13 亀裂の音
「ユリウスさん……樋口先輩を連れてきて、一体どうするつもりなんですか」
拓海は、目の前に横たわる樋口を見下ろした。
会えばいつも意地悪してくる、嫌な先輩だ。でも――僕とユリウスさんのことに巻き込むのは、やっぱり違う。
拓海は真剣な眼差しをユリウスに向ける。けれどユリウスはいつものように優しく微笑んでいるだけだった。
この笑顔……僕、ユリウスさんのことを、優しい人だって思ってる。
でも、よく考えたら、僕たちは知り合ってまだそんなに経ってないし、お互いのことだって全然知らない。
その笑顔の下で、何を考えているのかなんて、想像したこともなかった。そう思ったら、少し、怖くなってきた……。
駄目だ。今は、僕がしっかりしなきゃ。
「樋口先輩を、どうするつもりなのか……ちゃんと教えてください」
「……この少年は、王族である拓海様を傷つけました。その行為は重罪です。ですから、その命をもって償う必要があります。ああ、当然、家族も連帯責任です。それと仲間も同罪ですから、この者を始末したあと、その他の者たちもすぐに片づけます」
ユリウスが冷たく笑う。それと同時に、その手元が鋭く光る。いつの間にか、短剣が握られている。驚愕する拓海の目の前で、ユリウスの腕が振り下ろされる。狙いは、樋口の心臓。
拓海が大声で叫んだ。
「やめて! 殺さないで!」
切っ先が、寸前で止まった。
「樋口先輩を傷つけるのはやめて。罰なんて、罰なんて必要ないから」
拓海が真っ青な顔でしぼり出すように言う。
「いいえ。この者は拓海様を傷つけました。それは万死に値します」
「い、命を奪うなんて、そんなこと僕は望んでません。とにかく、今すぐ、その人を家に帰してあげてください」
「ですが」
「いいから、僕の――僕の言うことを聞いて!!!」
拓海は震える声で、必死に懇願した。
「…………わかりました。拓海様がそうおっしゃるなら」
ユリウスが、またも指を鳴らすと、樋口の姿も剣も消えた。
さっきまでのことが、まるで夢でも見てたみたいだ。
拓海は、腰が抜けたようにその場にへたりこんだ。
ユリウスは片膝をつき、拓海の顔をのぞきこんだ。
「昔のあなたなら、とっくに殺すよう命じていますよ」
「え?」
「思い出してください。王族に危害を加えた者は死罪。これは、魔界の不文律です……『なぜ』という顔をされていますね。いいですか、我らは人間とは異なる理で生きているのです……」
「ことわり……」
「ええ。違う世界の住人なのですから」
突然、拓海の視界が黒い影に覆われた。
それは、闇夜で染めたような漆黒の翼。ユリウスの背中に、大きな翼が広がっていた。
初めて目の当たりにする、ユリウスの“人外”としての姿。
拓海の目から、ぽろりと涙が零れ落ちた。ユリウスの翼は、天と敵対する、忌むべき色をしている。
「そんな……ユリウスさんは優しくて……ザックさんは、面白くて……二人といると、とっても楽しくて……だから、僕は……う、ううっ」
ユリウスは、大粒の涙をこぼす拓海の頬を、そっと両手で包み込んだ。
「かわいそうに、悲しいのですね……そうだ。拓海様のお心を慰めるために、杉咲先輩とやらを、そばに置くのはどうでしょう?」
杉咲の名を聞いて、拓海が目を大きく見開いた。
「拓海様の召使いとして、身の回りの世話をさせるのです。人間としての暮らしより、拓海様にお仕えするほうが、彼女にとっても名誉なことです。ああ、もし拓海様がお望みなら、側室として召し上げるのも」
「やめろ!」
拓海はユリウスの手を振りほどいて、叫んだ。
そして今度は、拓海がユリウスの腕をぎゅっと掴む。有無を言わさず部屋の外へと連れ出し、そのまま一階の玄関ホールに向かった。
拓海は荒々しく玄関のドアを開けると、ユリウスを外へと押し出した。
「出てけ!」
「は?」
「聞こえなかった? 出て行けって言ったんだ!」
「…………」
「僕の身の回りの世話をさせる? 側室にする? ふざけるな! 先輩は物じゃない。僕や、僕以外の誰かが、先輩の意思を無視して行動の自由を奪うなんてことは絶対ありえない! ここは、あなたの世界とは違うんだ! そんなことも分からないなんて……もう、もう顔も見たくない。さっさと魔界へ帰れ!」
玄関のドアが乱暴に閉められた。続いて、ガチャッと鍵を掛ける音がする。
それは、ユリウスと拓海の間に入った亀裂の音だった。




