49 魔界の生活は楽じゃない
皇子教育の時間になった。
本日の授業は、『魔界の身分制度と経済の仕組み』についてだ。
ユリウスが説明する経済の仕組みに、拓海は熱心に耳を傾けていて、表情もどこか晴れやかだ。
昨日までの自分の振る舞いで、拓海を不安にさせてしまった。でも、もう大丈夫そうだ。
俺自身も、拓海の中にあの方の面影を感じたせいで、心が乱れた。だが、もう気持ちの調整はできている。
そうだ。当初に決めたとおり、表向きは穏やかに接し、必要以上に踏み込まない。そうしていれば、誰も傷つかず、余計な痛みも生まれない。
胸の奥で暴れている葛藤さえ、抑え込んでおけばいい。
日常という仮面をかぶったユリウスは、いつものように静かな笑みを浮かべ、拓海に向き合っていた。
「では、今の説明で分からないところはありますか?」
「大丈夫です。でも魔界って、もっと怖いイメージがあったのに、思ったより人間の世界と変わらないんですね。働いて、お給料をもらうとか」
「魔界も貨幣経済ですから、生活そのものは近いと思います。ただ、人間界と違い、魔王様を頂点とした身分制度が存在します」
「身分かあ……貴族がいて、その下に一般市民って感じですか?」
「はい。概ね、その認識で問題ありません。ただ、特権階級の貴族にも上級と下級といった序列があるように、一般市民にも地位や財産、そして“種族”による優劣が存在します」
「種族?」
聞き慣れない言葉に、拓海はきょとんと目を丸くした。
「はい……。例えば、『獣人』と呼ばれる、獣に近い体つきの者たちです。他にも、狼族やコウモリ族という、人とは違う姿に変身できる者もいます」
ユリウスは、言葉を選ぶように一拍おいてから続けた。
「彼らは特に、就ける仕事や住める場所に厳しい制限があります。そのせいで、かなり苦しい暮らしを強いられている者も少なくありません」
「え、身分のせいで職業の自由がないって……。そんなの、みんな納得してるんですか?」
拓海の語気が、思わず強くなる。
「納得しているというより、諦めているって感じですかね」
休憩用の飲み物を持ってきたザックが、苦笑いしながら二人の前にマグカップを置く。
拓海は礼を言って一口飲むと、すぐに渋い顔になった。
「あれ? 拓海様には麦茶を入れたんですが、まさかアイスコーヒーでも入ってました?」
ザックが慌ててのぞき込む。
「あ、違うんです。さっきの話を聞いて、ちょっともやもやして……」
拓海の言葉に、ザックはふっと目を細めると、そのまま何も言わずに部屋を出て行った。
「魔王様の側近の中にも、貧困や差別で苦しむ民の生活を変えようとしている方がいます」
身分制度の話がどうにも釈然としない様子の拓海に、ユリウスがそっと付け足す。
「魔界にも、そういう人がいるんですね」
「はい。ブラッドフォード卿といって、少々厳しいところはありますが、不正を嫌う立派な方です」
ユリウスの目に、ふっと柔らかな色が射したのを見て、拓海はおやっと思った。
「その人、ユリウスさんの知り合いなんですか?」
「知り合いというか……私の上司です」
ユリウスの上司だと聞いた瞬間、拓海の目がぱっと輝き、
「どんな人なんですか?」と身を乗り出してきた。
「下級貴族の出身ですが、文武両道でして。その優秀さから魔王様の目に留まり、側近になったと言われています。あ、もしブラッドフォード卿について詳しく知りたいのであれば、『魔界貴族名鑑』という書籍に詳しい経歴が載っているはずです」
そう拓海に話しながらユリウスは、自分もまだ読んでいなかったことに気づいた。
今後のためにも、アンドリューさんに頼んでおくかな。
「あのー、本の名前からして、すでに難しそうな気がするんですが……」
拓海は、遠慮がちに口を開いた。
「はい。古語で記述されていますので、魔界人にとっても非常に難解な書物です。読むためには、まず古語を習得する必要があります。もし拓海様が望まれるのなら、古語の授業も……」
拓海は、慌てて手のひらを前に突き出し、ユリウスの言葉を遮った。
「それは、遠慮します!」
「しかし、古語を学べば知識の幅が」
「ユリウスさん」
拓海は、きっぱりとユリウスを見つめる。
「僕は皇子教育を始めたばかりです。今からあれこれ手をだすのは、時期尚早だと思います。まずは、目の前の授業に集中したいです」
これ以上、勉強を増やされたくないという拓海の強い意志を感じ取り、ユリウスは小さく息をつき、それ以上何も言わなかった。
「……ふ。わかりました。では、魔界の金融機関と貨幣の種類について説明します」
予定していた範囲まで無事に進んだところで、この日の授業は終了となった。




