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50 大好き

「勉強終わったー。今日もよく頑張った、偉いぞー、僕」


 湯船に浸かった拓海は、解放感にゆるゆると顔をほころばせた。

 洋風だったバスルームは、去年、純和風にリフォームされていた。

 檜の浴槽からは、さわやかな木の香りがして、つい長風呂になってしまう。


「はあ~。やっぱりお風呂はいいよね。生き返る~」


 鼻歌まじりに体を洗っているとき、ふとザックさんのことを思い出した。

 魔界とは違う、日本式の入浴はどうだったのか気になって、以前、感想を聞いたことがある。


『え、風呂ですか? 拓海様、俺、いつもはシャワーだけなんです。だから、こんな立派な湯船に浸かるのって初めてで、最初は落ち着かなかったんですけど……いまじゃ、風呂に浸からないと駄目な体になっちゃいましたよ』

 そのとき嬉しそうに笑っていたザックさんの顔を思い出し、口元が緩む。

 同時に、胸の奥がずきんと痛んだ。



 入浴を終えた拓海は、「お風呂空きました」とユリウスに声をかけてから、台所へ向かった。

 台所では、ザックが料理本を読み耽っていた。


「ザックさん」

「あ、拓海様。何か飲みますか?」

「大丈夫。自分でやります」


 そう言い終える前に、ザックはさっとグラスに水を注ぎ、拓海の前に持ってくる。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 拓海は礼を言ってザックの向かいに座り、水を一口飲んだ。

 それから、グラスをテーブルに置き、じっとザックを見つめる。


「え、俺の顔に何かついてます?」

「いえ、ついてません……。あの、ザックさんは幸せですか?」


 思いがけない問いかけに、ザックは一瞬きょとんとしたが、すぐに真顔になった。


「俺の身分のこと、気になりますか?」

「授業で習って……魔界で、その、大変だって……」

「そうですね」


 ザックは少しだけ視線を落とした。


「俺は、自分が狼族だということに誇りを持ってます。でも、俺たちに偏見を持つ奴も多いですよ。なにせ、満月を見ると、怖―い狼に変身しちゃいますからね」


 ザックは両手の指を曲げて爪を立て、相手を威嚇するみたいに、「がおー」とポーズをとってみせた。

 てっきり拓海が笑ってくれると思ったのに、その顔は浮かないままだ。


「……確かに魔界で、俺たちは差別の対象です。病気になっても、医者が診てくれないなんて日常茶飯事ですよ」

「え!」


「でも、そんな俺たちのことを気にかけてくれる方もいます。ユリウス様の一族です」

「ユリウスさんの……」


「はい。ユリウス様のところは、代々、医療を生業としてきた一族です」

 ザックは、どこか誇らしげに続けた。


「これは俺も、親父から聞いた話なんですが……昔、魔界でとある伝染病が流行したそうです。そのとき、市民は我先に医者や薬を求めました。当然、狼族の間でも病が広がって、大勢の患者が出ました。族長が必死に病人の治療を頼んでも医者は来てくれないし、薬は高価で手が出なかったそうです」


「そ、そんな……。それで、どうなったんですか」

「親父が言うには、一族全滅も覚悟したそうです。でも、そんなときに大量の薬を抱えて駆けつけてくれたのが、チェザーレ一族だったんです」


「チェザーレ?」

「ユリウス様の一族の名です。その方たちのおかげで、大勢の者が助かったらしいです」


 ザックの言葉に、拓海はほっと安堵の表情を浮かべた。


「それで、そのことに恩義を感じた当時の族長が、チェザーレ一族の当主が結婚するとき、その方に仕え、その身を守る者を送ると約束を交わしたんです」


「え、じゃあ、ユリウスさんとザックさんは」


「はい。ユリウス様がチェザーレ一族の当主、俺はその護衛です。まあ、表向きは従者ってことになってますけどね」


 思いもよらない二人のつながりに、拓海は圧倒されて言葉を失った。


 正確には、ユリウス様は当主じゃない。

 そこから先を語るには、()()()をしなきゃならない。でもそれは俺が口にしていいことじゃない。

 そう心の中で呟いたところで、拓海がぽつりと言った。


「皇子と暮らしていた時、二人は幸せでしたか?」

「え、え、え。なんでそんなことを、今、聞くんです?」


「授業の途中、ザックさんが何度か乱入したのって、ドアのところで様子を伺っていたんですよね。それって、僕がおとなしく授業を受けるか心配したんじゃないかって、そう思いました……」


「あ、それは……」


 自分の行動を見透かされて、ザックはばつが悪くなり、どうやってごまかそうかと一瞬考えた。

 けれど、真正面から向けられた拓海のまっすぐな視線に、真摯に向き合おうと心を決める。


「はい。拓海様のおっしゃる通りです。二人が心配で、ドアのところに控えていました」


「やっぱり、そうですよね……魔界の暮らしは大変で、前世の僕はきっと意地悪で二人は苦労したのに、今も不安にさせるなんて……僕、全然駄目ですね。ごめんなさい」


 その言葉に、ザックはふうっと息を吐くと、がばっと前髪をかきあげた。

 髪の生え際に、小さいがくっきりとした傷があった。


「これは、皇子様にやられた傷です」

「!」


「狼族の血は何色だ、って尋ねられたあとに、いきなり剣で刺されたんです。それで流れた俺の血を見て、『なんだ、人と変わらないのか』って。そう言って、興味を失ったみたいに去っていかれました」


「ひ、ひどい……」


「正直に言います。俺は最初、あなたのことを警戒していました。以前みたいに冷酷非道で、ユリウス様や俺を、また苦しめるんじゃないかって……」


「ご、ごめんなさい。僕、僕……」

 拓海は真っ青な顔でうつむいた。


 ザックは席を立ち、拓海の横に腰を下ろすと、その背中をそっと撫でた。


「嫌なことを話してしまって、すみません。でも、皇子様と今のあなたは違うって、ちゃんと知ってほしかったんです」

「………………」


「俺がぽん介を捕まえて来た時、すごく怖かったはずなのに、俺を罰しなかった」

「そ、そんなの当たり前です!」


「初めて会った日、たくさん料理を作って待っていてくれた」

「二人が、何が好きか分からなくて」


「ショッピングモールでは、いろんな店に連れて行ってくれた」

「二人に楽しんでほしくて」


「ね、もうそこが決定的に違うんですよ。皇子様は、他人なんてどうでもよかった。無関心だったんです。でも、あなたは違う。俺たちの目を見て話してくれるし、俺たちの言葉に耳を傾けてくれる」

「ザックさん…………」


「だから、そんなに自分を責めないでください。あなたは優しくて思いやりがある人です……俺はね、そんな拓海様と暮らせて、幸せですよ」


 その一言で、拓海の涙腺が完全に崩壊した。

 堰を切ったように、声を上げて泣き出す。


「え、え、拓海様? 俺、そんな泣かせるようなひどいこと言っちゃいました?」


「う、うう。違う、違います……っ。ザックさんが、ザックさんが優しいから……! 僕、僕、ザックさんが大好きです!!」



 入浴を終えたユリウスは、タオルで髪を拭きながら台所の扉を開けた。

「おーい、ザック。風呂空いたぞ」


 そこで目に飛び込んできた光景に、思わずぎょっとする。


「うわっ! ど、どうした。これは一体……? 拓海様? おい、ザック」

 ひしっと抱き合い、滂沱の涙を流す二人の姿に、ユリウスは大いに慌てた。





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