111 それぞれの休日
嶌村家の庭では、運動着姿の拓海とザックが剣術の稽古の真っ最中だった。
木剣を構えたザックに向かって、拓海が打ち込む。
かつん、と乾いた音が庭に響く。
「お、今のいいですね。腕の力みが少なくて、腰から動けていましたよ」
「え、本当ですか」
「はい。前みたいに力任せじゃなくて、俺が教えたことがちゃんとできてます。このまま続ければ、拓海様は絶対に上達しますよ」
褒められて嬉しくなった拓海は、夢中で何度も木剣を振るった。
気温も上がってきて、拓海の額には玉の汗が浮かんでいた。
それに気づいたザックが声をかける。
「拓海様、少し休憩しましょう」
「は、はい……ふう」
拓海は首に巻いたスポーツタオルで汗をぬぐった。
そのタオルは、憧れの杉咲先輩からプレゼントされた大切なものだ。
タオルを握りしめながら、拓海は思う。
もっと強くなれたら。
もし杉咲先輩が危ない目にあったとき、自分が先輩を守れたなら。
「拓海君がこんなに強いなんて知らなかった。とっても素敵」
そんなふうに言ってくれたら、ただの後輩からステップアップできるかもしれない。
つい妄想のスイッチが入り、拓海は顔を赤らめる。そのままタオルを握りしめて、もじもじと身をよじった。
そんな拓海を見て、ザックは内心で苦笑した。
これはきっと、杉咲先輩が絡んでいるんだろうな。
ザックはそんなことを思いながら、生温かい目で見守っていた。
そのとき、拓海の肩にコディが飛び乗り、拓海の髪を引っ張った。
「痛い。痛いよ、コディ。いきなり何?」
コディはぐいっと拓海の顔を家の方へ向けさせる。
「ちょっと……。あ、もう十二時過ぎてるってことか」
拓海は居間の時計が目に入り、コディの言いたいことを察した。
「拓海様、俺、お昼の用意をしますから。シャワー浴びてきてください」
「はい。わかりました」
拓海はザックに木剣を渡して、歩き出した。
「まったく、コディって食い意地が張ってるよね」
拓海はぽつりとこぼしたが、コディは拓海の頭の上で知らん顔している。
ふと、ユリウスさんは今ごろどうしているかなと、そんなことを考えながら、拓海は家の中へ入った。
◆◆◆
そのころ、ユリウスはかつて自分の生家があった場所に立っていた。
今はもう更地になっていて、青々とした雑草が、かつてそこにあったものを覆い隠すように生い茂っていた。
ユリウスは持っていた花束を、そっと地面に置いた。
「父さん、母さん。兄さんにブラン。会いに来たよ」
静かな声が落ちる。
すると、まるでその帰還を迎えるように、草むらの上を風が吹き抜け、ユリウスの長い髪を揺らした。
「ユリウス様。そろそろ出発しないと、汽車の時間に遅れます」
背後から声がした。
「ああ、わかった。とんぼ返りで、すまない。ゲイル」
ユリウスの後ろに、顔の半分を髭に覆われた、ザックの父、ゲイルが立っていた。
「仕事が忙しいのはわかりますが、せめて五分でもいいから、お屋敷の方へ寄ってほしかったですよ」
ゲイルの横にいた妻のナタリアが、残念そうにため息をついた。
「そう、ユリウス様を責めるな。王都での仕事が済めば、ザックと一緒に戻って来られるんだ。そのときを楽しみに待っていようじゃないか」
「わかってるわよ。でもね、せっかくきれいになったお屋敷を、ユリウス様に見てほしかったんだよ」
日頃、肝っ玉母さんで知られるナタリアも、少し拗ねたような目で二人を見た。
チェザーレ一族という大きな後ろ盾を失ってなお、自分に仕えてくれるこの気のいい夫婦には、ユリウスは感謝してもしきれない。
「いつもありがとう、ふたりとも。今回の仕事が終わったら、ザックも連れて帰ってくる。信じて待っていてくれ」
ユリウスの力強い言葉に、ゲイルとナタリアは嬉しそうに何度も頷いた。
◆◆◆
入浴を終えたリリアーナは、髪にタオルを巻いたまま、半袖短パンの部屋着姿で、自分の住む離れのティールームにいた。
小さな丸テーブルでお茶を飲みながら、大きな窓の向こうに見える花壇をぼんやり眺める。色とりどりの花が、やさしく風に揺れていた。
「どうしたんですか、お嬢様。まだ、頭が痛いっすか?」
そこへ、侍女のポーリンが入ってきた。
「ううん。頭痛は治ったわ……あのね、昨日の夜からの記憶が、その、曖昧で……どうやって家に帰って来たのか、思い出せないのよ」
そう言って、リリアーナはカップを口元に運ぶ。
「なーんだ。そんなことですか。ノアさんですよ。ノアさんが酔っぱらったお嬢様を抱っこして帰ってきたんっす」
リリアーナは口に含んだお茶で、思いきりむせる。
「大丈夫ですか、お嬢様」
ポーリンがリリアーナを落ち着かせようと、背中をさすった。
「ノ、ノアが抱っこ? 酔っぱらったあたしを?」
「そうですよ。お嬢様、すっごくお酒臭かったんですから――」
ポーリンがそのときの様子を詳しく語り出したが、リリアーナの耳には入ってこない。
ノアが来てくれたのね。
そう思っただけで、リリアーナは胸の奥がきゅっと締めつけられ、なんだか切なくなる。
ノアと初めて会ったのは、あたしが三歳のころ。
当時住んでいた家の大きな木から落ちたのがきっかけで、心配したお父様が凄腕の護衛を雇い入れた。それが、ノアだったのよね。
あたしは優しいノアが大好きで、昔はよく、
「大きくなったら、ノアのお嫁さんになる」って言っていた。
そのたびにノアは、「光栄です」と笑ってくれた。
それが、いつからだろう。
あたしがその言葉を口にすると、ノアが困ったような顔をするようになったのは。
あたしは、ふと天井を見上げた。
子供のころはよかった。
狼に変化したノアにくっついて、あたしとルルでよくお月見をした。
それも今では、懐かしい思い出だ。
ここ数年、ノアはお月見に付き合ってくれなくなった。
リリアーナがふうっと大きなため息をついたところで、ルルがティールームに入ってきた。
「あ、ルル先輩」
いち早く気づいたポーリンが声をかける。
「お嬢宛てに、手紙を預かってきたよ。お誘いみたい」
どんよりとした雰囲気をまとったリリアーナに、ルルが一通の手紙を差し出した。
「お誘い?」
リリアーナが面倒くさそうに尋ねる。
「今夜、西の森でちょっとした催しがあるから、お嬢にも来てほしいんだってさ」
リリアーナが封筒を開く。中に入っていた案内には、湖の上を舞う蛍が、淡く光っていた。




