51 ザックの黒歴史
拓海を寝室まで送り届けたユリウスは、すぐさま台所に取って返した。
そこには判決を待つ罪人の如く、うなだれたザックが待っているからだ。
「まったく、あんなに大泣きさせるとは」
ユリウスはザックの正面に、どかっと腰を下ろすと、苛立ちを隠そうともせず睨めつける。
「何があった」
「は、はい。拓海様と会話をしていた流れで、その……俺の額の傷のことを、ですね」
「まさか、話したのか?」
「はい。話して……しまいました」
その言葉に、ユリウスの青い瞳が一瞬、ぎらっと刃物のように光った。
「ひっ! だ、大丈夫です。それ以外の、毒サソリや氷漬けにされかけた話、その他諸々なんかは喋ってません。本当です。安心してください!」
「当たり前だ! 拓海様の心を乱してどうする。今後、絶対に過去の話はするなよ」
「はい。肝に銘じます!」
ザックは姿勢を正し、びしっと敬礼をしてみせた。
けれど、その言葉とは裏腹に、その態度にはどこか真剣味が欠けている。ユリウスは胡乱な視線を向けた。
二人の間に、気まずい空気が流れる。これ以上の不興を買うまいと、ザックは口を閉じていたが、やがて沈黙に耐えられなくなってきた。
不意に、ユリウスが席を立った。無言のままコンロの前に移動し、薬缶に水を入れて湯を沸かし始める。
ザックは盗み見るように、ちらちらとユリウスへ視線を送った。
湯が沸くと、ユリウスはマグカップに粉を入れ、湯を注いでコーヒーを淹れた。それをザックの前にそっと置く。
ザックは、鼻をくんくんと鳴らし、
「あれ、インスタントなんですか?」
「お前なあ!」
「はは。冗談です。ありがたく頂戴します。あちっ」
もう許されたとばかりに軽口を叩くザックの姿に、ユリウスはやはり反省などしていなかったと確信した。
そして、にっこりと笑った。
「なあ、ザック。そんなに昔話がしたいのなら、俺がしてやろうか」
「へ?」
「初めて会った時、『こんなガキの面倒、この俺様が見られるか』ってお前は言った」
「な、そんな昔のこと!」
「それで、ゲイルに『きちんと挨拶しろ』って怒られた」
「あ、あの頃の俺は世間知らずの、イキってたガキだったんです。自分の役割なんてこれっぽっちも理解してなかった……だから、あれは……俺の黒歴史です」
「うんうん。そうだろうな。あの時、ゲイルに拳骨されて泣いてたし」
「それは言わない約束でしょ!!」
「どうだ。昔話なんてするもんじゃないだろう? だから、これに懲りて、もうしないでくれ」
「はい……すみませんでした」
心から反省した様子のザックを見て、ユリウスはようやく安堵のため息を漏らした。
「俺は、できるだけ早く魔界へ帰りたいんだ。そのためには、家庭教師役を無難にこなすのが、一番の近道だと思っている。なのに、拓海様に皇子様の行いや人柄なんか教えてみろ、気に病んで皇子教育は嫌だと言い出すかもしれない。そうなったら、また無駄に時間を浪費することになる。そういうリスクを避けるためにも、皇子様の情報は伝えないほうがいいんだ」
ザックは神妙な顔で「はい」と頷いたものの、何か思うところがあるのか、浮かない顔をしている。
「なあ、ザック。どうしたんだ? 今日、お前、変だぞ。何かあるんだったら、話してくれないか」
「……ユリウス様。俺、拓海様なら、大丈夫なんじゃないかって、思うんです」
「どういうことだ?」
怪訝そうに眉をひそめるユリウスの前で、ザックはひとつ深呼吸をし、思い切って口を開いた。
「俺たちと拓海様の間には、大きなわだかまりがあります。あ、いえ、この場合、拓海様の前世、つまり皇子様ってことです。……そりゃあ、色々ありましたよね。俺だって、散々な目にあって、許せないって思ってました。でも、拓海様って、すごくいい子なんですよ」
「………………」
「今の拓海様となら、その……過去の和解が出来るんじゃないかって……」
「は、そんなの必要ない」
「ユリウス様……」
「時間を巻き戻せるわけでもあるまいし、今さら謝罪されたからといって、全てを帳消しにするのか? そんなこと、出来るわけないだろう」
「ユリウス様の気持ちもわかります。俺もそうでしたから。……でも、拓海様は違うんです。思いやりもあるし、人の痛みがわかる子なんです……皇子教育が終わって魔界に戻る前に、過去に決着をつけられたら、ユリウス様も、もっとすっきりした気持ちで新生活が――」
どん、とユリウスの拳がテーブルに叩きつけられた。
「……やめろ。この話は終わりだ」
「ですが、ユリウス様。長年のわだかまりを、この機会に――」
「忘れられるわけがない!」
ユリウスが、震える声で叫んだ。
「ザックがされた事を、忘れるだなんて……そんなの、そんなこと、絶対に無理だ」
まっすぐ自分を捉える青い瞳が、深い悲しみの色に染まっている。
そのときザックは思い出した。自分が皇子から虐げられる度に、誰よりも苦しんでいたのは、ユリウスだったことを。




