115 ユリウスを大切に思う理由
「親衛隊への差し入れは、たとえ親族であろうとも、すべてお断りしています。マイルズ夫人」
魔王親衛隊の実質トップであるクラウス副隊長が、うんざりした様子を隠そうともせず、目の前の婦人にそう告げた。
「そうおっしゃいますけど、うちのアンソニーは昔から食が細くて、城内の食堂だけでは不安なのです。ですからせめて、三時の茶菓子だけでも、わたくしの手作りしたものをと思い、持参いたしましたの」
泣く子も黙る強面の副隊長を前にしてもなお、そのふくよかな婦人は一歩も引く気配を見せない。
マイルズ夫人は、クッキーやフィナンシェを詰めた大きなバスケットを、当然のように副隊長の執務机へ載せた。
それを目にした副隊長が、大きく嘆息する。
魔王城内にある親衛隊副隊長の執務室で、D班所属のオースティンは、班の仲間たちと共にクラウスに呼び出されていた。一体、これで何度目だろう。
念願かなって憧れの親衛隊に入隊し、魔王様に誠心誠意お仕えしようとしているのに、またしてもこんな雑事で呼び立てられた。
僕は苛立ちを覚えながらも、表には出さず、普段どおりの態度で立っていた。だが、隣のエヴァンは、ふぁあと欠伸を漏らしている。
おい、副隊長の前だぞ。思わず注意しかけたが、近くにはD班の先輩がいる。新人の自分が口を出すことではないと、黙ってやり過ごした。
しかし、不思議なものだ。アンソニーの母親は、何度注意されても差し入れを持って登城してくる。
ついにその話は副隊長の耳にまで入り、こうして当人たちを呼び出して苦言を述べていた。
それにしても、自分の母親が注意されているというのに、アンソニーのやつは、どうしてあんなにも堂々としていられるんだ。
腑に落ちないまま見ていると、アンソニーがすっと一歩前に出て、とんでもないことを言い出した。
「副隊長。母は、女手一つで僕を育ててくれた偉大な女性です。差し入れだって、僕だけじゃなく、他の者にも分けられるよう、多めに用意しています。母は本当に優しくて、気遣いのできる素敵な女性なんです」
「まあ、アンソニー」
息子の言葉に目を潤ませたマイルズ夫人は、うっとりと息子の手を取った。
何を見せられているんだ。ここは副隊長の執務室のはずだ。僕は思わず脱力しかけたが、隣ではエヴァンが立ったまま寝ていた。
ああ、どうして僕が配属されたD班は、こうも変わり者ばかりなんだ。リーダーと副リーダーの二人は、いずれ家を継ぐために親衛隊を辞することが決まっているせいか、完全に傍観を決め込んでいる。
僕は婚約者の顔を思い浮かべた。
ごめんよ、プリシラ。親衛隊に入れば忙しくなって、君と会う時間も減るし、結婚も先になってしまう。それでも君は、僕の我儘を受け入れてくれた。そんな君のためにも、僕はここで恥じない働きをしないといけないのに――。
思わず、ため息がこぼれた。
そのとき、ノックもなく扉が開き、長身の男が入ってきた。
「おい。いつまで待たせるんだ」
「ま、魔王様!」
その声だけで、室内の空気が一変した。
副隊長は弾かれたように立ち上がり、壁の時計に目をやる。マイルズ夫人の件で、予定の時刻が過ぎてしまったのだろう。
僕は眠っているエヴァンの肩を揺さぶり、無理やり礼を取らせた。
さすがのマイルズ夫人も壁際に下がり、深く頭を垂れる。
「申し訳ありません。すぐに参ります」
「参るも何も、俺が来たんだ。行く必要はないだろう、クラウス」
明らかにからかいを含んだ声だった。
「なんだ、焼き菓子か?」
魔王様はバスケットから菓子を一つつまみ上げると、無造作に口へ放り込んだ。
「魔王様。毒見のすんでいない物を口にされては困ります」
「馬鹿言うな、クラウス。俺に毒なんか――」
「魔王さまー」
マイルズ夫人は大声を上げたかと思うと、魔王様の前にひざまずいた。
「誰だ?」
魔王様が副隊長に目をやる。
「そのご婦人は、今年入隊した隊員の母親です」
副隊長が説明しようとしたが、マイルズ夫人の勢いは止まらなかった。
「魔王様。うちのアンソニーは、亡き夫が遺してくれた大切な息子でございます。何よりも大切な、我が家の宝でございます。ですから、お願いでございます。息子が危険な目に遭わぬよう、どうか魔王様のお力でお守りくださいませ」
マイルズ夫人の訴えに、その場の空気が凍りついた。
な、何を言っているんだ、この人は。魔王様に何かあれば、自分の身を投げ出してお守りするのが親衛隊だ。なのに、反対に魔王様に守っていただくなど、本末転倒ではないか。
僕は唖然とした。
副隊長もさすがに見過ごせないと、眉間にしわを寄せて口を開こうとする。だが、その前に、魔王様がふっと笑った。
「ま、魔王様?」
副隊長は目を瞬かせた。
「そうか、お前は自分の息子を、この俺に守って欲しいと願うのだな」
「はい。アンソニーは、かけがえのない後継ぎなのです」
マイルズ夫人は瞳に涙を浮かべ、魔王様を見上げた。
「……この菓子は、お前が作ったのか?」
「はい」
「そうか、ならば、俺はこの夫人に借りができた」
魔王様は顎に手を当てると、どこか楽しげに目を細めた。
「おい、クラウス。俺はこの夫人の願いを聞き届ける」
「は?」
「まあ、本当でございますか、魔王様!」
「ああ、安心せよ。俺がそばにいてやることはできないが、そこにいる副隊長に頼んでおくとしよう」
魔王様は愉快そうに、副隊長の耳元でぼそりとささやいた。
「俺はこの夫人と約束した。きっちり守れよ」
「うっ……」
言葉にされるまでもなく、その意味は誰にでもわかった。こんな厄介な男を入隊させたつけは、自分で払えと、魔王様は副隊長に言っているのだ。
魔王様は笑いながら部屋を出て行かれ、感激するマイルズ夫人とアンソニーを除けば、他の者はただ唖然と立ち尽くすばかりだった。
それからというもの、アンソニーの扱いには、誰もが細心の注意を払うようになった。少しでも怪我をさせようものなら、マイルズ夫人が魔王様との約束を盾に、副隊長室へ怒鳴り込んでくるからだ。
次第に、他の隊員たちからも距離を置かれ、僕らD班は大きなストレスを抱えることになった。
だが、いかに魔王様との約束とはいえ、危険な任務をすべて避けることはできない。
たとえば、僕とエヴァン、それにアンソニーの三人で、魔王城に侵入しようとした不審者を追跡したことがある。
相手はかなり足が速かったが、魔物の棲む森へ逃げ込まれる寸前で、どうにか捕まえることができた。だが、そのとき面倒なことが起きた。アンソニーが怪我をしたのだ。
「どうする、これ?」
木の根元で倒れているアンソニーを見下ろし、エヴァンが眉をひそめた。
「気絶しているだけで、命に別状はない。ただ、頭に大きなたんこぶができている。それと、頬に傷を負っている」
アンソニーの容態を確かめながら告げた僕の声は、自分でもわかるほど震えていた。
たんこぶもまずいが、顔の傷が深い。痕が残るかもしれない。
エヴァンは、はあとため息をついた。そして、妙に冷静な声で言った。
「埋めるか?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。その言葉は耳には入ったのに、意味を結ばない。
「え、今なんて言った? よく聞こえなかった」
「だからさ、この厄介なやつをこの森に埋めるかって、聞いたんだ」
「お、おい、エヴァン。なんてこと言うんだ! アンソニーは仲間だぞ。おまけに怪我をして――」
「そうだ。怪我をしているからこそ言ってるんだ。わかるだろう、オースティン。このままそいつを連れて帰ったら、あの母親が大騒ぎする」
エヴァンの言葉に、僕ははっと息を飲んだ。
「アンソニーはD班の、いや、親衛隊の厄介者だってわかっているだろう。こいつに何かあるたびに、母親が乗り込んできて、副隊長室で喚き散らす。いくら息子がかわいくても、こっちはたまったもんじゃない」
エヴァンが吐き捨てるように言う。そう言いたくなる気持ちもわかる。親衛隊で誰かが問題を起こせば、それは連帯責任になる。同じD班のメンバー全員が罰を受けるのだ。
「それはそうだけど、でも……」
「それに知ってるか? 次にこいつの件で騒ぎが起きたら、親衛隊の秩序を乱したとして、除隊勧告が出るらしい」
「本当か、それ」
「ああ。つまり、連帯責任で俺たちも除隊だ。しかも不名誉な理由でな」
「…………」
「だから、選んでくれ、オースティン。こいつを助けて除隊するか、それとも山に埋めるのか」
「そ、それは……」
一瞬、プリシラの顔が浮かんだ。僕が親衛隊を不名誉な理由で除隊となれば、結婚どころか婚約すら破談になりかねない。
僕が頭を抱えた、そのときだった。
「ユリウス様。こっちから血の匂いがします」
その声に続くように、魔物の棲む森の奥から二人の男が姿を現した。
先頭に立つのは、銀色の長髪をなびかせた男。その背後には、狼族の男が従っていた。
あのときユリウスは、治癒魔法でアンソニーの傷を治してくれた。だからこそ、僕たちは親衛隊を続けられている。
僕とエヴァンは、あのとき誓いを立てた。僕らを救ってくれたユリウスが、いつか何かの騒動に巻き込まれたら、必ず力になろうと。
◆◆◆
隊員のロッカールームで、帰り支度をしていたオースティンは、A班のリーダーに声をかけられた。
「オースティン。頼みがある」
「どうした?」
「今夜の任務を代わってほしいんだ。実は、怪我をした者がいて、うちの班だけでは人数が足りない」
「そうか。で、任務の内容は?」
「ほら、今夜開かれる催しの警護なんだ」
そう言って、A班のリーダーは一枚の紙を差し出した。
そこには、暗い湖面の上を淡い光の軌跡を描きながら、蛍が舞うさまが描かれていた。




