112 ポケットに入っていたのは
王都に戻ったユリウスは、ダウンタウンの小さなジュエリー店に立ち寄った。
雑居ビルの二階にあるこの店は、手前にショーケース、奥に工房がある。
もっともショーケースの中は空だった。防犯のためだろう。
店に入ってきたユリウスに気づき、椅子に座って雑誌を読んでいた中年の女性が奥へ声をかける。
「ビル。ペンダントを引き取りに、ユリウスさんが来たよ」
「こんにちは、ナンシーさん」
「いらっしゃい。ちょっと待っててね。頼まれてたペンダント、もう出来上がってるから」
やがて奥から、ビルが顔を出した。
無口な男だが、頼んだ仕事はきっちりこなす。
「ナンシー。少しユリウスと話がある。外でお茶でも飲んできてくれ」
「わかった。狼と三日月でケーキでも食べてくるよ。じゃあ、ユリウスさん、ごゆっくり」
ナンシーは小さなバッグを手に、店を出ていった。
勧められるまま、ユリウスは小さな応接セットに腰を下ろす。
「これが頼まれてたやつだ。切れた鎖は直してある」
差し出されたペンダントを受け取り、礼を言って、そのまま首につけた。
代金を支払い、店を出ようとする。
予定が詰まっていた。早く人間界に戻らねばならない。
だが、その背をビルの声が止めた。
「なあ。そのペンダント、どこで手に入れた?」
「これか? まあ、昔、人にもらったものだよ」
それは、チェザーレ一族が聖なる乙女と呼んだ小女に渡された品だった。
開閉式のロケットで、中には水晶によく似た石が収められている。
「このペンダントが、どうかしたのか?」
ユリウスも、その由来を詳しく知っているわけではない。
ただ、持ち主だったアウローラから、とても大切な物だと聞かされた覚えだけはあった。
「このペンダントに使われている石なんだが――」
そのとき、店の電話が鳴った。
ビルは立ち上がり、受話器を取る。
ユリウスはそのまま待っていたが、話はすぐには終わりそうになかった。壁の時計をちらりと見る。
「ビル。悪い、急いでるんだ。もう行くよ。修理、ありがとう」
声をかけ、そのまま店を出た。
電話を終えたビルは、すでにユリウスの姿がないことに気づき、わずかに肩を落とした。
あのペンダントに収められていた石が、気になって仕方がない。
魔界では見たことがない、澄んだ美しい水晶だった。
あれを使えば、これまでにないものが作れるかもしれない。
いったいどこで手に入れたのか。今度会ったときに聞いてみよう。
そう思いながら、ビルは奥の工房へ戻っていった。
そのころ、狼と三日月のカウンター席でお茶を飲んでいたナンシーは、壁に貼られたポスターを眺めていた。
「へえ、今夜は西の森で蛍の鑑賞会があるんだ」
暗い湖の上を、淡い光の軌跡を描きながら蛍が舞う絵だ。右下には、協賛者の名前が印刷されている。
マダム・デリアがポスターに近づき、何やら貼りつけるような作業を始めた。
「マダム。何をしてるの」
ナンシーが尋ねる。
「急に大口の協賛者が現れたみたいでね。商店会の会長さんから、シールを貼るよう渡されたのよ」
「へえ。そうなんだ」
ナンシーが目を向けると、そこにはラッセル伯爵と書かれたシールが貼られていた。
◇◇◇
「ただいま戻りました」
台所で夕食の支度をしていた拓海とザックは、ふらりと入ってきたユリウスを見て、顔をほころばせた。
「あ、ユリウスさん。お帰りなさい」
「お帰りなさい、ユリウス様」
「拓海様。休暇をいただき、ありがとうございました」
「そんな、お礼なんていいんです。それより、帰ってくるのは明日かと思っていました」
「ああ、実はこんなものをもらったので、拓海様に見てほしくて」
ユリウスがポケットから取り出したのは、蛍の絵が描かれた案内だった。
「わあ、きれい。これって、魔界ですか?」
「はい。今夜、西の森で蛍を鑑賞する催しがあるんです。とてもきれいなので、拓海様をお連れしたいと思いまして」
穏やかな口調で話すユリウスを、ザックは複雑な思いで見ていた。
蛍見物は、拓海を魔界へ連れ出すための口実にすぎない。そのあとには、特別授業が待っている。
そんなことは知らない拓海が、無邪気な声を上げた。
「行きたいです。昨日で、テストも終わったし。みんなで蛍を見るなんて楽しそうです」
瞳を輝かせる拓海を見て、ユリウスは内心ほっと息をついた。これで魔界に行く名目ができた。
そのとき、拓海が首をかしげた。
「あれ、ユリウスさん。ポケットから、何か紐みたいなものが、出てますよ」
「え?」
視線を落とすと、たしかに何かがのぞいている。
なんだこれ、と無造作に引っ張り出した瞬間、ユリウスは凍りつく。
ぶらんと揺れたのは、いちごが刺繍された可愛らしいブラジャーだった。
「な!」
「わっ」
「…………っ!」
これは、あいつの。
ユリウスは顔色を変え、慌ててそれをポケットへねじ込んだ。
「これには、事情があって」
ユリウスが焦って説明しようとするが、拓海は真っ赤になって横を向く。
「あ、あの。僕は見てません。見てないから、大丈夫です」
いや、何が大丈夫なんだ。
ユリウスは内心でつっこんだ。だが、今問題なのはそこじゃない。
「……拓海様。すみません。ユリウス様と話があるので、ふたりだけにしてもらえますか」
ザックが、聞いたこともないような低い声で言った。
「あ、ザック。誤解だから。お前が考えているようなことじゃ――」
「いいから、そこに座りなさい!」
部屋の空気がびりびりと震えそうなほどの気迫だった。
「はい!」
ユリウスは床に正座した。
おろおろと立ち尽くす拓海に、ザックは優しく声をかける。
「拓海様。少しでいいので、二階に行っていてください」
「ザックさん。あ、あの……わかりました」
拓海は何か言いかけたが、自分にできることはないと察し、台所をそっとあとにした。
扉が閉まった瞬間、ユリウスはザックを見た。
そこに立っていたのは、子供のころに恐れた鬼の形相の男だった。




