42 本の案内人
夕食を終えると、皇子教育の時間になった。
居間のソファーに座る拓海の前で、ユリウスが一冊の本をテーブルに置いた。
「ユリウスさん、これって……」
てっきり昨日と同じプリントが渡されると思っていた拓海は、少し面食らう。だが、すぐにはっとしたようにユリウスを見た。
「ひょっとして、昨日みたいな魔法の本ですか?」
「ちょっと違います。魔界の子供たちが歴史を学ぶときに使う仕掛け絵本です」
「あー、仕掛け絵本……そうなんですか」
期待がはずれて、拓海はちょっと残念そうな顔をする。
その前で、ユリウスが本をゆっくりと開いた。
すると、本の挿絵が立体になって、ページからふわりと浮かび上がった。
テーブルの上に、小さな舞台が出来たみたいだった。
その意外な仕掛けに拓海は驚きと興奮が入り混じった声をあげる。
「わあ。絵が飛び出して来た」
「この本は、魔界の成り立ちをわかりやすく教えるための仕掛け絵本です。いきなり年号がずらりと並んだプリントで勉強するより、この方が入りやすいと思いまして」
「確かに、面白そうですね」
この仕掛け絵本は、魔界の子供たちに絶大な人気がある教材だ。
ユリウスがこの本の存在を思い出したのは、昨日、教授から借りた本のおかげだった。
「では、最初から読んでいきましょう。この本は語り部役がいますので、読み上げは彼にお願いします」
「彼?」
拓海が首をかしげたそのとき、ユリウスが一ページ目を開いた。
その直後、長いひげを生やした老人が、ぱっと飛び出して来た。襟のつまった濃い色のローブに、とんがり帽子をかぶっている。サイズは十五センチくらいだ。
語り部は、本の前にいる二人の姿を確認すると、軽く会釈をした。
『むかーし、むかし。大昔のことじゃ――』と話し出した。
「え、喋った!」
拓海が素っ頓狂な声を上げた瞬間、
『そこ、静かにしなさい。話が始められんじゃろ』
と、ばっさり注意されてしまった。
「ユ、ユリウスさん。本と会話できるんですか?」
「いえ、今のは無駄なお喋りをした場合に注意するよう設定されているだけで、本と会話ができるわけではありません」
「へえ、そういう仕掛けなんですね」
『うおっほん』
「あ、すみません」
二度も注意されてしまい、拓海は慌てて口を閉じた。
『天から降りてこられた魔王さまは、たいそう驚かれた。魔界の土地はどろどろで、まだ固まっておらず、人が住める場所はごくわずかじゃった』
拓海の目の前に、溶岩ばかりの大地が広がり、その先で一人の男が足元を見つめていた。
黒い軍服のような上下に、深紅のマントをまとっている。
これが魔王なのだろう。子供向けのせいか、魔王の顔は、ちょっと可愛らしい。
『そして、わずかな土地をめぐって争いが絶えず、魔界の者たちはとても困っておった』
灰色の大地のあちらこちらで、小さな影たちが押し合いへし合いしている。
『そこで、魔王さまは決心された。この不毛の地を緑豊かに変え、人々が暮らしやすい世界をつくろうと』
語り部の老人の声に合わせて、魔王が胸を張り、高く拳を突き上げる。
その動きに呼応するように、灰色の大地が緑色に塗り替わっていく。やがて、小さな花が咲き出し、一面の花畑になった。
ユリウスがそっと拓海の様子を窺がう。プリントを見せた時とは別人のように楽しそうだった。
この後も、老人の話は続いた。悪い貴族をこらしめたり、干からびた湖をよみがえらせたり、長雨を降らせていた雲を追い払ったりと、魔王の功績が次々に映し出されていく。
『こうして魔王さまは、荒れた大地を緑に変え、人々に秩序をもたらし、魔界を住みやすい場所にしたのであった。おしまい』
決め台詞と同時に、ひげの老人と魔王は、すっと絵本の中へ戻っていった。
「すごい。魔界の本って、すごいですね。めちゃくちゃ面白かったです」
拓海が興奮気味に頬を染めるのを見て、ユリウスも口元がほころんだ。
「気に入っていただけて良かったです。ですが――」ユリウスはそこで一度言葉を切り、真っすぐに拓海を見る。
「人間界では、魔王様のことを悪の化身のように伝えていますが、我ら魔界で暮らす者には、魔王様は偉大であり、唯一無二の存在なのです」
ユリウスの声音は静かだが、有無を言わせぬ迫力があった。その気迫に押されて、拓海は言葉を失う。
「何が真実で何が嘘なのか。ねじれたイメージに縛られるのではなく、新しい視点で、魔界の歴史に触れて欲しいのです」
ユリウスが、穏やかに笑みを浮かべながら、そう言った。
拓海は、はっとしたように目を見開くと、
「はい。僕もちゃんと知りたいです」と答えた。
「では、次は、魔界の歴史の根本にある、天界との諍いを記した本です」
先ほどの可愛らしい仕掛け絵本とはまるで雰囲気が違う、古めかしい本だった。
背表紙には、なにやら古そうな文字で題名が書いてある。拓海は、図書館の専門書の棚に置いてありそうな本だと思った。
「こちらも、本の案内役が登場します」そう言ってユリウスが本を開く。
拓海の目の前に現れたのは、つま先まであるロングドレスを着た女だった。
髪はきっちりとひっつめにまとめられ、鼻の上にはずれかけた眼鏡が乗っている。その姿は、厳しそうな先生をそのまま小さくしたようだった。
少しずれた眼鏡を直しながら、目の前の拓海を確認した途端、女は金切り声をあげた。
「人間。人間がいるではありませんか。下等生物の人間が、わたくしの目の前にぃー」
ヒステリックな叫び声に、拓海は思わずびくっと肩を跳ねさせた。




