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40 ザックには内緒

 乱闘騒ぎの現場から逃げ出したユリウスと拓海の二人は、気づけば町の高台にある小さな公園まで走って来ていた。


「ここまで来れば、もう大丈夫です」


 ユリウスにそう声をかけられても、拓海はずっと走っていたせいで息が切れてしまい、返事が出来ない。はあはあと荒い息をつくだけだ。


 大した距離は走ってないんだが……拓海には、もう少し体力をつけてもらわないといけないな。

 ユリウスがそう考えたとき、塗装の剥げたベンチが目に入った。足元には、伸び放題の雑草がからみついている。


「あそこで、一休みしましょう」


 ユリウスと並んでベンチに腰を下ろし、拓海は何度か深呼吸をして、ようやく落ち着いた。


「すみません、ユリウスさん。僕、走るの遅くて」


「そんなことはありません。私が拓海様をひとりにしてしまったせいで、こんなことになったんです……申し訳ありません」


「そんな、ユリウスさんのせいじゃないです! ……でも、あんなふうに殴り合うケンカ、初めて見たから、びっくりしました。魔界の人って、荒っぽい人が多いのかなあ」


 ま、まずい。魔界のイメージアップのために拓海を魔界へ連れてきたのに、これじゃ逆効果だ。どうする、なんとかしないと――。

 ユリウスが必死に打開策を探していると、拓海の明るい声がした。


「でも、ちょっと楽しかったです」

「え?」


 思わず拓海を見る。その横顔は本当に楽しそうに笑っていた。


「ユリウスさん、全員、簡単にやっつけちゃうし、駆け付けた警察も全然追いつけないしで、もう、もう、すっごくかっこよかったです!」


 瞳をきらきらさせて自分を見上げてくる拓海に、ユリウスは一瞬、ぽかんとなる。

 だが、その瞳に浮かぶまっすぐな想いに気づき、ふっと小さく笑う。


 よくわからないが、楽しかったのなら――それでいいか。


「あ、そうだ。ユリウスさん、酔っ払いに殴られたところ、大丈夫ですか?」


「ああ。あんなの大したことありません。かすり傷です。でも……この事は、ザックに内緒にしておいてもらえますか?」


「え、どうしてですか?」


「実はザックのやつ、すごく心配性なんです。自分が腕を斬られたり、脚を折るような怪我をしても平気な顔をするくせに、俺――いえ、私や他の者が怪我をすると、もう大騒ぎするんです」


「そうだったんですか……わかりました。僕、内緒にします」


 拓海は、秘密を共有できたことがうれしそうに一瞬だけ笑いかけた。だが、すぐに真面目な顔に戻って言った。


 そのときだ。公園に男のだみ声が響いた。


「こんなとこに、隠れてたのかよ、お前ら」


 ユリウスと拓海が声のした方を見ると、さっき裏通りでユリウスにやられた男たちが三人、立っていた。

 その顔はどれも赤く腫れ上がっていて、いかにも痛そうだ。手には、それぞれ鉄パイプが握られている。


「……ここまで追いかけて来るとは、ずいぶん暇なんだな」


 ユリウスは小さくため息をつきながら、ゆっくりと立ち上がった。


「ユリウスさん」


 拓海も慌てて立ち上がり、不安そうにぴったりとくっついてくる。


「大丈夫。あいつらは、何もできませんから」


 ユリウスがそっと耳打ちした。


「さっきのお返しだ!」


 男たちが一斉に、ベンチめがけて鉄パイプを振り下ろした。

 次の瞬間、ユリウスと拓海の姿が、かき消すように消えた。

 目標を失った鉄パイプはベンチに叩きつけられ、ガンッと鈍い金属音がした。


「あいつら、どこ行った?」「さっきまで、ここにいたよな?」

 男たちは顔を見合わせた。


◇◇◇


「え、あれ?」拓海は目を何度もぱちくりさせた。


 ついさっきまで魔界の高台の公園にいたはずなのに、今はもう家に戻っている。

 見慣れた自宅の居間の景色の中に立っていて、拓海は驚いたまま固まってしまった。


「本の魔法は、滞在時間が二時間に設定されています。ちょうどタイムリミットがきたので、こちらに戻って来たんです」


 ユリウスにそう説明され、拓海はテーブの上に置かれた本を見る。

 そこには、美しい景色も達筆な文字も消え去り、以前と同じ、白紙のページに戻っていた。


「ユリウスさん。この本って、またすぐに使えるんですか?」

「いえ、一度使ったら、ひと月休ませる必要があります。使えるのは、来月になってからです」

「そっか……残念……」


 魔界に興味を持ってくれたようで、ユリウスは当初の目的が果たせたことにほっとし、しょんぼりとうなだれる拓海を温かい目で見つめた。


「まだ、かかりそうですか?」

 ドアが僅かに開いて、ザックが顔をのぞかせた。


「おい。入ってくるときは、ノックしろって言ってるだろ」

「すみません……あんまり静かだから、気になって。あーっ!」


 突然、ザックが大声をあげて突進してきた。


「なに、家の中で靴なんか履いてるんですか、二人とも!」

「あ」と顔を見合わせた二人から、ザックは素早く靴を回収し、泥のついた床をせっせと掃除し始めた。


「もう、掃除の手間ふやさないでくださいよ」


「すまん」

「ごめんなさい」


「ユリウス様、風呂が沸きました。拓海様を連れて行きますよ」

「拓海様に地図を見てもらいたいから、あと五分待ってくれ」

「もう……五分だけですからね」


 ユリウスが地図を取り出し、「ラスガ山とは、××地方にあって――」と拓海に説明を始めた。

 それを見て、ザックが目を細める。

 授業が始まったときは向かい合わせに座っていたのに、今は仲良く並んで座っているのだ。ザックはドアを静かに閉めて、そっと出て行った。


 二人きりになったところで、ユリウスが口を開く。

「拓海様、今日のことは――」

「はい。ザックさんには内緒、ですね」


 そう言って、拓海は楽しそうに笑った。

 そんな二人の会話を聞いていたのは、拓海が大冒険をした場所に印がついた、一枚の地図だけだった。








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