56 嫌われ者のルル(中)
あたいは裏口の扉の前で、水の入ったバケツを両手に提げたまま立たされていた。
裏口を行き来する召使いたちが、じろじろとあたいを眺める。
「また何かやらかしたの?」
「お嬢様の部屋で、のうのうと寝転がってたんだってさ」
「ほんと? 拾ってもらったくせに、罰当たりな子だこと」
「仕方ないよ。あの子、コウモリ族でしょ。身分も低けりゃ、お里も知れてるってね」
わざと聞こえるように喋る召使いたちを、あたいはきっと睨みつける。
連中は、
「おー、こわ」
「見た? あの真っ赤な目」
「ほんと、気味が悪い」
と、薄ら笑いを浮かべて、さっさといなくなった。
コウモリ族は、感情が昂ると瞳が赤く染まる。
それは「大昔に人の血を啜っていたせいだ」なんて迷信まであって、コウモリ族は魔界じゃいつだって嫌われ者なんだ。
その証拠に、同室だった奴は「あたいと一緒は嫌だ」って言って、他の部屋に移っていった。
くそ、くそ、くそ。
こんなとこ、こっちから出て行ってやる!
たっぷり一時間立たされたあとには、アマンダからのお説教が待っていた。
厨房の隣にある召使いたちの食堂で、あたいはアマンダと向かい合って腰掛けていた。
「私たちは、奥様とお嬢様にお仕えする身なのよ。だから、いくら遊びでも、お嬢様に召使い役なんてさせるのは失礼に当たるの」
「……でも、あいつ、喜んでやってたけど」
「ルル! さっきも言ったわよ。私たちは、奥様とお嬢様にお仕え――」
「頼んでない」
「え?」
「働きたいなんて、頼んでない。そっちが勝手にあたいを引き留めたんだ」
ぷいっと横を向いて体を強張らせるあたいに、アマンダは何か言いかけてから、はあっと大きくため息をついた。
「ルル。あなた、口は悪いし、仕事も雑だし、態度も悪い。正直、みんなから苦情が出ているわ」
「ふん。だったら追い出せばいいだろ。あたいだって、その方が――」
「でも、勉強は楽しいでしょ? 奥様の御意向で、あなたには仕事の合間に勉強する時間が与えられている。それがどれだけ破格の待遇か、分かってる?」
そう、あたいはこの家に来てからこのアマンダに勉強をみてもらっている。
学校もろくに行けなかったから、知らなかったことを知っていくと、自分の世界が広がるみたいで、すごく楽しいし面白い。だけど、そんな感謝してるみたいなこと、面と向かって言ってやるもんか。
「……どうやら、まだ反省が必要なようね。今夜は食事抜きよ。部屋に戻って、今日のことをじっくり考えなさい」
勝手なこと言いやがって……。でも、あたいだって分かってる。ここを追い出されたら、前の生活に逆戻りだ。あたいには、帰る家なんてない。
それにしても、なんだよ飯抜きって。こっちは成長期なんだぞ。
むかっ腹を立てたまま廊下を歩いていると、諸悪の根源が走ってやって来た。
「ねーね! お話おわった? リリの部屋で遊ぶ?」
「遊ばないよ」
あたいは冷たく言い放ち、前を向いたまますたすた歩く。
それでもリリアーナのやつは、ぴったりまとわりついて離れない。
「ねーねのお誕生日、もうすぐだよね。プレゼント何がいい?」
「はあ? 誕生日? なんでそんなの知ってるんだよ」
「アマンダに聞いたー」
にこにこ笑っている顔があんまり幸せそうで、なんだか余計に腹が立つ。
ちょうどそのとき、窓の外の庭に立つ大きな木が目に入った。
「なあ、あたい、すっごく欲しい物があるんだ」
「え、なになに?」
よし、乗って来た。
「あれだよ」
あたいは庭の木を指さす。
「あの木のてっぺんに、ひとつだけ赤い実がなってるだろ。あれが欲しいんだ」
「ねーね、あれがほしいの?」
「うん。すごーく」
「わかった、ベルナーさんに取ってもらう」
ベルナーとは、あたいを捕まえた護衛役の男だ。
走り出そうとするリリアーナの襟をつかんで止めて、あたいはその場に膝をつき、目線を合わせてやる。
「他の人が取るんじゃなくて、リリアーナがやるんだよ」
「でも……たかいから、リリじゃとどかないよ」
「えー、取ろうともしないで、もう諦めるの? ちえっ。あれが取れたら、もっと仲良くなれると思ったのになあ」
あたいが残念そうに言うと、リリアーナはなんだかやる気に火が付いたみたいだった。
ばーか。取れるわけないだろ。木登りもできないくせに。せいぜい木の下で、めそめそ泣いてろ。
だけど、その次の日、事件が起きた。
あたいの言葉を真に受けたリリアーナが木に登り、足を滑らせて落下したのだ。
誰かの悲鳴と、どたばたした足音が響き、屋敷は一気に騒然となった。
リリアーナの容態が知りたいのに、誰も教えてくれない。
肝心のアマンダは、奥様のところにこもりっきりで、姿を見せなかった。
どうしよう。あたいのせいだ……あたいが、あんなことを言ったから。
あたいは食事も喉を通らず、夜もろくに眠れなかった。
リリアーナが落ちてから、そんな夜が何日も続いた。
そして、ある日の明け方、ようやくうとうとし始めた頃、何かが顔に触れた。はっとして目を開けると、ピンクの毛玉が――もとい、リリアーナが隣に寝ていた。
「お、おい。お前、怪我は? もう大丈夫なのか?」
「うーん。ねーね? ふぁああ……ねむーい」
「おい、寝る前に答えろよ。体は大丈夫なのか?」
「……ふぁあ。うん。あのね……お母さんがね、なおしてくれたの」
だめだ。こいつ、寝ぼけてる。
「そうだ、これ、ねーねに」
リリアーナが何かを渡してきた。
あたいはベッドの脇にある電気スタンドのスイッチを入れる。
それは、赤い何かの絵だった。
「ほんとうは赤い実をあげたかったんだけど、リリ、落ちたときに、わっちゃったの。だから代わりに、これ描いたの」
「描いたのって……」
殴り書きしたような赤い線があるだけだった。
おいおい、下手過ぎないか? 呆れてリリアーナを見ると、リリアーナがにっこり笑った。
「ねーね。お誕生日おめでとう」
「え?」
「今日、ねーねのお誕生日でしょ。リリね、いちばん最初に言いたかったんだよ」
その言葉を聞いた途端、なんだかリリアーナの顔がぼんやりしてきた。
な、なんだよ、これ。勝手に目の奥が熱くなる。
今まで、どんなにつらいことがあっても、泣いたりなんかしなかったのに……。
リリアーナが無事で、その優しさが胸に染みて、思わずこぼれそうになった涙をぬぐっていると、リリアーナが小さくあたいの腕を引っ張った。
「ねーね。ごめんね」
「うん? 何が?」
「ちっこ、でちゃった」
あたいのベッドに、立派な世界地図が出来ていた。
◇◇◇
あのときもらった、赤い実の絵。ほんと、へったくそ。
でも、その真っ赤な線を見ていると、あの夜のリリアーナと、ベッドの惨状にあわてふためく自分の姿が、ありありとよみがえる。
いつの間にか、ルルの口元はほころんでいた。
そのとき玄関で声がする。
「ルル。用意できたよ。早くカラオケ行こう」
「わかった。いま行く」
あたいは指先でそっと紙片の端をなぞり、かつてリリアーナにもらった絵を引き出しにしまう。
そして、今のあたいを待っている、大切な妹分のもとへ向かった。




