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57 嫌われ者のルル(後)

「あー、楽しかった」

 駅の裏通りにある小さなカラオケ店を出たリリアーナは、夜気に頬をなでられながら、さっきから同じ言葉を繰り返していた。


「お嬢が、あんなに上手だとは知らなかったよ」

 ルルが感心したように言うと、リリアーナは「えへへ」と、ちょっと照れたように頬をかく。


 その時、リリアーナが背負っていたリュックから、エリンがにゅっと顔を出した。

「お、もう出ていいぞ」

 ルルがリュックからエリンをそっと引き上げ、リリアーナに渡す。


 エリンの柔らかな毛並みが気持ちよくて、リリアーナはつい「猫吸い」ならぬ「エリン吸い」をしようとして、「こら、そんなの外でしない」とルルが止める。


 カラオケはエリンにとってうるさいだろうと思って、今回は留守番をしてもらうつもりだった。けれど、エリンも行きたいと騒いだため、全員で行くことになった。


 そのせいで、駅前の大型カラオケ店ではなく、裏通りにあるペット同伴可の小さな店を選ぶことになってしまった。

 駅前の店なら、ドリンクやフードが充実しているらしいが、さっき行った店は飲み物しかなかった。


 それでも、うちの皆は十分に楽しんでいたようだ。

 リリアーナが歌っている間、エリンはソファーの上にちょこんと座り、しっぽでリズムをとるようにパタパタと振って、場を盛り上げていた。

 エリンと顔を突き合わせて、「また行こうね」と言っているリリアーナに、思わず口元がゆるむ。


 リュックを閉じようとしたルルが「あ、しまった。さっきの店に、たい君、忘れてきた」と言い出した。

「にゃっ!」

 たい君と聞いて、エリンが慌てだした。たい君というのは、エリンお気に入りの、たい焼きの形をした小さなクッションなのだ。


「じゃあ、また行かないとね」

 リリアーナの瞳が、ぱっと嬉しそうに輝く。さっきまでの歌の余韻が、もう一度戻って来たみたいだった。


「あたいが行ってくるから、お嬢とエリンはここで待ってな」

 ルルはそう言ってリュックを背負い直す。


「えー、あたしも行きたい」

「行ったら、もう一時間、歌うつもりだろ?」

「うっ。そ、そんなつもりは……」


 言いながら、リリアーナは視線を泳がせる。図星なのは、丸見えだ。

 ルルはそんなリリアーナの頭をポンと叩き「すぐ戻って来るから」と言い残して、さっきの店へ走り出した。


◇◇◇


「あ、さっきのお客さんですね。忘れ物、預かってますよ」

 カウンターにいる愛想のいいおばさんが、エリンのクッションを渡してくれた。

「良かった。ありがとう」

 ルルはクッションを受け取ると、リュックに押し込む。それからすぐに踵を返し、店を出た。ドアのベルが、ちりんと短く鳴る。


「すっごく綺麗な人でしたね」

 空になったグラスを下げてきたアルバイトの大学生が、名残惜しそうに閉まりかけたドアを見つめる。

「ほんと、妹さんも可愛かったし、猫ちゃんもおとなしくていい子だったし」

「「また来てくれないかな」」

 二人の声が揃った。静かだった店内に、楽しそうな笑い声が響いた。


◇◇◇


「ねえねえ、誰かと待ち合わせ?」

 ルルを待っていたら、知らない男の人が声をかけてきた。

 スーツは着ていない。大学生かな。髪を染めた、ちゃらそうな二人連れだ。


「よかったら、一緒に遊ばない?」

「ご飯、まだなら奢るよ」

「結構です。これから家に帰るところなので」


 できるだけ普通の声でそう言うと、片方が口を尖らせた。

「えー、そんなこと言わずにさ」

 にじり寄ってくる見知らぬ二人に、腕の中のエリンが低くうなり始めた。子猫の姿のエリンがここで暴れたら、まずい。


「お待たせ、妹よ。さあ、帰ろう」

 ルルが男たちの間にすっと割り込み、そのまま男たちを押しのけて、あたしの肩を抱く。

「うん」

 返事をするより早く、あたしたちは歩き出した。


「わあ。お姉さんもいるじゃん。しかも、めっちゃ美人」

「俺らも二人だしさ。ね、これから二対二でデートしよーよ」


 すたすた歩いていくあたしとルルの後ろに、二人はぴったりとくっついてくる。

 歩くたびに背中に視線が刺さるみたいだけど、ルルはそんなのどこ吹く風で、鼻歌なんか歌っている。


 無視して歩いていると、小さな公園に差し掛かった。

 街灯に照らされた遊具がぽつぽつと並んでいて、ベンチには誰も座っていない。

 繁華街から少し離れたせいか、人の笑い声や音楽は消え、車の走る音が遠くで聞こえる。


「よし。ここらへんでいいかな」

 ルルが足を止めた。


「え、なになに、お姉さん。こんな静かなとこまで俺たちを連れてきてさ」

「もしかして、楽しいことしたいのかな?」

 男たちがおバカなことを言い終えた瞬間だった。

 風を切る音とともに、男の一人が視界の隅から吹っ飛んだ。


「へ?」

 隣にいたはずの連れがいなくなり、残った男が驚きで目を丸くする。

「な、何するんだよ!」

「あんたたち、この子の髪を触ったり、腕を引っ張ったりしてたろ。見てたよ」

 ドスの利いた声が、公園に響いた。

 美女の静かな怒りに触れて、男はびびったのか、顔をひきつらせる。


「そ、そんなの大したことじゃ――」

 言い終える前に、足が地面から離れた。

 ルルの見事な回し蹴りが決まり、男の体が宙を舞う。

「うわああーー」


 ルルは地面に這いつくばる二人を見下ろして言う。

「大したことがない? うちの妹は、大したなんてもんじゃない、とびっきり極上なんだよ。わかったか、このボケナスが!」

「ひいっ……」


 あたしはルルに背中を押されて、歩き出した。

 背後で、砂利を踏む音がした。

 さっきの男の一人が、フラつきながら立ち上がる。手には、小さな果物ナイフ。


「まだやる気?」

 ルルが振り返った、次の瞬間。

 男は悲鳴をあげて、その場にひっくり返った。

 自分を見下ろすルルの瞳が、鮮血を宿したみたいに真っ赤だったのだ。


「さ、行くよ」

 ルルが歩き出したので、あたしは慌ててその後を追いかける。


 街灯の下でちらりと見たルルの顔は、さっきの凄みが嘘みたいに、もういつものふざけた顔に戻っていた。


「ねえ、ルル。格闘技なんていつ習ったの?」

「はあ? そんなの習ってる暇なんてないよ。誰かさんのお世話が忙しいもん」

「えー、だって、さっきの回し蹴りすごかった」

「ああー、あれは……まあ、なんていうか体が勝手に動いただけ。たまたまだよ」

「たまたまねえ……」


 でも、あたしは知っている。ルルは仕事が休みの日になると、ふらりといなくなることを。

 魔界でお留守番しているポーリンに行き先を聞いたら、「ルル先輩は、ダウンタウンにある体術の教室に行ってるんす」って、前に教えてもらったんだから。

 それなのに、あたしには「デートだ、合コンだ」って、誤魔化して。

 口は悪いけど、何かあるときは、こうしてそばにいて、あたしを守ってくれる。


「ねえ、ルル。帰ったら、お茶淹れてあげる」

「お、いいね。運動したから喉が渇いたよ」

「うん。だから早く帰ろう、あたしたちの家に」


 その言葉に、ルルはちょっと驚いたように目を見開き、ふっと笑みをこぼす。

「そうだな。お嬢とあたい、エリン、みんなの楽しい家に」


 ルルはふと、昔のことを思い出す。

 十二歳で故郷を飛び出して、あたいには帰る場所がなくなった。

 でも、今は……。


 前を歩く、少し大きくなったリリアーナの背中を見て、ルルは目を細める。

 アスファルトに揺れる二人と一匹の影が、静かに家路をたどっていく。



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