30 ジェフリーの悪夢
俺の名前はジェフリー。魔王城で働く、しがない文官だ。
貧乏貴族の三男なので、俺には継ぐ家がない。それはつまり、己の才覚ひとつで、世間の荒波に立ち向かわねばならない、ということだ。
だから俺は、ガキの頃から自分の利になる者への嗅覚を磨いてきた。
その甲斐あって学生時代、名門オステルマン家の嫡男と知り合うという幸運に恵まれた。
ありがとうございます魔王様。暗かった俺の将来に一筋の光が差し込みました。奴のそばに居れば、きっと美味しい思いが出来る。いや、そうしてみせると誓った俺は、ぼっちだったマックスの世話を焼いてやった。そりゃあかいがいしくね。
だが、奴はやってくれた。家督を継がず文官になったのだ。さらに貴族専用宿舎を嫌ってダウンタウンに引っ越すという愚行に出た。オーマイガッ! おっと、魔界では禁句だった。
学生時代の俺の努力は、全て水泡に帰した……。
そういう事情から、俺は得られなかった恩恵を回収する為、奴を利用することを思いつく。奴が生み出す魔方陣にはそれなりに価値があるのだ。巷では、やれ天才だ魔方陣の申し子だと騒がれているが、俺に言わせれば、ただのオタク。そして、恩知らずだ。
前置きが長くなったが――最近、とあるご婦人から依頼があった。ベール付きの帽子をかぶっていたので、顔はよく見えなかったが、美人だった。ベール越しに見えた泣きぼくろがセクシーで、俺好み。
彼女曰く、離婚した夫に、可愛がっていた猫を取られてしまったらしい。何度、譲渡を申し出ても断れ、諦められない彼女は、俺の噂を聞いて会いに来たってわけだ。
「元夫が住んでいる家は、魔王城のように堅固な結界が張られています。猫を連れ出す間だけ、一時的に結界を無効にすることが出来れば、わたくしはあの子に会えるのです」
ぎゅっと握られた手の熱さにときめいたわけじゃない。ましてや報酬に目がくらんだわけでも。猫を想う彼女の気持ちが俺を動かした。その証拠に、今回は金銭の授受は発生していない。俺は、美人と動物には優しいんだ。
そして昨日。俺宛に封筒が届いた。貸していた書類の他に手紙も入っている。
お礼がしたいので、一般エリアにある噴水公園で待っていると書いてあった。それは、まあ、なんだ。デートのお誘いだな。
俺は噴水が見えるベンチに腰掛け、彼女の到着を今か今かと待っていると、偶然、顔見知りがやって来た。マックスの引っ越し先で出会ったユリウスという男だ。
本来、俺は顔のいい男は大嫌い。そばにいるだけで、気分が悪くなる。
だから、知り合った当初、ユリウスに会うと必ず嫌味を言ってやった。礼儀を欠いた態度もセットにして。それなのに、ユリウスは始終穏やかで嫌な顔ひとつしない。それは格の違いを見せつけられたようで、よけいに俺を苛つかせた。
だから、嫌がらせをしてやった。ユリウスに熱を上げている令嬢を、こっそり、やつの部屋に入れたのだ。ホテルのオーナーが保管してるマスターキーを、ちょいっと拝借してな。
ははは。これで、ユリウスは刺激的な夜を、俺は小遣いをゲット。まさに一石二鳥。イケメンのびっくり仰天顔ってどんなのだろ? その顔を想像して、俺は、ほくそ笑んだ。
その結果、俺は吊るされた。
ダウンタウンにある大きな川の橋に。
ユリウスの連れである狼男の逆鱗に触れてしまったのだ。
狼男は激しく罵り、これから俺を川底に沈めると宣言した。俺は、泣いて許しを乞うたが駄目だった。
心底後悔した。大した未来なんて期待出来ない俺だけど、少しの小遣いで命を落とすとか、何の冗談だよ。
狼男が今にもロープを切ろうとした、そんな絶体絶命の状況から俺を救ってくれたのは、なんとユリウスだった。ユリウスは、体を張って怒り狂う狼男を止めたばかりか、俺の体を心配して優しい言葉もかけてくれたんだ。
その瞬間、ユリウスは、大嫌いなイケメンから心の友へと進化した。
だってそうだろう。誰が自分の個人情報を垂れ流した奴を助け、そして許す? こんな懐の大きい男を俺は知らない。
それ以降、俺は職務上知り得た機密情報や閲覧禁止の㊙書類なんかをコピーして渡している。だって、命の恩人だもん、それくらいお安い御用さ。
◆◆◆
「なんだユリウス。お前もデート? あー、通りがかっただけ? 俺は、美女と待ち合わせなんだ。いいだろう。あ、おい、落ちたぞ」
俺は地面に落ちたハンカチを拾ってやる。ユリウスは礼を言って、にっこりと笑った。いつものイケメンスマイル……のはずなんだけど、あれ、ちょっと違う? ま、気のせいか。
「え、用事が終わった? ふーん。じゃあ、またな」
去って行く心の友を見送っていると、見知らぬ子どもが近寄って来た。
「おじちゃん。ここで何しているの? 誰かと、待ち合わせ?」
「…………」
「ねえ、おじちゃん。おじちゃんってば」
「……おい、俺に用があるなら、お兄さんと言え」
「え、あ、うん。お兄さん」
「よし。なんだ。お兄さんに用か? でもな、お兄さんは、これからデートで忙しいんだ。だから、もし迷子だったら、向こうに大人がたくさんいるのが見えるだろ。そっちに行け。きっと親切な誰かが、ママの所へ連れてってくれる」
「違うよ。ぼく迷子じゃないよ。猫のお姉さんに頼まれたの」
「猫の?」
ユリウスは少し離れた木の陰から様子を窺っていた。子供がジェフリーと話している。そして、何かを渡すと、走ってどこかへ行ってしまった。
一人になったジェフリーを見ると、呆然として動かない。その手には、棒付きのキャンディーが握られていた。
◆◆◆
くそ。くそ。くそ。礼がしたいって言うから、待ってたのに。それなのに、礼がこの棒付きのキャンディーだと? ふざけやがって! デートしないなら、金をもらっとけば良かった。俺の馬鹿!!
宿舎に戻ると、騙された怒りをつまみに、酒をしこたま飲んだ。そして、酔っぱらって眠ってしまった。
そこから、俺の悪夢が始まる。
今まで付き合った女共が、「嘘つき」「甲斐性なし」「お金返して」などと叫び、刃物を持って追いかけて来た。俺は必死に逃げる。だが、ついに袋小路に追い詰められ、女が刃物を振りかざす――俺は悲鳴と共に飛び起きた。
なんだ、夢だったと安堵し、眠りにつく。
今度は、情報漏洩の罪で、断頭台へ送られた。俺は恐怖に震え、懸命に無実を訴えるが、通用しない。山のような証拠を突きつけられ、問答無用で、ギロチンの刃が落とされる――俺は悲鳴と共に飛び起きた。
なんだ、また夢だったと安堵して、眠りにつく――というのを、あと四回ほど繰り返して、朝を迎えた。
良かった。朝だ。これで悪夢とは、おさらばだ……部屋に差し込む朝日に心が震えた。
だが、目覚めた俺を待っていたのは、宿舎からの即日退去を命じる命令書だった。
宿舎の管理人の元へ、俺が一晩中騒いだせいで睡眠を妨害されたと、何件も苦情が入り、その中に有力な高位貴族がいた。
おまけに、俺の日頃の行い……高価な物を勝手に借りる等の素行不良も重なっての処分だった。
「待ってくれ。ここを追い出されたら、俺はどこへ行ったらいいんだ。金だってないんだぞ!」
泣き言を言う俺の目の前で、宿舎の重々しい鉄製の門が固く閉じられた。その風圧で、俺の髪からひらひらと何かが剥がれ落ちる。何かの燃えカスみたいだったけど、そんなの気にする余裕はなかった。
だって、俺の悪夢はまだ終わってないから。




