58 魔法の授業開始?
少し時を戻して。
部活動を終えて帰宅した拓海は、宿題と予習をすませると、ユリウスとザックと一緒に夕食をとった。
食事をしながらも、拓海の頭の片隅には、このあと始まる「とっておきの勉強」のことがちらついていた。
「今日から、魔法の勉強ですよね、ユリウスさん」
夕食の後片付けをしているユリウスに、拓海が嬉しそうに話しかけた。
「はい。その予定です。拓海様、なんだか張り切ってますね」
「え、そう見えますか? ま、まあ、ちょっと興味のある分野だから、そう見えるの、かも?」
「皇子教育に興味を持たれるのは、非常に喜ばしいことです。でも、予めお伝えしておきますが、惚れ薬は作れませんよ」
「へえ。作れないんですか、残ね……え? な、何を言ってるんですか?」
「ですから、惚れ薬です。そういう洗脳系の薬の調合並びに使用は禁止されています」
「ま、待ってください。洗脳だなんて、僕、そんなの……って、それより! どうしてそのことを知って」
と言いかけた拓海の視界に、ユリウスの肩にちょこんと腰掛けるコディの姿が飛び込んできた。小さな足をぶらぶらさせながら、こちらを面白がるように見下ろしている。
「あーーーー! また、よけいなことを!」
拓海が抗議した途端、コディはポシェットから何やら紙を取り出して、得意げに突き出してきた。
そこには、「惚れ薬は犯罪」と大きな字で書かれていた。
拓海は、耳まで赤くなった勢いのままコディを捕まえようと手を伸ばす。だが、ひらりと身を翻し、足元の影へとダイブされてしまった。
手を伸ばしたままの姿で固まる拓海に、ユリウスが「拓海様?」と声をかけると、「……違うから」いつになく低い声が返ってきた。
「え?」
「惚れ薬とか、そんなの作ろうだなんて、微塵も思ってないから!!」
「あー、はい。わかりました。そういう事にしておきましょう」
「だ、だから、違うってばー」
真っ赤な顔で否定する拓海をその場に残し、ユリウスは流しに皿を運んで行った。
その背中が、どこか楽し気に見えたのは、きっと気のせいじゃない。
◇◇◇◇◇
食後の休憩を挟み、皇子教育の時間となった。
拓海はさっきのやりとりで気分を害したのか、憮然とした表情をしている。
ユリウスは、ちょっとふざけ過ぎたかな、と思った。でも、禁止された薬はそもそも作れないし、作ろうものなら、発覚した時点で捕まる。それに、想いは自分で伝えた方がいい――そう思うが、今言ったら、よけいにへそを曲げそうだ。
「では、拓海様、お待ちかねの魔法について勉強を始めましょう」
「ちょ、ユリウスさん!」
「あ、すみません。つい」
「本当に違いますからー!!」
赤い顔で言われても……。ユリウスは内心、苦笑いしながらも、一瞬だけ、眩しそうに拓海を見つめた。
「……ユリウスさん。なんで、そんな目で僕を見るんですか?」
「すみません。拓海様は青春しているんだなあと、思って」
「はあ? また、からかうつもりですか」
拓海はむっとするが、ユリウスが首を横に振る。
「いえ。違います。単純に、うらやましいと思ったんです」
「うらやましい?」
「はい。私は、学生生活を送った経験がないので」
「え、そうなんですか」
拓海の目が大きく見開かれた。
「でも、ユリウスさんは僕の家庭教師ですよね? それじゃあ、えっと、その」
拓海が遠慮がちに言う。
「すみません。言い方が悪かったですね。皇子教育に必要な知識は持っています。そこは安心してください」
「それは別に気にしてませんが……あの……どうして、学校に通わなかったんですか?」
「それは……」
すっとユリウスの表情が曇った。その不穏な表情に、拓海は思わずどきっとした。
そうだ。確か、ユリウスさんって家族がいなくて、苦労したはず。あー、僕の馬鹿。辛い事を思い出させちゃったかも。拓海は心の中で自分を責めた。
「実は、自宅学習していたんです。学校に通う時間がなくて」
拓海が、ずっこけた。
「なんなんですか、暗い表情だったから、僕、心配したのに!」
「ははは。すみません。拓海様が真剣な顔していたので、ちょっとからかっただけです。さあ、気持ちを切り替えて――」
その時、どかどかと大きな足音を響かせて、ザックが居間に入って来た。両手に何やら乗せている。
「た、拓海様。携帯が、携帯が大変です!」
皇子教育の間、携帯はザックが預かっている。ザックには、携帯の仕組み等は一通り説明してあるのだが、どうにも理解できていないようだった。音が鳴るたびに大騒ぎになるので、なるべくマナーモードにしている。
携帯をおそるおそる差し出しながら、ザックは「俺がずっと見てたから、壊れちゃったんでしょうか。こいつ、ぶるぶるが止まらないんです」と、真顔で訴えてきた。
「大丈夫ですよ。ユリウスさん、ちょっと電話してきます」
拓海は、携帯を受け取ると居間を出て行く。そのあとを、心配そうにザックがついて行く。それはまるで、ひな鳥の後を心配してついていく親鳥のようだ。
独りになったユリウスは、ふうっと息を吐く。
学校に通わなかった理由か……。
魔界にも、学校はある。特に身分の高い貴族階級ほど、教育に熱心だ。
そのせいか、あの方も、非常に教育には関心が高かった。
俺のためにと、わざわざ一流の講師陣を揃えたくらいだ。そのおかげで俺は、魔界のどの高位貴族よりも、ハイレベルの教育を受けられた。学力や魔法の基礎がしっかりしていたのは、あの時に叩き込まれたものが大きい。
そして、あの方が亡くなってからは、先代の<始末屋>に弟子入りし、そこで俺は、生きていく術と知識を得たんだ。
ユリウスが昔のことを思い出していると、電話を終えた拓海が戻って来た。
「すみません。友達の孝太君からでした」
「孝太君というと、拓海様の幼馴染で、クラスが一緒の子ですね」
「はい。僕と違って、運動大好き少年なんですけど、昔から、仲はいいんです」
孝太の話題が出てから、拓海は「あ、あの」と言ってから、少し黙った。
なんだか話したいことがあるようなので、ユリウスは続きを促さず、静かに待ってやる。
やがて「あの、ユリウスさん。お願いがあります」と、拓海が真剣な表情で話し出した。
「はい。なんでしょうか」
「実は、孝太君が僕のことを心配していまして……。おばあちゃんが入院しちゃって、僕しかいないこの家に、その……外国から来た人が住んでいるけど、大丈夫かって。それで、僕の生活が大丈夫なのか、実際に見てもらおうと思うんです。だから、今度、夕ご飯に招待したいんですけど、いいですか?」
拓海の祖母の記憶はちょっといじらせてもらったが、他の人間にはしていない。中学生がひとり住む家に、見知らぬ大人が、それも外国人が住みだしたとなれば、心配するのは当然だろう。
「わかりました。では、いつにしますか?」
「え? いいんですか? あの、僕以外の人間が来て、一緒にご飯を食べるんですけど?」
「訪問の趣旨は理解できますし、拓海様の不安要素を早めにクリアにしておくのは、望ましいことです。孝太君の来訪に、異存はありません」
にっこり笑って言うユリウスに、拓海はほっと胸をなでおろした。
「良かった……ユリウスさんが、そう言ってくれて。じゃあ、来週の金曜日でいいですか? 学校終わったら、一緒に帰ってきます」
「来週ですね。メニューについては、ザックも交えて、あとで決めましょう」
「はい。ありがとう、ユリウスさん。楽しみです」
「いえ、当然のことです」
拓海が嬉しそうに笑う。さあ、この良い雰囲気のままいこう。
ユリウスが拓海の目を見て言う。
「では、始めましょう。魔法の授業を」




