24 ブラッドフォード邸
嶌村家の玄関に、三人が立っていた。
「拓海様、お気をつけて」ユリウスが言う。
「知らない人に声を掛けられても、ついて行っちゃ駄目ですよ。それと、終わったらまっすぐ帰ってきてくださいね」
ザックが真剣な目で拓海を見る。
「あはは。わかりました。じゃあ、行ってきます」
拓海は、あまり寝ていないだろうが、学校へ行けるのが嬉しくて仕方ないようで、弾むような足取りで歩いて行く。でも、時々、振り返る。ザックはそのつど手を振ってやる。拓海への笑顔を保ちながら、ザックがユリウスに尋ねる。
「ユリウス様はこれから魔界ですか?」
「ああ。ブラッドフォード卿から呼び出しだ」
「襲撃があったの、ばれましたかね?」
「わからん」
「……健闘を祈ります」
「留守を頼む」
拓海の姿が見えなくなったのと同時に、ユリウスの姿も消えた。
ひとりになったザックは、うーんと大きく伸びをして空を見上げた。そこには雲ひとつない青空が広がっている。
「人間界は日差しが眩しいなあ。洗濯物がよく乾きそうだ」
ザックは家事を始めるべく、家の中に戻って行った。
◆◆◆◆◆
魔王城がある王都は、三つの区画で構成されている。許可を得た者が住む特権エリア、一般市民が暮らす一般エリア、そのどちらにも属さぬ者らが集まるダウンタウン。当然、ダウンタウンの治安は良くない。
ユリウスはブラッドフォード卿が住む特権エリアに来ていた。
住人の権勢を誇るような立派な屋敷が立ち並び、きちんと整備された歩道の街路樹や花壇の花さえ、どこか上品だ。
本当に、ここは別世界だな……。ダウンタウン暮らしのユリウスは、歩道を歩きながら、思わず笑ってしまう。
ブラッドフォード卿の邸宅に着いた。まず門番に面会予約の有無、身分証の提示を求められる。次に、警備の者から武器の携帯がないか厳重にチェックされて、ようやく門をくぐる許可が下りた。警備から案内の申し出があったが、丁重に断り、一人で向かうことにする。
しばらく歩いたが、視界に入るのは樹木ばかりで、一向に建物が見えてこない。
「想像はしていたが、これ程とは……」
いつも魔王城で会っていたので、ブラッドフォード卿の自宅を訪問するのは、これが初めてだった。
案内を断った時、門番が不思議そうな顔をしていたのを思い出し、今更ながら悔やまれる。
気を取り直して歩き出そうとした瞬間、ユリウスが跳躍した。そして、少し離れた場所に着地する。
さっきまで立っていた場所に、小さな火柱が立った。大きな炎ではないが、火傷するくらいの威力はある。草が多少燃えたが、火はすぐに消えた。
「ごめんさない。大丈夫?」
木の陰からひょっこりと幼子が顔を出した。
「お庭を荒らす悪いモグラがいたから、やっつけようと思って……。怪我は、なあい?」
幼稚園児くらいの男の子が、心配そうな様子で駆け寄ってきた。
「大丈夫。怪我なんてしてないよ」
「ちっ!」
え、今、舌打ちした?
ユリウスは目の前の子供をまじまじと見た。
金色の巻き毛をした可愛らしい男の子。シルクのブラウスにサスペンダー付きの半ズボン、足元は黒の革靴を履いている。明らかに上流階級の子だ。
「ねえ、お父様に会いに来たんでしょ? 驚かせちゃったお詫びに、案内してあげる」
「お父様というと――では、あなたはブラッドフォード卿の……」
「息子の、カイルだよ。さ、行こう」
さっきの舌打ちが嘘のように、カイルは無邪気な笑顔でユリウスの手を取る。二人が歩き出すと、背後に何者かの気配を感じた。おそらくカイルの護衛だろう。ユリウスはそのままカイルと歩いて行った。
「ここが僕のうちだよ」
敷地の広さからして絢爛豪華な建物を想像していたが、意外にも落ち着いた佇まいの邸宅だった。華美や無駄を嫌うブラッドフォード卿らしいと思った。と言っても、庶民には夢のまた夢のような豪邸だ。
カイルは慣れた様子で、ブラッドフォード卿の書斎へと向かう。
「お父様。お客様を案内してきました」
書類を読んでいたブラッドフォード卿が、ノックもなしに飛び込んできたカイルにため息をつく。
「カイル。今日は家庭教師が来る日のはずだ……また抜け出して遊んでいたのか?」
「ち、違います。この人が迷子になっていたのが見えて、それで、その、案内してあげたんです。決して、さぼって遊んでいたわけじゃありません」
ブラッドフォード卿が、ちらりとカイルの足元を見た。小さな革靴には泥と草がこびりついている。さらに大きなため息が漏れる。
「もういい。私はこの者と話がある、お前は戻って今日の課題をやりなさい」
課題と聞いて、一瞬ぎくっとするカイルだが、ユリウスに見られているのに気づくと、慌てて笑顔を作った。
「はい。お父様。じゃあね、おじさん」
カイルは手を振って、書斎から出て行った。
おじさん、か……。地味に心に響いた。
「君に迷惑をかけたかな?」
「いえ。カイル様のおかげで、迷わずにすみました」
「なら、いいが……まあ、掛けたまえ」
はい、と返事をして、ユリウスはソファーに腰を下ろした。ブラッドフォード卿も向かい合わせで座る。さっそく報告書の件に触れて来た。
「皇子様は人間の学校へ通うのを続けるとか」
「はい。皇子教育と並行して勉強したいとのことです」
「だが、人間の学問など時間の無駄だろう。それなのに、君は、それを了承したのか?」
「皇子様の強い要望ですので」
ブラッドフォード卿の眉がぴくりと動いた。ああ、これは雷が落ちるな、とユリウスは身構えた。
静かになった書斎に、庭でさえずる鳥の声が微かに聞こえる。
「……そうか。ならば仕方あるまい」
「え、よろしいのですか?」
「良いも悪いも、皇子様がそう望まれたのなら従うしかあるまい。なんだ? 何かおかしなことでも言ったか?」
からかうような目を向けられ、ユリウスはなんだか調子が狂ってしまう。
「いえ……」
「皇子教育だけが望ましいが、皇子様の意志ならば無下には出来まい……それに、魔王様からも時間の制限は設けないと、重ねてお言葉を頂戴している」
肩透かしを食らった気分だった。実は、ブラッドフォード卿を説得するべく、作戦を練っていたのだ。でもすべて徒労に終わった。まあ、期限について制約がなくなったのは、せめて喜ぶべき事だ、と自分を慰める。
「時に、その……君は困っている事はないかな?」
「困っている事ですか?」
「そうだ。初めての人間界の生活で、何かイレギュラーな事とかは、あったかね? せっかくだから、話してみさない」
今日のブラッドフォード卿は体調が悪いのだろうか? いつもは指示をするだけで、私的な話などしない。それに奥歯に物が挟まったようなもの言いも変だ。
まさか、家庭教師を辞めようとしたことがバレてるのか? ユリウスは動揺が顔に出そうになるのを、ぐっと堪え、笑顔を作る。
「ご心配痛み入ります。ですが、特に、ご報告するような事はありません」
「…………そうか。なら、そうなのかもしれんな」
ブラッドフォード卿は独り言のように呟くと、寂しそうにユリウスを見つめてくる。
う……なんだ、この空気は。気まずい……。
その時、ノックの音がして、執事が飲み物を運んできた。ブラッドフォード卿の視線がそれて、ユリウスは、ほっと胸をなでおろした。




