54 過保護かも
その日の夕方。
マンションのキッチンでは、ルルが鼻歌まじりに夕飯の支度をしていた。
リリアーナからリクエストされたハンバーグを作っているのだ。フライパンから、じゅうじゅうと肉の焼ける音がして、香ばしい匂いが立ちのぼる。
リビングでは、ディータイガーのエリンが、たい焼きの形をしたクッションに噛みついたり、抱きかかえて後ろ足で蹴ったりと、ひとりで楽しそうに転げ回っている。
ふいに、エリンの動きが止まった。ぴん、と耳が立ったかと思うと、玄関に向かってダッシュする。
「ただいまー」
「にゃーん」
ちょうどドアが開き、エリンは帰って来たリリアーナに飛びついた。お互いに顔をすりすりして、再会を喜び合う。
リリアーナは、エリンを抱っこしたまま、居間に入って行く。
「ルル。ただいまー」
「お嬢、お帰りー。もうすぐ料理出来るけど、どうする? ちょっと早いけど夕ご飯にする?」
「するー。もう、お腹ぺこぺこよ」
キッチンから流れてくる、こんがり焼けたハンバーグの香りに、リリアーナの顔がぱあっと明るくなる。
「わあ、ハンバーグだ。やったあ!」
リリアーナとエリンが、ぱちんとハイタッチを交わした。
「じゃあ、ご飯にしよう。おっと、ソファーでダラダラしないで、着替えてきな」
「はあーい」
リリアーナは自分の部屋に向かおうとして、カウンターに置かれた籠の中のリンゴを一つ、ひょいと手に取った。
「ちょっと聞いてよ、ルル。今日、部活の前に、皇子に会ったんだけどさ、皇子って、あたしを見るとやけに顔が赤くなるの」
「へー、そうなんだ」
「うん。しかも、会話もぎこちなくなってね。なんだか挙動不審な態度なの。ねえ、どうしてだと思う? ひょっとしてこの間の件、あたしだって気が付いて、警戒してるのかな?」
「それは違うだろ。赤くなるのは、きっと……」
「きっと?」
「あー、それは一旦おいといて、早く着替えてきな。料理出来たからさ」
カウンターの向こうで、ルルは手際よくハンバーグを皿に移していく。
「わあ、美味しそう。速攻で着替えてくる」
そう言うと、リリアーナは手にしていたリンゴを籠に戻し、スカートの裾を翻して、自分の部屋に駆けていく。その後ろ姿を見送りながら、ルルがぽつりとこぼした。
「皇子が赤くなるのなんて、お嬢のことを意識してるからに決まってるだろうに……。まったく、いつまでたっても子供なんだから」
呆れたように首を振るルルの足元で、エリンが「にゃあ」と短く鳴く。まるで同意するかのように、たい焼きクッションの上で尻尾を一度だけパタンと振った。
「いただきまーす」
食卓をはさんで向かい合いながら、リリアーナとルルはハンバーグにナイフを入れる。そばでは、エリンも自分の皿に盛られた夕飯を夢中で食べている。
ハンバーグを一口頬張ったあとで、思い出したようにリリアーナがルルを見た。
「そうだ。佳奈ちゃんに今度、一緒にカラオケ行こうって誘われたんだけど、行ってもいい?」
「カラオケ? あー、防音の部屋で歌うっていうやつか」
「そう、それ。行ってみたいんだけどいい?」
「じゃあ、同行者全員の氏名、カラオケの入店時間と退店時間、それ以外の訪問場所、を事前申告すること。検討するからさ」
「そんなあ、時間なんて行かなきゃわからないし。一緒に行くのは、前に紹介した佳奈ちゃんだから、大丈夫よ。行かせて、ね、お願い」
必死な目で訴えるリリアーナ。
「じゃあ、食後の皿洗いをしてくれるなら、許可する方向で検討の準備に入るかも」
「本当? 嬉しい! って、ちょっと待って。それって何、行っていいの、駄目なの、どっちなのよ」
「まあ、それは皿洗いしてる間に、考えておくよ」
ルルがにやりと笑う。リリアーナは外出するとき、ルルの許可がいる。それは、両親に内緒で家を抜け出し、人間界で生活するにあたっての、絶対不変のルールだった。
「あたし、これでも貴族令嬢なのに……人間界に来てから、家事させられすぎじゃない?」
「人間界に来たからこそ得られる、貴重な体験だよ。ほら、さっさと働く」
ルルに急かされ、リリアーナはため息をつきつつ食器をキッチンへ運び、そのまま皿洗いに取りかかる。
「そうだ。皇子ってね、エイドスついてるのよ。もう、笑っちゃうよね」
食器を洗いながら、リリアーナがふと思い出したように笑う。
「へえ、そうなんだ」
「あんな大きな子にまでつけるだなんて、ぷぷ。恥ずかしいったらないわよね」
「まあ……大切な相手、だからなんだろ」
「えー。それって、過保護って言うのよ」
その言葉に、ルルはふっと笑みをこぼし、思いついたように提案を切り出した。
「ねえ、お嬢。今日は夕ご飯も早く済んだし、ちょっと下見に行かないか?」
「下見?」
「そう、お友達と行く予定の、ね」
ぱっと、リリアーナが満面の笑みを浮かべた。
「行きたい!」
「明日も学校があるから、一時間くらいで帰るからね」
「うん。わかった。支度してくる!」
弾む足取りで自分の部屋に向かうリリアーナの影が揺れ、その足元の影の中から、ひょいっと小さな顔が覗く。その顔はコディにそっくりだが、頭に赤いリボンをつけている。
「家で留守番してるかい? エマ」とルルが声をかけると、エマは小さく首を横に振る。マイクを握る真似をしてみせてから、すっと引っ込んだ。行きたいという意思表示なのだろう。
そのささやかな仕草に、ルルは目を細めた。
「まあ、確かに、過保護かもしれないね」
ルルは自嘲めいた笑みを浮かべ、独りごちると、身支度を整えるために自分の部屋へ向かった。
自室には大きな机があり、その上には精緻なつくりのドールハウスが据えられている。壁際の本棚には、読み込まれた本や書類がきちんと並んでいた。
机の引き出しから外出用の伊達眼鏡を取り出そうとして、奥にしまわれていたジュエリーケースが目にとまった。
ルルはそれを取り上げ、中に収められていた一枚の紙片をそっと取り出す。
「懐かしいなあ」
ぽつりとこぼしたルルの胸に、ふとリリアーナと出会った頃の記憶がよみがえる。




