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28 厄介なタロダス草

 訪れたその部屋は、ユリウスの部屋よりも広かった。

 壁にはオーナーのマーサに許可を取って設置した書棚が並んでいる。

 魔術関連から数学史に哲学書、魔界の植物図鑑に児童文学、はては人間界の神話など多種多様な本が収まっている。


「お邪魔します、教授」

「やあ、いらっしゃい。さあ、座って座って」


 にこにこ笑いながら、椅子を勧めてくるこの年配の男性は、このホテルの最古参だ。周囲からは、『教授』と呼ばれているが、本当に教鞭をとっていたかは知らない。

 だが、かなりの博識で、ユリウスはこの男性に、何かと助けられていた。


「カイゼール産の紅茶を手に入れてね。ユリウス君が引っ越す前に、是非ご馳走したいと思っていたんだ」


 小さなテーブルに、焼き菓子と淹れたての紅茶が並んだ。


「ありがとうございます。……でも、実は、引っ越しが延期になって、もうしばらく部屋を借りることにしたんです」


 ユリウスが申し訳なさそうに言うと、それを聞いた教授は破顔した。


「本当かい? 君とザック君の二人が一遍にいなくなったら寂しいと思っていたんだ。君達が、まだ居てくれると知ったら他の皆も、喜ぶよ」


 このホテルには、一癖も二癖もある連中が住みついている。各々が抱える事情は語らないが、困った時には手を貸してくれる頼もしい存在だった。


「そうだ。教授に教えてもらった、『ドラゴンを泥酔状態にする方法』効果抜群でした」

「何、それは本当かい?」


「はい、ザリオの実を集めるのに苦労しましたが、喜んで食べていました。それで見事に泥酔し、無事に退治できたんです。その功績で魔王様から、お褒めの言葉をいただき、領地を賜る事になりました。教授の豊富な知識のおかげです。本当に感謝しています」


「いやいや、僕はとある古書に書かれていた話を君に教えただけ。それを実行するには、労力がいるし危険も伴う。全てはユリウス君の手柄だから、感謝なんていいんだよ。……あ、でも、もし、面白そうな」

「はい。そうおっしゃると思って――こちらをどうぞ」


 ユリウスが紙袋を渡す。

 中に、人間界で手に入れた本が入っている。拓海に連れて行かれたショッピングモールで購入した、仏像の図鑑に料理本、流行りの小説と拓海に勧められた漫画も入れておいた。


「おおー、これは珍しい。翻訳機を使って、さっそく読ませてもらうよ」


 教授は興奮したように本を手に取った。その様子を嬉しそうに見ていたユリウスが、ふと思いだしたように、尋ねる。


「教授は、マックスが部屋にいるかわかりますか?」

「ああ、マクシミリアン君なら、君の部屋に行く前に見かけて、お茶に誘ったんだよ。でも、行く所があるって、ふらふらしながら出て行ったよ。きっといつもの店じゃないかな」


「そうですか。……すみません、彼に会う必要が出来たので、これで失礼します。お茶、香りが良くてとても美味しかったです。ご馳走さまでした」

「こちらこそ、ありがとうね。おや、ユリウス君、髪に何かついているよ」

「え?」


 教授に指摘され、ユリウスは髪に手を伸ばす。植物の燃えカスのような物がついていた。


「いつの間に……」

 そう言ってから、ブラッドフォード邸で出会ったカイルの事を思い出した。あのとき、足元で草が燃えたから、それか?


 教授はユリウスから燃えカスを受け取り、しげしげと見てから匂いを嗅いだ。


「あー、これはタロダス草だね。焼却すると、人に悪夢を見せる成分を放出する厄介な雑草さ。行政から焼却の際の注意喚起も出されているんだ。良かったら、これ、僕が処分しておこうか?」


「いえ、大丈夫です」


 ユリウスはハンカチを取り出すと、タロダス草の燃えカスをそっと包み、ポケットにしまった。


「ひょっとして、もう悪夢を見ちゃった?」

「いいえ。見ていません」


「あ、そうなの? 少量の摂取でも、人によってはハードな夢らしいから、運が良かったね」

「そうですね。では、お邪魔しました」


 ユリウスは、にこやかな笑みを浮かべて挨拶し、教授の部屋を辞去した。

 ドアを背にした途端、ユリウスから笑みが消えた。


「悪夢なら、昔、さんざん見た……だから、さっきのは、ほんの子供騙しだ」


 そう呟くユリウスをあざ笑うかのように、背後で怪しげな気配がした。そして、声が聞こえる。


『ユリウスは僕を忘れたりしないよね』


 暗闇から伸びた腕が、ユリウスの体に巻き付いた。まるで茨の蔓のように、きつくきつく。そして長く伸びた爪が肌に食い込む。


「無駄だ。俺に悪夢は必要ない」


 きっぱりと、毅然とした口調で言い放つ。

 絡みついていた腕が霞のように消え去った。そして、いつもの静かな空間に戻る。

 ユリウスはまっすぐ前を見て、歩き出した。



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