく、じっとユリウスの様子を窺っている。
その視線に、思わず噴き出しそうになるが、ユリウスはぐっと口元を引き結び、静かに口を開いた。
「拓海様。昨日は、怖い思いをさせてしまい、本当に申し訳ありません」
ユリウスは背筋を正し、深々と頭を下げた。
「その件は、もう何度も謝ってもらってますから、気にしないでください。僕こそ、翼を出せないせいで、ユリウスさんを困らせてるんですから……」
拓海の表情が曇る。自分の口にした言葉に、胸のあたりがきゅっと詰まったのだ。
「拓海様……」
再び沈黙しかけた二人に、ザックが明るく声をかける。
「もう、朝からそんな暗い顔はだめですよ。幸運が逃げていきます」
「お前は、悩みなんてなさそうでいいな……」
「な、俺だってありますよ。今夜、拓海様の友達が来るから、家の掃除をちゃんとしておかなきゃとか、どんな話をしようとか、副菜は何にしようかって、真剣に悩んでるんですよ」
ザックは指を一本ずつ折りながら、悩みの数を数えて見せる。
「あ、そうだ。孝太君が来る日だった」
「腕によりをかけて、とんかつ作りますから。期待していてくださいね」
ザックが右腕を曲げて、自慢の力こぶを披露する。
「はい。ザックさんのとんかつ、さくっとしていて美味しいから、すごく楽しみです」
「それ、俺に任せてくれないか?」
不意の申し出に、拓海は思わず瞬きをした。
「え、ユリウスさんが、ですか?」
「はい。昨日のお詫びになるとは思いませんが、ご友人との楽しい時間の役に立ちたいんです」
ユリウスが真剣な表情で拓海を見て、次にザックへ顔を向ける。
「いいか?」
「わかりました。今夜の夕飯づくりは、ユリウス様にお任せします」
「わあ。ユリウスさんって、料理もできるんですね」
「ユリウス様は何でもできるんですよ。ダンス以外は……」
ザックのぼそっとした一言に、ユリウスがむすっとした顔で返す。
「そんなの、今言わなくていい」
「あ、僕、今日は日直だった」
時計を見た瞬間、拓海の顔色が変わった。
「やばっ……」と、つぶやきトーストを慌てて口に運ぶ。
拓海は急いで朝食を食べた。
「行ってきます!」
走って家を出て行く拓海を見送ったあと、ユリウスとザックは台所に戻ってきた。
ユリウスは椅子に腰を下ろし、ザック愛用の料理本を読みだした。
「ユリウス様。俺、掃除と洗濯してきますね」
「ああ。頼む」
台所を出ようとしたザックだが、ふと足を止めて、くるりと振り向いた。
「やっぱり俺が作りましょうか、今夜の食事?」
「え、なんで?」
「だって、魔界とは勝手が違うし、人間界に来てから、ユリウス様、コーヒーくらいしか淹れたことないじゃないですか。それに、とんかつって、おいしく作るには気をつけることが結構あるんですよ。」
心配そうなザックに、ユリウスがにっこり笑う。
「俺の腕前は、ザックだって知ってるだろ?」
「まあ、確かにできる方だとは思いますが……」
「だろ。だから、安心して任せておけ。みんなが満足する料理を作るから」
それだけ言うと、ユリウスはさっさと顔を本に戻した。
確かに、ユリウス様の料理の腕前は、及第点といっていい。
でも、それは何度も作ったことがある料理に限る。
なんだろうな。普段は完璧主義っぽいのに、こと料理になると急に大雑把になるのは……。だから、初めての料理に関しては失敗が多い。
あれは、ホテル・マーサにオステルマン家のマックスさんが住むと決まったときのことだ。
執事のヨアヒムさんが、「うちの坊ちゃまがお世話になります」と、各部屋に引っ越しの挨拶だと言って、超高級肉を配ったことがある。
滅多に口にできない超高級品なので、最初はステーキで舌鼓を打ち、残りを人間界で言うビーフシチューにしようとユリウス様と相談して決めた。
ところが、いざ作ろうとして、ワインが切れていたことに気づき、慌てて買い出しに行った。その間に、ユリウス様が「待っている時間がもったいない」とばかりに調理を始めてしまったのだ。
買い出しから戻って、味見をした俺は、思わず眉間を押さえた。やたらしょっぱいし、鍋の底は見事に焦げていた。
あのときのユリウス様、目分量で味付けして失敗しているっていうのに、「他の調味料を足せば、まだいけるだろう」みたいな顔をしていたんだよな。
俺は小さなため息をつきかけて、慌てて胸の内で打ち消した。
朝からこんなことを考えていたら、本当に運が逃げていきそうだ。
でも、まあ、今夜のとんかつは、油の温度と揚げ時間には注意して、俺も横でサポートすればいいか。
ユリウス様への不安は残るが、いざとなったら自分が揚げればいいだろうと判断し、俺は台所を後にした。




