31 それぞれの決意
時を少し戻して。仮面の少女と魔獣がやって来た、次の日のこと。
「行ってきまーす」僕は元気に挨拶して家を出た。
早く学校へ行かなきゃと思いつつ、何度も振り返ってしまう。
僕が振り向くと、ユリウスさんが優しい目で見ていた。ザックさんが大きな手を振ってくれている。それだけの事なのに、すごく嬉しくて、胸の中が温かい何かで満たされる。
やがて二人の姿が見えなくなった。
静かな小径をひとり、人の往来がある道路に向かって歩いていると、白い蝶が目の前を横切った。
風に乗って自由気ままに舞う蝶の姿は、仮面の女の子を思い出させる。
「あの子も、こんな風にきまぐれだったな。僕の悪口を言ったり、紙芝居をしたり、叩こうとしたり……。でも、あの人は違った……」
僕の脳裏に昨日の出来事がよみがえった。
僕を庇ったユリウスさんに、居間へ行くよう言われて、その言葉に従った。
けれど、じっと待つなんて出来なくて、お腹を空かせた熊みたいに、居間の中を行ったり来たりしていた。
ユリウスさん大丈夫かな。仮面の女の子より、絶対ユリウスさんの方が強いと思う。でも、魔獣もいた。そんなのと戦ったら、怪我をするかも……。
やっぱり僕も戻って、いや、駄目だ。僕が行っても、思いっきり足手まといだ。でも、こうなったのは僕のせいなのに……。
僕がひとり悶々としていると、背後で女の人の声がした。
「座って待ってれば」
驚いて振り返ると、フードを目深にかぶった人が立っていた。僕は思わず、ソファーの後ろに隠れる。
「あ、あなた仮面の人の仲間?」
「うん、仲間。詳しい自己紹介は出来ないけど、今回の茶番劇を計画した者とだけ言っておくね」
「も、目的は? いきなりやってきて、僕をどうしたいの?」僕の質問に、その人はちょっと考えてから答えてくれた。
「まあ、一言で言えば、心の整理、かな」
「は? 心の整理?」
「そう。僕ちゃんは覚えてないだろうけど、昔、さんざん悪さをしたんだよ、皇子様は」
またその話かと、僕は恐怖より怒りの感情が湧いてきた。
「何度も言ってるけど、僕は皇子じゃなくて」ソファーから顔を出した僕に、女の人は、「しっ」と口元に指を当てる。
「僕ちゃんの気持ちもわかるよ。前世の悪行なんて言われても、正直ぴんとこないよな。今は人間として、そこそこ幸せに暮らしているみたいだし。あ、学校は楽しい?」
「え? はい……楽しいです」
「お、良かった。じゃあ、ちょっと、こっちの事情も想像してみようか――魔界でさ、平凡だけど幸せに暮らしていたその子は、ある日突然、家族を奪われ、ひとりぼっちになっちゃった。それって、すごく悲しいと思わない?」
「それは……思います」
「皇子様のせいで、そういう境遇の人、魔界には結構いるんだよ」
「…………あの、正直、そんな事言われても、僕には覚えがないし、そういう人に会ったこともないから、よくわから」
「僕ちゃんの家庭教師」
「え?」
「魔界から来たイケメン君。彼も、皇子様のせいで家族と一族を失くした被害者だよ」
僕は息を呑んだ。ユリウスさんが、被害者? そんな――。
「嘘だ。困っていたユリウスさんを助けて一緒に暮らしてたって……仲だって良かったって、使者の人も、そう言ってたんだから!」
きっと僕が必死な形相で詰め寄ったんだろう。女の人は、一瞬、困ったように口をつぐんだ。
「……残念だけど、皇子様は相当いっちゃってたから、誰とも仲良く出来なかったみたいだよ」
ガンと頭を殴られたみたいな衝撃だった。
ユリウスさんと初めて会った時、すごく懐かしくて……これは運命の再会だって、密かに思っていたのは、僕の勘違いだったのか……。
「おっと、そろそろ行かないと――あ、これ、うるさくしたお詫び」
女の人は僕の手に、棒付きのキャンディーを置いた。混乱していた僕は、拒否するでも礼を言うでもなく、ただじっとそれを見た。
そんな僕に女の人は、これは独り言ねと前置きして、「あの家庭教師君。仕事を放棄して魔界へ帰ったら、厳罰に処されるかも。昔、酷い目に遭ったのに、今も、なんて、ちょっと気の毒だな」そう言って居間からいなくなった。
あの人の言葉を思い出し、僕は足を止めて空を仰ぐ。
そこには仲間と連れ立つ鳥の群れがいた。
飛んで行く鳥を眺めながら、僕は思う。
行く先も知らない。たとえその場所に辿り着いても、そこで何が待っているのか想像もできない。
怖い……本当は怖いけど。
「やるしかないよね!」自然とそんな言葉が口をついて出る。
ユリウスさんから、まだ詳しい話は聞けていない。けれど、僕は、ユリウスさんに怪我なんてしてほしくないし、つらい目にも遭ってほしくない。
だから、「僕は、皇子教育を受ける!!」そう自分で決めた。覚悟が出来た。
僕は小さく頷くと、まっすぐ前を向いて歩き出した。
◇◇◇
「おーい、拓海、おはよー」
「あ、おはよう」
友達の孝太君に声をかけられた。二人で他愛もない話をしながら、いつもの通学路を歩く。
校門に近づくにつれ、登校する生徒の姿も増えてきた。僕は無意識に、その人の姿を探してしまう。
あ、いた!
ちらっと後ろ姿が見えただけなのに、やたらと心臓がうるさい。
「お、前方に杉咲先輩発見!」
「くぅ。かっわいいなあ」
すぐ前を歩いている二人の男子生徒が、先輩を見つけて騒ぎだした。
「先輩の髪、ストロベリーブロンドって言うんだって、うちの姉ちゃんが言ってた」
「へえー。眼もきれいな緑だし。家族全員、美形だったりして」
その時、杉咲先輩が振り向いた。こっちに気づいて、小さく手を振っている。
「ヤバイ。俺、手を振られちゃった」
「いや、今の俺にだろ」
二人は「自分だ」と譲らず、互いを肘で小突き合っている。
「おはよう。拓海君」澄んだ、奇麗な声がした。
男子生徒たちの羨望の眼差しを背に、僕は先輩の元へ駆けだした。
まーた緊張感のない顔してる。あれ見ると、いらいらするのよね。ま、貴族令嬢のあたしは、そんな感情、顔には出さないけど。
それにしても、ムチ打ち三回が達成出来なかったのは、悔やまれる。いっそ、再チャレンジする? ……ううん。駄目よ。これ以上深追いすると、こっちの分が悪くなる。
なら、ターゲット変更ね。
マヌケ皇子ご自慢の家庭教師を、ぎゃふんと言わせて、皇子もろともあたしの足元にひざまずかせてやるんだから!
杉咲先輩ことリリアーナは、走って来る拓海を見て、そう決意するのであった。




