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34 教授に借りた魔法の本

「では、こちらをご覧ください」

 ユリウスは、先程渡しそびれたプリントを拓海に渡す。受け取った拓海が目を落とすと、「魔王歴」の文字と数字が並び、その年に起きた出来事が簡単にまとめられている。どうやら、魔王歴で書かれた歴史書を抜き出してきた資料らしい。


 一行目には当然、「魔王歴元年 魔王様による統治の始まり」と書かれていた。その文字を目にした拓海の眉根が、かすかに寄る。漫画なら、背景に、「むむむ」とでも描かれていそうだ。


 それを見て、ユリウスは考える。

 拓海は魔界のことを何も知らない。だから、印象は悪いはずだ。なにせ人間界では、魔王は神と敵対する悪の化身。そんな魔王が治める土地には、悪魔がうようよいる――そう思っているはずだ。


 そんなイメージでは、いずれ皇子教育はどこかで躓いてしまう。ならば、その印象を逆転させてしまえば……。

 そう考えた時、ユリウスの視線が一冊の本で止まった。教授が、何かの役に立つかもしれないと貸してくれた、古い魔界の旅行記だ。


「拓海様。魔界の歴史より先に、地理をやりましょう」

「え、はい。僕はいいですけど……」


 戸惑う拓海に、ユリウスは教授から借りた本を差し出した。


「開いてみてください」


 言われるまま開いてみると、中はまっしろだった。ページをめくっても、どこにも文字がない。


「えっと、これって印刷ミスですか?」


 古い本だし、文字が消えたのかも――と拓海が首を傾げていると、ユリウスが小さく呪文を唱えだした。


「我、汝の主なり。閉ざされし頁よ、その記憶を解き放ち、真の持ち主の前に姿を現せ」


 次の瞬間、白紙だったページに、美しい風景と、その場所を訪れた感想が、すうっと浮かび上がった。


「わわわ、なんだこれ!」拓海は、驚きと興奮が入り混じった目でユリウスを見上げた。


「これは昔、魔界を旅した冒険家が残した旅行記です。普通の魔界人では行けない秘境ばかりで、どのページも絶景です」


 開いたページには、深い山々に抱かれた静かな湖が描かれてる。

 空と山の緑を映す水面は驚くほど澄んでいて、とても神秘的に見えた。


「……きれい……まるでスイスのパンフレットみたい。ううん。それよりずっときれいです!」


 拓海は興奮を隠しきれない様子で、でユリウスに顔を向けた。

 その反応に、ユリウスはにっこりと微笑む。


「では、行ってみませんか?」

「へ?」


 きょとんと目を丸くする拓海の前で、ユリウスが指を軽く弾いた。

 パチン、と乾いた音が響いた次の瞬間、さっきまで本の中で眺めていた景色のただ中に立っていた。


「な、な、なんですか、ここはー!」

 拓海の絶叫が、静かな山々に高くこだまする。


 そんな拓海の様子に、ユリウスが小さく笑った。

 教授の本、役に立ちましたよ――。


 それは、ユリウスがブラッドフォード卿との面会を終え、ホテル・マーサで教授とお茶をしていたときのこと。


「ところでユリス君。引っ越しが延期になったって、何かあったのかい?」

「はい。実は、ある高貴な方の家庭教師を命じられまして――」


 詳しく語らずとも、さとい教授のことだ。命じたのが魔王様であり、ある高貴な方とは、その近しい関係者だとすぐに察するはず。


「……そうか。家庭教師を……」


 ユリウスの真意を組み取った教授は、静かに紅茶を口に運ぶ。

 そして、ふと何かを思い出したように、ぎゅうぎゅうに詰まった本棚から古い本を一冊取り出し、ユリウスに渡してきた。


「教授、この本は?」

「それはね、昔の冒険家の旅行記なんだ」

「旅行記、ですか?」

「うん。ちょっと変わった代物でね。こうやって使うんだ」


 教授の説明を聞くうちに、この本は珍しいだけでなく、かなりの貴重品だとわかった。それなのに何故、自分に託そうとするのか。ユリウスが教授の真意をはかりかねていると、教授は遠い目をして、理由を語り始めた。


「昔、仲良くしていた子がいてね。偶然、図書館で出会った子だ。真面目で優しくて、本が大好きでね。その子は、自由に外に出られる環境じゃなかったから、外の世界を見せてあげたくて、この本を使って、色んな場所へ出かけたんだ」


「そうだったんですか」

 ユリウスは教授の優しさをあらためて知り、本を大事そうに受け取った。


「でも、教授。この呪文って、ちょっと大げさすぎませんか?」


 この本を自分が使う時のことを思うと、その一点がどうしても気になり、つい口にする。


「だって、子供はみんな、そういうのが好きなんだよ」


茶目っ気たっぷりにそう言った教授の笑顔を思い出し、ユリウスは心の中でつぶやいた。


ええ。この本を使って、拓海の魔界の印象を変えて見せます。



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