52 紙芝居の罪
それは、離宮で暮らし始めて、まだ間もない頃のことだ。
使用人たちの住居棟の裏手に広がる小さな森で、俺は自分の主であるガキんちょの姿を探していた。
「おーい、ユリウス……さまー。メイドのおばちゃんにお菓子もらったから、食べようぜー」
大声で呼びかけるが、反応がない。
けれど、すぐそこの木の後ろに隠れているのはお見通しだ。なんてったって、俺は鼻がいいんだ。
「あー、腹減ってるから早く食べたいのに、ユリウスが……こほん。ユリウス様が出て来てくれないと、困ったなあ。食べられないぞー」
わざと大げさに喋っていると、小さな主が、観念したように姿を見せた。
「……僕は、お腹空いてないから、ザックさん、食べて」
「あのなあ。おばちゃんは、俺たち二人にってくれたんだ。だから、これは二人で食べないと意味ないだろ」
俺はうんざりしたように、小さな主の顔を覗き込んだ。さっきまで泣いていたのか、目が赤い。
「おい。泣くことないだろう。叱られて罰を受けたのは俺なんだぞ。見てただけのユリウス様は、どっこも痛くないだろうが」
俺が呆れたように言うと、また、ぐずぐず泣き始めた。
あー、くそう。泣かすつもりじゃなかったのに。
「と、とにかく、座れ」
ちょっと強引に、木の根元に座らせた。俺も、ごつごつした根っこに腰を下ろして、小さな手に焼き菓子をそっと乗せる。
「ほら、甘いもの食べて、元気出せ」
俺は焼き菓子を食べようとして、「うっ」と頬を押さえた。叩かれた時に口の中を切ったのか、痛みが走ったのだ。
「痛いの? 僕、お薬もらってくる!」
「おいおい。薬だなんて、大げさだ。こんなの、大したことない」
「でも……」
不安そうな青い瞳を安心させようと、俺は痛みを無視して、焼き菓子を頬張った。
「ほら、大丈夫だろ。さ、食べろよ」
「……うん」
やっと食べてくれた。だけど、食べてしまうと、特に話すことがない。
仕方なく、俺は空を見上げた。
あー、この空は俺の家にも続いてるんだよなあ。そう思ったら、家族の顔が浮かんだ。
親父に「ユリウス様はまだ小さい。お前が、しっかりお守りするんだぞ」なんて言われて、故郷を出た日のことを思い出す。
そんなこと言われてもさ、俺、どうすりゃいいんだよ、親父。
皇子はいかれてるし、離宮の使用人たちは、狼族の俺のことを毛嫌いしている。あいつら、俺がなにかやらかすたびに、罰を与えようと躍起になってるんだ。
ふん。あいつら、自分たちの方が上だって、俺に思い知らせたいんだろうな。ちっせえ、奴らだぜ。
とは言っても――。
思わず、はあーっと大きなため息が出た。今の自分の生活が情けなくて、やりきれない。
「ごめんなさい。僕の従者になったせいで、ザックさんはつらいことばっかりで」
いけね。また落ち込みモードにさせちまった。泣かれるのは面倒だぞ。なんとかしないと。
「まあ、あれだ。さっきぶたれたのは、俺の口の利き方が使用人らしくないっていう、城の召使い筆頭からの、その……愛のムチだ」
「愛の?」
「そうだ!」
「……違うと思うけど……」
「いいんだ。俺がそう思ったんだから、お前も……ユリウス様も、そう思って、もう泣くな」
何か言いかけた主の小さな頭を、俺はわざとらしくわしゃわしゃと撫でまわした。
そうだ。俺に何かあるたび、ユリウス様は泣いていた。
そして後悔していた。皇子の手を取ったことを。
自分の選択のせいで、俺が不幸になったと思い込んでいたんだ。
何度違うと言っても、自分を責め続けて、俺に隠れて泣いていたっけな。
俺の半分くらいしかなかったユリウス様も、今では立派な青年だ。
なのに、その心の傷だけは、まだ癒えていない……。
ザックは、軽々しく和解を勧めたことを後悔した。
「すみません。差し出がましいことを言いました。もう、この話はしません」
「……ああ。そうしてくれ」
ザックの真剣な眼差しに触れて、ユリウスもようやく落ち着きを取り戻した。
「ユリウス様が淹れてくれたコーヒー、いただきますね」
「インスタントだけどな」
「もう、さっきのは冗談ですから」
慌てるザックの様子がおかしくて、ユリウスは小さく笑った。
二人は、すっかり冷めたコーヒーを黙って飲んだ。
「今更ですが、傷の話をしたのはまずかったですね。軽率でした、すみません」
「済んでしまったことはもういい。それよりも、拓海様が抱いた皇子様の悪印象を、どう払拭するかが問題だ」
「うーん。あれは俺の勘違い、皇子様は民に尊敬される立派な人物だった……そういう話にもっていくのは、どうですか?」
「民に尊敬されるって、真逆じゃないか……でも、そうだな。この際、そういう設定にしておくのが無難だな……よし、その線で話してみよう」
何とかなりそうだとユリウスがほっとしたのも束の間、ザックが何かを思い出したように、急に焦り出した。
「まずいですよ、ユリウス様」
「なんだ? まだ、何かあるのか?」
「あの仮面の娘です」
「仮面の? ……ああ、あの侵入者か。あいつがどうした?」
「ユリウス様が言ってたじゃないですか、あの仮面の娘が、皇子様のことを紙芝居で教えてたって」
「あ!」
思い出した。あの娘、紙芝居を使って、皇子の悪行を詳しく説明していた。
なんて、なんて、余計なことをしてくれたんだ。今度会ったら、お仕置きを倍――いや、三倍だ!
瞳に怒りの炎を宿し、拳をきつく握りしめるユリウスであった。




