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62 最高の相棒

 ザックが台所でコーヒーを淹れていると、ユリウスがやってきた。


「拓海様は、どうでした?」

「大丈夫。ぐっすり寝てた」


 拓海は既に就寝しているが、日中の魔法の授業で意識を失うという出来事があった。

 おそらく相当強い衝撃を受けたはずだ。寝ている間にうなされていないかと心配して、ユリウスは様子を確かめに行ったのだ。


「それなら良かった。……ユリウス様、コーヒー飲みますか?」

「ああ。飲む」


 ユリウスは疲れた顔で椅子に腰かけると、ぽつりと口を開いた。


「今日は、すまなかった……」

「本当ですよ。心臓が止まるところでしたよ」

「……焦り過ぎた。反省してる……」


 ぐったりと力の抜けた拓海を抱えて戻ってきたユリウスを見て、ザックは肝を冷やした。

 ついにやらかしたのか、と一瞬、最悪の事態が頭をよぎったのは、もちろん内緒だ。


 それにしても、ユリウス自身の顔色も悪い。

 拓海の翼が現れる気配がないため、毎晩のように翼に関する資料を読み漁り、ろくに眠っていないのだ。

 ザックは、淹れたてのコーヒーが入ったマグカップを、テーブルにそっと置いた。


「もう、あんなことしないでくださいよ」


「………………」


「ユリウス様?」


「俺は、あの時……拓海を崖に押し出した瞬間……ああ、自分も昔、似たようなことをされたな、と思い出したんだ」


 テーブルの上で握りしめた片手を、もう一方の手が包み込む。

 その指先が、微かに震えている。


「バレステザ山に行った時のことですね」


 ザックの言葉に、ユリウスが小さくうなずく。

 そうだ。あの方の気まぐれで連れて行かれた、あの山だ。


 ◆◆◆


「ほら、ユリウス。見てごらん。いい景色だよ」


 断崖から突き出た岩に立ち、見下ろす景色は雄大で素晴らしい。

 けれど、はるか下の谷底に目がくらみ、幼い俺は足を震わせていた。

 下がって待つザックが、はらはらしているのは、振り向かなくてもわかる。


「あれ、あんなところに花が咲いてる。きれいだね」


 崖下の中腹あたりに、少し張り出した岩があり、そこに花が咲いている。


「ほ、本当ですね」

「うーん。見たことはないけど、ユリウスは知っているかい?」


「は、はい。多分、ラートゥスだと思います」

「へえ、そういう名前なんだ」


 それは、幾重にも重なった花びらがふんわりと広がり、大きな輪を形づくる花だ。何故か崖や谷底などの険しい場所を好んで群生するため、その名を知らない者も多い。


 その花は、俺の一族では晴れの日に男性から女性へ贈る花とされていた。

 そう……家族を失ったあの日、俺が摘みに行かされたのも、この花だった。


「ひょっとして、あの花って、君の一族が花嫁にプレゼントするってやつ?」


「え、どうしてそれを知ってるんですか?」


 まるで心の中を覗かれたみたいで、俺は驚きのあまり大きく目を瞠った。


「やっぱりそうか……以前、彼女が話していたのを思い出したんだ」


 彼女? 一体誰のことだ?

 頭の中に疑問が浮かんだ瞬間、俺は宙を舞っていた。


「ほら、摘んでおいで」


 口元をほころばせていながらも、その瞳は少しも笑っていない。

 いつもの麗しい顔のままで、あの方が俺を崖へと押し出したのだ。


「うわああーーーーー」

 俺は翼を出そうとした。

 だけど、あまりに突然のことで、体が反応しない。


 死ぬ。このままじゃ、ここで落ちて、死ぬ。

 死への恐怖が全身を駆け巡った。だが次の瞬間、ふっとその恐怖が消えた。

 そうだよ。これで家族の、皆のところへ行けるじゃないか。

 そう考えたら、不思議と心が静かになった。

 俺は、風の音を聞きながら、その時を待つ。だけど――。


「ユリウスーーー」

 俺の名前を叫びながら、ザックが崖を飛び降りてきた。


 ぽかんとしている俺に、どうにか近づくと、俺の体をかき抱くようにして、そのまま一緒に落ちて行った。


 ◇◇◇


「あの時は、もう駄目かと思いましたよ。でも、途中の木の枝がクッションみたいになってくれて、おかげで二人ともかすり傷で済んだんです。……本当に運が良かった」


 ザックが、しみじみと振り返るように言う。


「あの時、ザックが助けてくれたから……俺は、生きてる」


「そうですよ。感謝してください」


「……でも、その後、山の中で迷子になったって俺に八つ当たりしてたけどな」


「あ、あれは……腹が減って、そのちょっと苛々してて……すみません。情けない姿をさらして……」


 しょんぼりとうなだれるザックに、ユリウスは小さく笑みを浮かべる。


「冗談だよ。お前は勇敢な男だ。それに比べて俺は……」


 ユリウスは俯いたまま、言葉を飲み込んだ。


「大丈夫ですよ」


「え?」


「俺がユリウス様を助けたように、ユリウス様も拓海様をちゃんと助けたんです。だから大丈夫。ユリウス様は、皇子とは違います」


 真っすぐな瞳で自分を見てくるザックが、なんだかまぶしく感じる。

 気づけば、ユリウスは自分の中にあるどろどろした感情を、口にし始めていた。


「……俺は、お前みたいに、あの方への恨みや怒りを帳消しになんて出来ない。心の奥底に、澱のように溜まったままだ。それがまた暴れ出したら、今回みたいなことが起こるかもしれない。……なあ、ザック。もし俺の未来に破滅しか待っていないとしたら、お前はどうする?」


 ユリウスが暗い目で問いかける。ザックは、にかっと笑った。


「そんなの、最後まで一緒に行くに決まってるでしょ。俺はユリウス様の従者兼相棒です。切っても切れない、ぶっとい絆でつながっているんですから」


 自分でも持て余している醜い感情をさらけ出しても、なお離れないと言ってくれるのか。

 本当に、俺はいつもお前に助けられてばかりだ。


「あれ、今、心の中で俺を褒めました?」


「ば、馬鹿言うな。ザックが淹れたコーヒーがいまひとつだなあって、思ってただけだ」


「あ、ひどい! そんなことを言うなら、もうコーヒー淹れてあげませんよ」


 子供みたいに口を尖らせるザックを見て、ユリウスは口の端だけでそっと笑った。

 静かに口に含んだコーヒーは、少しほろ苦かった。


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