38 乱闘騒ぎ
「お、なんだ。ケンカか?」
男の怒鳴り声を聞きつけた別の男が、近くの酒場の戸口から顔を出した。
そのまま店の奥へ向かって怒鳴る。
「おーい。チャドの奴が、またどっかの兄ちゃん相手にケンカおっぱじめるぞー!」
その声につられて、酒場から体格のいい男たちが、ぞろぞろと通りに集まり出した。
「いいぞ。やっちまえ!」
「チャド。炭鉱夫の意地、みせてやれー!」
「ロン毛の兄ちゃんも負けんなよ!」
男たちは、面白半分に口々にはやし立てる。
「ユ、ユリウスさん」
ユリウスの背後にいた拓海は、通りに満ちる異様な熱気に気圧されて、怯えたようにユリウスの袖をぎゅっと掴んだ。
「ケンカなんてしないで、早く行きましょう!」
そう訴える拓海の前には、腕を組んでニヤニヤ見物している者もいれば、今にも参戦しようと舌なめずりしている者もいる。
ユリウスがちらりと後方をうかがうと、すでに人垣ができていて、二人が抜け出せないよう道が塞がれていた。
まったく、暇を持て余した連中だ。
ユリウスは内心でそう苦笑いし、拓海に向き直る。そして、安心させるように、穏やかに微笑んだ。
「心配しなくても大丈夫です。すぐに済みますから」
「おいおい、あの兄ちゃん、ずいぶん余裕ぶっこいてるぞ」
「チャド、お前、ボコボコにされて、泣いちゃうんじゃねえの」
茶化すような声が飛び、見物していた男たちがどっと沸いた。
「うるせー、外野はだまってろ!」
チャドが目を吊り上げ、野次馬をにらみつける。そして、手にした酒瓶を、ぐいっとあおった。
「どっからでも、ひっく……かかってこい!」
赤ら顔のチャドがそう叫ぶが、ユリウスに相手をする気は微塵もない。
さっさと片をつけて、拓海に楽しい時間を過ごさせたい。
そのためには――。
ユリウスの指先から、ぱちぱちと稲妻のような魔力がほとばしった。
それに気付いた顎髭の男が、がなりたてた。
「おい、兄さん。この町で魔法を使ったケンカはご法度だぞ。ここはまだ正式に廃坑になってねえんだ」
ユリウスの魔力が、ぴたりと止まった。
そうだ。鉱山周辺での魔法は、法律で固く禁じられている。
荒っぽい鉱夫たちのせいじゃない。
魔力が鉱脈と共鳴して、シャレにならない事故を起こしたことがあるからだ。
「拓海様。少し、時間をもらいます」
「どうするんですか」
「諸事情で魔法が使えません。なら、方法はひとつです。……おい、ザック。拓海様を頼む」
いつもの癖でザックの名を呼んだ。
だが返ってきたのは、申し訳なさそうな拓海の声だった。
「ザックさんは、家で留守番です」
「あ!」
そうだった。今日は拓海と二人だった。
俺は素早く人垣を見渡す。
その中に、さっきお菓子の屋台を教えてくれた親子が見えた。
「すみません、少しの間、この子を見ていてもらえますか?」
俺の声に気づいた息子のほうが近寄ってきて、「こっちにおいで」と拓海を連れて行ってくれた。
人垣の輪に加わった拓海に、男は自分をカーターと名乗り、杖を突いた老人は自分の父だと説明した。
「カーターさん。警察とか呼んだほうがいいんじゃ……」
そもそも、魔界に警察ってあるのかどうか怪しいけど。
拓海が不安そうにカーターを見上げた。
「あー、警官の人数、少ないんだよ。呼んだとしても、この騒ぎが終わってからだね、きっと」
「そんな……」
拓海は、男と睨み合うユリウスに視線を戻し、自分に言い聞かせるように小さくつぶやく。
「大丈夫。絶対大丈夫。ユリウスさんは負けない」
その瞬間、動かないユリウスにしびれを切らしたチャドが、ぱしんと頬を叩いた。
「おい、いつまでつっ立ってんだ。この唐変木」
「ユリウスさん!」
拓海は、思わず飛び出しかける。
だが「危ないから」とカーターに腕をつかまれた。
叩かれたユリウスは、右手の親指で口元に触れる。
指先についた血を確認し、にやりと笑った。
「あー? なに笑ってんだ、てめえ」
「拓海様!」
ユリウスはチャドから視線を外さないまま、拓海に向けて声を張る。
「魔界では、防衛が理由であっても、一方的に殴ることは認められていません。ですが――先に手を出したのが向こうであれば、この限りではありません。覚えておいてください」
「おい、何を言っ――」
チャドが言い終える前に、その体は膝から崩れ落ちた。
いつの間にか背後を取っていたユリウスが、太い首筋に手刀を叩き込んだのだ。
場が一瞬、しんとなる。だが次の瞬間、気の荒い男たちがケンカに参戦しようと、一斉に突進してきた。
「やっちまえー」
「そんな大勢でなんて、ずるい。ユリウスさんはひとりなのに」
僕は思いきり叫んだ。けど、乱闘の場と化した通りじゃ、僕の声なんてかき消される。
でも――僕の心配は、ただの杞憂だった。
誰一人、ユリウスさんに触れることすらできない。
ほんの少し体をずらして拳をいなして、肘で急所を打って、足払いで、次々に酔っ払いのおじさんたちを転がしていく。
「強い。強いね、君のお兄さん」
僕の隣にいるカーターさんが、興奮した声で言った。
本当の兄じゃないけど、そう言われると、思わず誇らしくなる。
そのときだった。ユリウスさんのすぐ後ろで、酒場から持ち出した椅子を振り上げた男が、こっそり近づくのが見えた。
危ない!
僕はとっさに、ユリウスさんが買ってきてくれた冷たい飲み物の瓶をつかんで、走り出した。
「おら、くらえ!」
男が椅子を振り下ろそうとした瞬間、ユリウスはその気配に気づいて振り返った。
油断した――ユリウスは心の中で唇を噛んだ。
だが、男はそれ以上動かない。そのまま、ばたんと倒れた。
その後ろには、割れたジュースの瓶を握りしめた拓海がいた。
「あ、あの、僕……」
震える声で自分を見上げる拓海に、ユリウスはふっと口元をゆるめた。
「お見事です、拓海様」
「え?」
「ですが――」
横から飛びかかってきた男の腕をひねり上げながら、ユリウスが続ける。
「こういう危険なことは、私におまかせください」
ユリウスの青い瞳が、とても頼もしく見えた。
拓海は「はい」と元気に返事をした。
やっぱり、ユリウスさんって……ものすごくかっこいい。




