11 拓海のハンガーストライキ
「拓海様の様子はどうだ?」
「駄目です。やはり食事はいらないと……」
「そうか……」
ユリウスはザックが持つ盆に視線を落とした。そこには、手つかずの料理が並んでいる。
「料理が気に入らなかったのかもしれません。食欲をそそる献立を、改めて考えてみます」
ザックは肩を落としながら、台所へ歩いて行った。
ひとりになったユリウスは、居間のソファーに深く身を沈め、天井を仰いだ。
昨日から、拓海は部屋に閉じこもったままだ。原因は、家から出られないことにある。
あの話し合いの翌日、拓海は制服を着て、こっそり家を抜け出そうとした。ユリウスはその様子に気づいていたが、止めなかった。しばらくすると、拓海は青い顔で戻ってきた。
「どういうことですか? 家を出て、道路まで歩いていくと、次の瞬間には玄関に戻ってしまうんです。何度やっても同じで……」
「拓海様が皇子教育に集中しやすいよう、屋敷には術がかけてあります。その影響かと」
ユリウスが淡々と告げると、拓海はかっとなって叫んだ。
「やらないって言ったでしょう! 僕は学校に行きます。邪魔するのは、やめてください」
「昨夜も申し上げましたが、拓海様がすべきは皇子教育です。人間の学校に通う必要はありません」
二人の間に、目に見えない火花が飛び散った。
その会話以降、拓海は皇子教育どころか、ユリウスとの会話すら拒絶している。おまけに通学の自由を求めて、ハンガーストライキを始めてしまった。その結果、拓海は昨日から何も口にしていない。
拓海の反発は、ある程度予想をしていた。だが、食事まで拒むとは誤算だった。何故これほど人間の学校に固執するのか、その理由を知りたい。だが、ユリウスへの拒否反応がひどく、今のところ手の打ちようがない。
そこでザックが、拓海の対応を買って出た。
「拓海様、俺です。ザックです。顔を見て、話をしませんか?」
ザックは根気強く、ドア越しに拓海へ声をかけ続けた。最初はまったく反応がなかったが、「初音さんから、拓海様の好きなお菓子を教えてもらいました。買ってきたので、一緒に食べましょう」と言ったあたりで、ドアがわずかに開き、ようやく部屋に入ることができた。
居間でじっと待っていたユリウスのもとへ、ザックが戻って来た。
「どうだ、わかったか?」
「あー、はい……。拓海様によれば、中学校は義務教育なので通学は必須で、将来のためにもそれは譲れないと。それから、学校には友達がいて、今の生活に不満はないから、ということでした」
理由を聞かされ、ユリウスはいっそう当惑した。
人間は魔力を持たず、寿命も短い。肉体も貧弱で、怪我や病であっけなく人生を終える。そんな些末な存在として生きることを、本当に望んでいるのか? あの方が……。
昨日のことを思い返しているうちに、いつのまにか特大のため息をついていた。
それにしても、拓海が食事をしないのはまずい。すごく、まずい。
今の拓海の様子を魔界に知られたら、俺とザックは職務怠慢で牢獄行きだ。悪くすれば、ザックの親族にも累が及ぶ。そうなる前に、何とかしないと……。
そうだ。いっそ椅子に縛り付けて、無理にでも食べさせるか? いや、それより食事をしたくなるよう魔法を使って……あー、どっちも駄目だ。あとで問題になる。
くそ。こうなったら、家庭教師を誰かと交代して……それも無理だ。俺から変更の申し立ては出来ない。魔王様直々の依頼なんだ。じゃあ。どうする。他に手立ては――。
親指を噛みながら必死に打開策を練っていたとき、不意に呼び鈴が鳴った。ユリウスがこの家に来てから、その音を聞いたのは初めてだった。
「来客か?」
ユリウスは、はっとしてソファーから身を起こし、玄関へ向かった。ちょうどそのとき、お玉を手にしたザックも台所から出てくる。
「誰か来たようだ」
「この家に、いったい何の用ですかね?」
ユリウスとザックが顔を見合わせていると、慌てた様子の拓海が、二階から駆け下りてきた。その姿に、ザックは目を剥く。ドアの隙間から見たときの拓海は、ゴムの伸びたスウェット姿だったのに、今はショッピングモールに出かけたときのような、お洒落な長袖Tシャツとジーンズを身に着けていた。
「拓海様、体調はどうですか?」
ユリウスの問いかけを無視して、拓海は焦ったようにザックを見る。
「僕は家から出られなかったけど、外からは入れるの?」
「あ、はい。拓海様だけが家から出られないように、術をかけたはずです」
「よかった……。いいですか、学校の人が来たから、二人は居間に行っててください。それと絶対、声も出さないで!」
拓海はユリウスとザックを問答無用で居間へ追いやり、二人が中に入ったのを確認してから、玄関のドアノブに手をかけた。
居間と玄関は離れているため、拓海が誰と話しているのかは分からない。ただ、小さな笑い声が聞こえる。どうやら女性のようだ。
しばらくして、ドアの閉まる音がした。ユリウスとザックが玄関に向かうと、嬉しそうに紙袋を抱きしめる拓海が立っていた。
「拓海様、顔が赤いです。熱があるんじゃないですか?」
「いえ。熱はないです。大丈夫ですよ、ザックさん」
「本当ですか? ユリウス様に診てもらったほうが……」
「結構です!」
「……何を渡されたんですか?」とユリウスが聞く。
「なんだっていいでしょ。話しかけないでください。僕は、ユリウスさんとは、口をききませんから」
拓海は早口でそう言うと、くるりと背を向けて二階へ上がっていった。ユリウスとザックは、居間へ戻った。
「相手の名前は?」とユリウスが尋ねる。
「拓海様は、杉咲先輩と呼んでいました」
「どんな会話をしていた?」
「体調を気遣っていたのと、食料を持って来たと言っていました」
あの紙袋か、とユリウスは思った。
ユリウスには、玄関での会話を聞くことはできない。けれど、狼族であるザックは聴力に優れているので、先ほどの会話程度ならば筒抜けだった。ちなみに、嗅覚も鋭い。
「食料のこと、拓海様は、いつ連絡したんですかね?」ザックが首をかしげる。
「携帯電話を使ったんだろう」
「ああ、あの四角いやつですね」
ザックは、お玉を持ったまま、ぽんと手を打った。
「何をもらったかは知りませんが、飯はやっぱりできたてが一番です。俺、ちょっと台所に戻ります」
差し入れに対抗するべく、ザックが台所へと消えた。
ユリウスは、庭に咲く薔薇に目を向けながら、さきほど玄関で見た拓海の姿を思い出す。学校を休んだ拓海を心配してやって来た少女。その杉咲という少女に会って、頬を染めていた拓海。
「これは、状況を好転させられるかもしれないな」
◇◇◇
嶌村家から道路へ向かう小径を、制服姿の少女が歩いていた。強めの風が吹き、二つに結わえた髪が揺れる。
ふふ。買いすぎた物を渡すだけのつもりだったのに、家の様子まで分かって、ラッキー。ついでに玄関に、ちょっとした悪戯も仕込めたし。上出来だわ。
可愛らしい口元に笑みが浮かんだ瞬間、何かを思い出したように、少女は振り返った。
「いけない。家庭教師さんと狼さんの分、忘れてた! うーん。お詫びに、何か特別な物を届けてあげようかな」
嶌村家を見つめたまま、楽しそうにそうつぶやく少女の言葉は、吹き抜ける風に乗って空へと飛んでいった。




