10 魔王様が決めたこと
拓海が部屋着に着替えて戻ってきたので、三人で夕食をとることにした。
「さあさあ、拓海様、ユリウス様も座ってください。今夜は俺が腕によりをかけて作ったんですよ」
ザックが料理本と首っ引きになりながら作ったハンバーグとポテトサラダ、それに炊き立てのご飯と、豆腐とわかめの味噌汁をテーブルに並べた。
「いやあー、人間界の料理本ってすごいですね。メニューがたくさんあって、全部作ってみたくなっちゃいましたよ。あはははは」
ザックは食卓を盛り上げようと話題を振るが、拓海は「そうですね」と短く答えたきり黙々と食べ、ユリウスもほとんど口を開かなかった。
き、気まずい……誰の反応も得られず、ザックも仕方なく黙って食事を続ける。
すまん、ハンバーグよ。お前は、もっとちやほやされるべきなのに……ザックは心の中でそっと手を合わせた。
食後の皿洗いは、ザックが一手に引き受けた。ユリウスと拓海は、今朝の件について話し合うため、居間へ移動した。
ソファーに向かい合わせに腰を下ろすと、拓海が深々と頭を下げた。
「……ユリウスさん。今朝は、何も言わずに出かけちゃって、すみませんでした」
「顔を上げてください……王族は、むやみに頭を下げるものではありません」
「そんな……王族だなんて……」
拓海が顔を上げると、ユリウスと目が合った。
あれ? ユリウスさんの目……いつもと違う?
拓海が戸惑っていると、今度はユリウスの方が、静かに頭を下げてきた。
「拓海様。このたびは、申し訳ありませんでした」
「え、どうして、ユリウスさんが謝るんですか?」
「今朝の件は、私の説明不足が招いた結果です」
「そんな、ユリウスさんのせいじゃありません。僕が、その……言いたいことがあったのに、はっきり言わなかったから……」
「それは、皇子教育よりも人間界の学校を優先したい――そういうことであっていますか?」
ユリウスは、穏やかな笑みを浮かべて問いかける。
よかった。いつものユリウスさんだ。
拓海はほっと胸をなでおろした。そこで、思い切って胸の内を打ち明ける決意を固める。
大丈夫。ユリウスさんなら、きっとわかってくれる。
「僕は、自分が魔界の皇子だという話を、正直まだ信じきれていません。だって喧嘩は強くないし、ユリウスさんみたいに魔法も使えない……僕は、僕は人間なんです。どこにでもいる普通の中学生です。……だから、皇子教育は必要ありません。……ユリウスさんには悪いけれど、僕はこれまでと同じ生活を続けたいんです」
言えた。
拓海は、自分の想いを口にできたことで、少しほっとした。
けれど、一番伝えたいことは、まだ残っている。
それは、ユリウスの今後についてだ。
拓海の家庭教師としてやって来たのに、皇子教育がなくなれば、ユリウスはきっとこの家を去ってしまうだろう。
だけど、拓海はユリウスにここに残ってほしいと、心の底から願っていた。
初めて会ったとき、昔からの知り合いみたいに、自然と親しみを覚えた。
前世では兄弟のような仲だったという、不思議な人。
わがままだとわかっているけれど、それでも帰らないでほしい。
まるで最後の審判を待つ罪人のごとく、うなだれる拓海に、ユリウスが静かに口を開いた。
「拓海様のお気持ちを汲み取ることができず、申し訳ありません」
「怒らないんですか? ……僕が皇子教育を受けないって言ったら、ユリウスさんは呆れて帰ってしまうと思ってました」
「まさか、帰ったりしません」
「本当ですか! このまま、ここにいてくれるんですか?」
「はい。拓海様から帰るよう命じられない限り、おそばにおります」
拓海と視線を合わせたまま、穏やかに告げるユリウスに、拓海は嬉しくて、「やったー!!」と叫び出したいくらいだった。
ああ、これからも、三人一緒なんだ。すっごく嬉しい。
だが、次のユリウスの言葉で、その喜びは泡のごとく弾け飛んだ。
「ですが、今日のように勝手な外出はお控えください。明日からは、家を出ないようお願いします」
「え、家を出ないっていわれても、学校があるから行かないと……」
「必要ありません」
その声は、驚くほど冷ややかだった。
「皇子教育を受ける拓海様に、人間の学校など無用です」
「ま、待ってください! 僕は皇子教育なんて受けないし、普通の生活を続けたいって、言ったじゃないですか。そんな僕の気持ちを、ユリウスさんも受け入れてくれたんじゃないんですか?」
思わず、拓海は立ち上がった。その顔には、驚きが張りついたままだ。そんな拓海の目をまっすぐに見つめたまま、ユリウスが口を開く。
「恐れながら、拓海様の意志は必要ありません」
「!」
「皇子教育は魔王様がお決めになったこと。例え拓海様といえども、魔王様の命令に逆らうことは出来ません――なので、人間界の生活はお忘れ下さい」
「……偉い人の命令には従って、僕の気持ちは無視なんですか? そんなの、ひどいです。横暴です! ……そうだ、僕とユリウスさんって、昔は兄弟のような仲だったんですよね? だったら、僕の気持ちを考慮してくれても」
「……兄弟?」
拓海は、びくりと身をすくませた。ユリウスの目が、一瞬、氷のように冷たく尖ったのだ。
「どんな話を聞いたのか知りませんが、身寄りをなくした私を、皇子様が庇護してくださっただけで、我々の間に、兄弟と呼べるような親愛の情など、存在してません。恐れ多いことです」
「そんな馬鹿な……使者の人が、僕たちは兄弟のように暮らしていたって、確かに言ってました。だから、僕はユリウスさんに会ってみたくなって……それに、僕はユリウスさんと初めて会ったとき、すごく懐かしかったし、胸が温かくなったんです。本当です!!」
目を見開き、必死に言い募る拓海とは対照的に、ユリウスの表情は、みるみるうちに冷え切っていく。
「拓海様の感覚は、ご自身のものですから、私にはわかりかねます……。ですが、これだけは申し上げておきます。私がここに来たのは、皇子教育を行う家庭教師としてであって、決して兄弟ごっこをするためではありません」
先ほどまでの優しい姿とは打って変わり、取り付く島もないユリウスに、拓海は途方に暮れた。




