39 偶然のすれ違い
「こらー、何を騒いでおる。やめんかー!」
直後、甲高い警笛が、ピィー、ピィーと鳴り響き、数人の警官が駆けつけてくるのが見えた。
「やべぇ。警察だ。みんな、逃げろー」
ふだん酒の席では、警官なんてちっとも怖くねえと、平気で大口をたたく男たちだが、乱闘騒ぎで逮捕されちゃかなわんと、みな蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「拓海様。ここにいては危険です。移動しましょう」
そう言うなり、ユリウスは拓海の手を取ると、そのまま一緒に走り出した。
「おいおい、何があった?」
大きな前掛けをした男が、戸口から裏通りの騒ぎを眺めている雑貨屋のおかみさんに声をかけた。通りでは、警官と酔っ払いが入り乱れて小競り合いを続けている。
「あ、綿あめ屋さん。あんた今までどこ行ってたの?」
「ちょっと腹が痛くなって、便所にこもってた。それよりなんだい、この騒ぎは」
「それがさ、銀髪のかっこいい兄さんと酔っぱらいの大立ち回りがあったんだよ。もうその兄さんの強いこと強いこと。ほんと、すごかったんだから」
おかみさんの瞳が、まるで乙女のように輝いた。
「へえー、俺も見たかったな。――あ、それよりおかみさん。俺の屋台で店番してた婆さん、知らないか?」
「婆さん?」
「ああ、俺が便所に行ってる間だけ店番してもらったんだ。初めて見る顔だったけど、にこにこ笑ってる感じのいい婆さんでさ。礼が言いたいんだけど、どこ行ったんだろ」
綿あめ屋の男は、辺りをきょろきょろと見渡した。
◆◆◆
裏通りの喧騒から少し離れた場所に、寂れた町には場違いな黒塗りの高級車が一台、ぽつんと止まっている。
その車に、小走りで一人の老婆が近づく。周囲に誰もいないのを確認すると、ドアをあけて助手席に滑り込んだ。
「どうだ、うまくいったか?」
運転席のいかつい男が、ぶっきら棒に声をかけた。
「だめだ。あのガキにくっついてたエイドスが、横取りして食っちまった」
老婆とは思えない太い声だった。
老婆は顔に手を当てると、マスクを剥ぎ取った。あらわになった素顔は、ぎょろ目が印象的な小柄な男だった。
後部座席に顔を向けて、「申し訳ありません。失敗しました」
小柄な男は悔しさを滲ませながら、頭を下げた。
後部座席には、帽子を顔の上に乗せたまま仮眠をとっていた、スーツ姿の男がいる。報告を聞いたその男は、帽子をかぶり直しながら、口元だけで小さく笑った。
「気にしなくていいよ、ランドル。偶然、町役場で見かけただけで、これだけやれたんだ。上出来だよ」
町役場と聞いて、運転手が声をかけてきた。
「役所に頼んどいた資料、そろそろ出来上がる頃ですが、どうします? 行きますか?」
「いや、いい。閉山手続きの進捗はもう分かったし、あんな紙切れ持ち帰っても邪魔になるだけだ。それより王都に戻って、報告しなきゃいけないことが出来た」
「わかりました。じゃあ車出しますよ、ラッセル伯爵」
高級車が静かに動き出した。
表通りへ向かう途中、銀色の長い髪をなびかせて走る男の姿が見えた。隣には、一人の少年がいる。
二人とすれ違ったとき、ラッセル伯爵はふとそちらに視線をやり、ポケットから液体の入った小瓶を取り出し、目の前にかざした。
「運が良かったね、二人とも。いや、違うか……ここで終わりにしておけば、楽だったかもしれないのに」
バックミラーの中で小さくなっていく二人に、ラッセル伯爵はそううそぶいた。
まるでこの先に待ち構える嵐の激しさを知っているように。




