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41 体力づくりはザックにお任せ

 翌朝。

 鳥のさえずりだけがやたら元気なうちの庭に、僕は立っていた。

 理由はひとつ。「昨日、一緒に走ってみて感じましたが、拓海様には体力が足りないようです」とユリウスさんから、基礎体力をつけるために朝の運動を勧められたからだ。


 運動が苦手な僕は、何とか回避しようと頑張った。けれど、無理だった。

 だって、朝っぱらからユリウスさんが部屋にやってきて――。


「さあ、起きてください。気持ちのいい朝ですよ」そう言って、勢いよくカーテンを開けた。

「さあ、洗顔をしましょう。え、眠い? 顔を洗ったら目が覚めますよ」そう言って、洗面所に連行された。

「さあ、こちらをどうぞ。運動用の服です」そう言って、体操服を渡された。

「さあ、外に行きましょう。ザックが待っています」そう言って、庭に連れて行かれた。


 ユリウスさんの「さあ」攻撃の前に、僕は無力だった。

 ユリウスさんの麗しい笑顔という頑丈な盾は、僕のささやかな抵抗という矛を、いとも簡単に跳ね除ける。気づけば、全部ユリウスさんの言う通りになっていた。

 おそるべし、イケメンスマイル……。


 そして今、僕の目の前には、準備運動をしているザックさんがいる。


「拓海様。今日から、俺が体力づくりのサポートします。大船に乗ったつもりで任せてくださいね」


 朝からハイテンションのザックさんに、僕は「お願い……します」とかなり消極的な声で答えた。するとザックさんから、さらに元気な声が返ってきた。


「拓海様――男の基本は体力ですよ!」

 ジャージ姿のザックさんが、立派な力こぶを披露してくれた。

 僕は引きつった笑いしか出てこない。あははは……。


「いきなり長い距離はきついでしょうから、今朝はそうですね……軽めの十キロにしときますか」


 悪気のない顔でとんでもないことを言い出すザックさんに、僕はめまいがする。

 無理。絶対に無理。だって僕、足、速くないし、運動全般苦手なんですけど。


「おい、拓海様はこのあと学校があるんだ。十キロなんて長すぎるぞ」

 さすがユリウスさん。わかってる。


「初日だから、半分の五キロにしろ」

 ひええーーー!

 青い顔で、声にならない悲鳴をあげている僕に、ユリウスさんは、くすっと笑った。


「冗談です、拓海様。通学前に、そんな負荷のかかる運動はさせられません」

 ユリウスさんはザックさんに向き直ると、穏やかに言った。


「嶌村家の敷地は広いから、家の周囲を一周走る。帰ったらストレッチ。初日なんだから、それくらいがちょうどいいだろ」


「わかりました」

 ザックさんは少し物足りなさそうだけど、何とかそれで収まった。

 よかった。助かったぁ。僕は、そっと胸を撫でおろした。


 僕とザックさんは、並んで走り出した。

 運動部に所属しているわけでもないのに、体力づくりって……。僕のエンジンはかからない。まだ冷たいままだ。

 でも――朝の柔らかな日差しの中を走るって、案外これはこれで気分がいいかも。

 まだ少し冷たい空気を吸いながら、さっきまでの眠気も飛んで行くし。


「良かった。大丈夫そうですね」

「え?」


「浮かない顔で走ってたでしょう。拓海様に無理をさせちゃったかなって、ちょっと気になっていました……でも、今はいつもの拓海様だ。安心しました」


「えっと、僕、そんな心配されちゃうような顔してました?」

「はい。とっても」


 顔かあ……そういえば、昨日の皇子教育で歴史のプリントを読んだ時も、「魔王歴」って言葉を見た瞬間、無意識に眉間にシワが寄って、思いっきり拒否反応が顔に出ちゃったんだ。

 僕が黙っていると、ザックさんが続けて話してくれた。


「ユリウス様も心配してたんですよ。歴史のプリントを見た拓海様が、難しい顔をしていたって」


 あ、やっぱり。ユリウスさんにもばれてたか……。


「だから、歴史をやるより地理を先にして、気分転換をしてもらおうって言ってました」


 そうだったのか。だからユリウスさんは、魔法の本を使って、僕を魔界に連れて行ってくれたんだ。ただ勉強のためだけじゃなくて、ちゃんと僕のことを考えてくれていた……。


 あれ? ひょっとして、このランニングだって、昨日、僕が速く走れなかったのを気にしてたから、少しでも気分転換させようとしてくれたってこと?


 だとしたら……やっぱり、二人は大人だな。


 僕が眩しそうにザックさんを見たら、「あれ、目、大丈夫ですか?」と心配された。


「あ、なんでもありません……ザックさん、今日のランニングって」

 僕は感謝の気持ちを伝えようとした。でも――。


「あ、拓海様。今日は軽く一周でしたけど、明日から増やしていきましょうね。もっと走り込まないと、体力つきませんからね」


「え、ええ? ランニングって気分転換のためだったんですよね?」


 僕の言葉に、ザックさんは一瞬ぽかんとしてから、にっと笑った。


「何言ってるんですか、気分転換じゃなくて、体力づくりですよ。最初に言ったでしょ。男の基本は体力だって!」

 そう言って、豪快に笑うザックさんを、僕は生温かい目で見た。


 ◇◇◇


「じゃあ、学校へ行ってきまーす」

 ランニングのあとシャワーを浴びて朝ごはんを済ませると、僕はカバンを持って家を出た。


 見送りの二人の姿が見えなくなると、思わず大きなため息がもれる。

 はあー……これが毎日続くのか。できるかなあ。ちょっと自信なくなってきた。


 とぼとぼ歩いていると、「何、暗い顔してんだよ」と、いきなり背中を叩かれた。


「痛いよ、孝太君」


 振り向くと、幼なじみでクラスメイトの孝太君が立っていた。背丈はそんなに変わらないけれど、孝太君は運動が得意なせいか、僕より少し逞しく見える。


「なあ、拓海の家に外国人住んでるって、ほんとか?」

「うん。そうだよ」外国の人じゃなくて魔界の人だけどね、と僕は心の中でつっこんだ。


「ところで、なんで知ってるの?」

「ばあちゃんが言ってたんだ。うちに、でっかい男ときれいな男の二人組が買い物に来たって」


 孝太君のうちは、駅前の八百屋さんだ。ユリウスさんとザックさんで買い物に行ったんだな。それにしても、でっかい男ときれいな男って――僕は噴き出しそうになるのを、懸命にこらえた。


「その人たちなら、しばらくうちに住むことになったんだ」

「一緒に住むって……大丈夫なのか? 言葉は? 日本語は喋れるのか? それに飯は? ちゃんと米は食べてるか? まさか、パンばっかり食べてるんじゃないよな?」


「あはは。会話もできるし、ご飯もちゃんと食べてるよ」


 僕は孝太君の質問がおかしくて、思わず笑ってしまった。

 でも、孝太君が言うまで気にしていなかったことに気づいた。

 二人はどうして、日本語が話せるんだろう? ユリウスさんはともかく、ザックさんは苦戦しそうなタイプなのに。


 考え込んでいた僕に、孝太君が顔を近づけてきて言った。


「今度行くから」

「どこへ?」

「おまえんちだよ」

「へ? おまえんちって……まさか、僕の家?」

 思わず、変な声が出た。


「そうだよ。中学生が一人で暮らす家に、よく知らない外国人がいるとか、心配だろ」

「えっと、そんな心配されるようなことは……二人ともいい人だし」

「よし決まりだ。いつがいいか、その人たちに都合聞いといてくれ」

「都合って……あ、ちょっと、孝太君!」


 ずんずん歩いて行ってしまう孝太君の背中を追いかけて、僕は慌てて走り出した。



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