44 台所で追いかけっこ
給食が終わった。
トランプに誘われたけど、僕はその輪には入らず、窓際の自分の席でぼんやりと外を眺めていた。
予鈴のチャイムが鳴って、校庭で遊んでいた孝太君が戻ってくる。
手にはサッカーボール。
「おい、拓海。あの件どうなった?」
「あの件って?」
「おまえんちに行きたいから、都合聞いてくれって頼んだだろ」
「あ! ……忘れてた。ごめん」
僕がまるっと忘れていたことに、孝太君が「はあーっ」とため息をついた。
「なあ、拓海。何かあったのか? 昨日から変だぞ」
「変って言われても……」
そのとき、学級委員の声がした。
「ちょっと、孝太君。昼休みに使ったボールは、ちゃんと職員室に返してこないと、駄目でしょ」
「いけね、忘れてた! ちょっと行ってくる!」
孝太君が慌てて教室を出て行く。
「もう。ほんと孝太君ってうっかりしてるんだから。そう思わない、拓海君?」
「あ、うん……そうだね」
腰に手を当てて教室のドアを見ているこの子は、僕と孝太君の幼なじみの夏美ちゃん。幼稚園のころから一緒で、僕らの中では一番のしっかり者だ。
チャイムが鳴って、先生が教室に入って来た。
日直の「起立」という声が響いた瞬間、ドアが開いて、「よかった、間に合った」と言いながら孝太君が飛び込んでくる。
先生からは「もう少し早く席に着くように」と注意されていたけど、孝太君は「はーい」と元気に返事をして、先生は苦笑いしていた。
授業が始まって、教科書を開いたけど、僕はさっき孝太君に言われた言葉を思い出していた。
変かあ……。
でも、変なのは僕じゃなくて、ユリウスさんなんだよね。
朝起きたら挨拶してくれるし、食事の時にはおしゃべりもする。皇子教育だって、僕にわかるよう丁寧に教えてくれた。多分、他の人が見たら、いつもと変わらないと思う。
だけど、あの歴史の本を使った日から、ちょっと変なんだ。
うまく言えないけど、距離感? に変化があって、なんだかよそよそしい。
僕を見る目が、前よりかしこまった感じだし、歩くときは前より一歩ぶんくらい間があいている。
魔法の本で魔界に行って、ユリウスさんとちょっと仲良くなれたと思ってた。それなのに、僕とユリウスさんの間に見えない壁が出来たみたいだ……。
結局、僕は授業に集中できなくて、あとで夏美ちゃんにノートを見せてもらうことになった。……はあ、情けない。
◇◇◇
学校が終わって、僕は急いで家に帰った。
「ただいまー」
「お帰りなさい、拓海様」ザックさんが玄関で僕を出迎えてくれた。
「今日、焼き菓子を作ったんです。着替えたら、一緒に食べましょう」
「はい。あれ、ユリウスさんは?」
「あー、ユリウス様は、ちょっと用事があって出かけてます」
「用事?」
「ええ。ちょっと、色々ありまして……」
なんだか歯切れが悪いので、僕はそれ以上聞かないで、二階の自分の部屋に向かった。
「ユリウスさん、いないんだ……」
僕は着替えながらそう呟いて、はっとした。ユリウスさんだって、僕の世話ばかり焼いている暇なんてないよね。ザックさんが前に、領主のお披露目会とか言ってたから、他にやることが沢山あるはずだ。
そうそう。忙しくて、そっけないなんて、仕方ないよ。
僕が台所へ行くと、ちょうどザックさんがミルクティーを出してくれた。テーブルにはフィナンシェがのった皿が置いてある。その中には、タヌキの顔をしたものもあった。
「焦がしバターを使ったんで、美味しいですよ」
ザックさんが、にこにこ顔で説明してくれたけど、あまりお腹は空いていない。なんとなく胸が重苦しいんだ。でも、せっかく作ってくれたから。
「わあ、美味しそう。いただきます」
僕がフィナンシェの皿に手を伸ばそうとしたら、横から小さな手が、にゅっと伸びてきた。
「あ、それ僕が取ろうとしたやつ」
コディがタヌキ型フィナンシェを、ぱくりと頬張った。
「おい、コディ。お前はもう、自分の分を食べただろ」
ザックさんに注意されると、コディは食べかけをそっと皿に戻そうとする。
「いいよ。口をつけたんだから、それはコディが食べていいから」
それを聞いて、コディは嬉しそうに残りを食べる。
このコディ、いつもは僕の影の中に潜んで、僕の行動を記録しているんだけど、家にいるときは、こうして外で過ごすことになった。
家にいるときくらい、自由にさせて欲しいとユリウスさんに頼み込んだんだ。
それからというもの、食事のときには必ず同席するようになった。
「ザックさん。ユリウスさんは、何時ごろ帰って来るんですか?」
「そうですね……皇子教育の時間には、戻るって言ってました」
「え。じゃあ、夕食には間に合わないってことですか?」
「はい。そうだと思います」
僕は気づかなかったけど、目に見えてしょんぼりしていたみたいだ。
ザックさんが「おやっ」というふうに片眉を上げていた。
そのとき、コディが僕の手をちょいちょいとつついた。
そして、ひとつしか残っていない皿を僕の方へ押してくる。
「あ、いつの間に! ……はあ。食べたいならいいよ」
そう言っても、更にぐいぐいと皿を押しつけてくるので、「わかった、わかった。僕がもらうよ」と言うと、コディが「よしっ」と言わんとばかりに、荒い鼻息をついた。
これって、僕が元気ないから、コディなりに心配してるのかな?
なんだ、いいところあるじゃないか。僕はちょっと嬉しくなって、最後のひとつに手を伸ばした――その瞬間、それをばっと僕から奪って、コディが口に放り込んだ。
「ちょ、それ最後の!」
僕がコディを見ると、ふふーんとでも言いたげに、腕を組んでいた。
「もう、なんなの。今日という今日は絶対許さないから!」
逃げるコディを追って台所の中をぐるぐる走り回る僕を、ザックさんは注意するでもなく、どこか温かい目で見ていた。




