35 心震える場所
「拓海様。魔界の景色は、いかが――え、どうなさいました? どこか痛いところでも?」
初めて目にした魔界の美しい風景に、感嘆の声のひとつも上がるだろうと期待していた。だが当の拓海は、ぽろぽろと静かに涙をこぼしている。
ユリウスは慌てて歩み寄り、拓海の顔をのぞき込む。拓海は、はっと我に返り、手のひらで涙を拭った。
「だ、だいじょうぶです。なんでもありません。景色がきれいで……その、感動しちゃって」
その涙が、ただ風景に感動したものとは思えない。それでもユリウスは深く踏み込まず、「拓海様。靴を持ってきたので、どうぞ」とだけ言って、すっと身をかがめる。そして、拓海の足を取り、用意していた靴を履かせてやった。
ごめんなさい、ユリウスさん。本当のこと、言えなくて。
風を受けて、湖が静かに揺れてるのを見ていたら、勝手に涙があふれてきた。
初めて来た場所なのに、前から知っていた気がした。懐かしいような寂しいような……そんな気持になった。それで、胸の奥がきゅうっと、痛くなって、気がついたら、泣いていた。
でも……ユリウスさんに泣き顔見られちゃった。ああ、恥ずかしい。
その時、ふいに足元が陰った。見上げると、空を横切るドラゴンの巨大な影が、地面一面を覆っている。
「わあ、ドラゴンだ!」
泣いていたのが嘘のように、拓海が弾んだ声で叫んだ。
「ユリウスさん、ユリウスさん。あのドラゴン、どこに向かって飛んでるんですか?」
ユリウスは手でひさしをつくり、まぶしそうに空を見上げる。空には二体のドラゴンがいた。
「つがいのようですから、きっと巣作りのために、餌場が豊かな南へ向かっているのでしょう」
「へえ。そうなんですね」
涙のあとも忘れたように目を輝かせる拓海に、ユリウスはほっと胸をなでおろした。
良かった。元気になったみたいで。
「あれ?」
飛び去って行く二体のうち、体の大きい方の尻尾の先が、少し曲がっているのに気づいた。
「あれは、以前、王都近くの山に棲みついていたドラゴンです」
「え、あの子、知ってるんですか?」
「知っているというか、私とザックで退治したことになっています」
「なってるって、どういう意味です?」
ユリウスは苦笑いした。
討伐成功と報告したものの、実際は違う。教授に教えてもらったザリオの実で酔わせ、マックスの魔方陣で追い払っただけなのだ。
それでも無事に仲間の元に辿り着き、つがいまでみつけるとは、運のいいやつだ。
「ドラゴンの首を撥ねるなんて至難の技ですから、仲間のいる山へ帰ってもらったというのが、真相です」
「そ、そうなんですか」
首を撥ねるなんて物騒な言葉に、拓海は顔を引きつらせるが、隣のユリウスは飛び去るドラゴンをただ穏やかに見送っている。その横顔から、拓海には彼の優しさが静かに伝わってきた。
ドラゴンが見えなくなった。
「拓海様。そろそろ次の場所に移動しましょう」
「わかりました。次は、どこに行くんですか?」
「本によると、山のふもとに小さな町があって、そこに屋台通りがあるようです」
「屋台通り? それって色々なお店が並んでる通り、ってことですか?」
「はい。食べ物を売る店に魔法店もあると書いてありました」
「え、魔法店? うわあ、面白そう。行きたい。行ってみたいです!」
拓海は好奇心いっぱいの瞳で、ユリウスに行きたいと訴える。
ユリウスは内心、ガッツポーズを取った。
よし。綺麗な景色に、町歩きを楽しむ。このコースでいけば、拓海の魔界への印象は、爆上がりだ。
ユリウスが今日の成功を確信しかけたそのとき、拓海が首をかしげた。
「あれ、でもその本って秘境を巡った感想なんですよね? それなのに、屋台通りって」
その言葉に、ユリウスが笑った。
「私も読む前は、秘境の話しだけかと思いました。しかし、作者は秘境を訪れた後は、必ず近くの町や村に立ち寄って、美味しい店を探していたようです」
「それって、まるでグルメ本じゃないですか?」
「確かに。では本当にそうなのか、行って確かめてみましょう」
「はい」
拓海が返事をした瞬間、ユリウスの指が鳴った。




