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63 モーリスの幸せな夢

 自分の名前はモーリス。魔王城勤務のエリート文官だ。

 実家は有力貴族だが、四男という立場ゆえ家督を継ぐことはない。

 いずれこの家を出て自立するのだと、幼い頃から悟り、勉学に打ち込んできた。


 その甲斐あって、王都でも最高ランクの学校に在籍することができた。

 学生時代は、さらに高みを目指し、学業以外には目もくれず、社交界とも無縁の生活だった。

 後輩の中には、名門オステルマン家の嫡男にこびへつらう卑しい輩もいたが、自分はコネなどに頼るまいと、ただひたすら勉強した。


 卒業の折り、首席には届かなかったが、成績優秀者に贈られる盾を授与された。それは自分の誇りであり宝物でもあるので、部屋の一番目立つ場所に飾ってある。


 卒業後は、魔王城の文官となり、あのブラッドフォード卿の秘書官に就いた。

 自分の実力からすれば、コネなど不要なはずだった。だが、水面下で父が動いたらしい。


 しかし勤務初日、思わぬ事件が起きた。有力貴族の出で、成績優秀者の盾まで持つこの自分が、下位貴族の女の下につくというのだ。


 憤慨した自分は、第一秘書官のビクトールに抗議した。新人とはいえ、身分の低い、それも女の下でなど働けない、と。

 一時は秘書官室の空気も険悪になったが、実家の後押しもあって、最終的に自分が第三秘書官、サンドラはその下の第四秘書官に落ち着いた。

 こうして、この件をきっかけに、自分とサンドラの間には深い遺恨が残ることになった。


 それから自分は、秘書官として真面目に勤務した。だが、自分に回ってくるのは、資料作成や議事録の整理など雑務ばかりだった。こんなことをするために学生時代、勉学に励んだのではない。そこで空き時間を利用し、「獣人・狼族など危険種族への罰則強化と居住地の見直し」という法律改正案を作成し、ビクトールに提出してみた。


「うーん。ブラッドフォード卿の秘書官になったんだからさ、上司のやってることは、ちゃんと理解しないとダメだよー」


「それは、十分承知してます」


「そうかなあ……ブラッドフォード卿は、現行制度に残っている差別の撤廃を目指してるのに、君が持ってきたのは、撤廃じゃなくてさらに強化する案でしょ、これ」


「……差別じゃないです。危険な輩には、それ相応の対処と罰が必要だと思って、これを作ったんです」


 自分がどれだけ熱心に訴えても、ビクトールは困惑半分、呆れ半分といった苦笑いを浮かべるだけだった。


「そうだ。魔界新聞の記事のスクラップがたまっててね。モーリス君、それをやっておいてよ」


「そ、そんな。自分は、もっと魔界のためになることを」


「あのね、仕事は大小にかかわらず、どれも大事なんだよ。秘書官はいろんな経験を積まないと、ね」


 結局、法律改正案は何度提出しても、ビクトールのところで止まり、ブラッドフォード卿の目に触れることはなかった。


 最近、同僚の秘書官たちは業務の話以外、ほとんど声をかけてこない。文官の同期とも、そもそも親しいわけではないので、付き合いはない。たまに話しかけられたと思えば、くだらないブラッドフォード卿の噂話だ。

 低レベルな連中ばかりで、うんざりする。


 そんな時だ。あの男が秘書官室にやって来たのは。

「始末屋」と呼ばれるユリウスだ。あいつが現れると、城内の女どもが騒ぎ出すので、うっとうしい。


 整った容姿がなんだというんだ。あいつは下賤な仕事をする卑しいやつなんだぞ。同じ空気を吸うのも嫌だというのに。

 それなのに、こともあろうに、自分が送った本に問題があったと文句をつけてきた。本当に、腹が立つ。


 だが、そんな卑しい男だと思っていたユリウスも、ドラゴン退治の件で魔王様から領地を賜り、貴族になるという。

 なんてことだ……。優秀で家柄もいい自分は、いまだに魔王城の文官としてくすぶり続けているというのに。あんな男に、自分は負けるのか。


 退勤後、うつうつとした気持ちで通りを歩いていると、いつの間にか、あの古書店の前に来ていた。ユリウスがクレームをつけた歴史の本を買った店だ。

 一言文句を言ってやろうと店内に入ると、カウンターには以前と同じ白髪の老婆が座っていた。

 自分のとりとめのない文句や愚痴を、老婆はにこにこと愛想よく聞いてくれた。


「誠に申し訳ありませんでした、文官様。お詫びと言っては何ですが、こちらをどうぞお持ちください」


 老婆が一冊の本を差し出してきた。


「魔界貴族年鑑?」


「はい。この本は、魔界中の貴族の経歴や家族構成などが載っております。これを熟読しておけば、貴族同士のお付き合いにお役立ていただけるのではないかと、はい」


 この本は、実は目玉が飛び出るほどの高額品だ。格式張って古語で書かれているのが玉に瑕だが、状態も良いし、別の店で売り払ってもいい。


「わかった。この本はもらっておく」

「はい。是非」


 店を出ようとしたところで、背後から老婆が妙なことを言った。


「文官様の上司の方など、お知り合いのところを読むのを、お勧めいたしますよ」


 老婆の目は笑っているのに、その声色だけが妙に冷静だった。

 上司? 自分は特に返事はしなかった。

 本を抱えて店を出ると、近くに黒塗りの高級車が停まっていた。運転席の強面の男と目が合ってしまい、足早にその場を立ち去る。


 宿舎の自分の部屋に戻ると、食事もそっちのけで辞書を片手に、魔界貴族年鑑を読み始めた。なんとなく、あの老婆の言葉が引っかかっていたのだ。開いたのは、当然、ブラッドフォード卿に関するページだ。


 時間はかかったが、目当てのページを最後まで読み終えた。

 ……なんてことだ。あの話は本当だったのか。

 読み終えたとき、同期が話していた噂話を思い出した。


「なあ、モーリス。ブラッドフォード卿に隠し子、それも年ごろの娘がいるって噂があるんだけど、お前、知っているか?」


 あの堅物に、そんなことがあるわけないだろうと、そのときは一笑に付したのだが。


 しかし、この「魔界貴族年鑑」によると、確かに娘が一人いるとある。名前が載っていないのが残念だ。いや、残念な点はもう一つある。その娘は庶子なのだ。

 本来なら正室からの嫡子が望ましいが、なに、庶子でも構うものか。なんといっても、あのブラッドフォード卿の娘なのだ。


 魔界の頂点は、間違いなく魔王様だ。だが、あの方は政治に興味がなく、実際に政治を取り仕切っているのは側近であるブラッドフォード卿だ。


 もしその娘を娶ることができたなら……。それは、今の生活をひっくり返し、まったく別の世界へと自分を押し上げることになる。


 その夜、モーリスは夢を見た。

 自分を軽んじてきたすべての者が、足元にひれ伏し、自分の恩恵を得ようと躍起になっている姿を。

 そうだ。それこそ、学生時代にモーリスが思い描いた未来の姿だ。

 隣では、美しい妻が自分に優しく微笑んでいる。


 それは、甘美で、とても幸せな夢だった。


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