第七話 狸の幽霊のポン子ちゃん
ヒューーっと、2月の冷たい風がコンビニから出た僕を襲ってくる。
最近は僕の財布の中だけでなく、日本全体にも寒波が来ているらしい。
そのせいもあってか、今日はいつもと違った冷たさがある。
正月の華やかさも完全に消え去り、街はただ静かに冬の底を這うような空気に包まれていた。
僕は白い息を吐きながら、自分のアパートへ帰る為に、いつもの住宅街に面した大通りのガードレールへと差し掛かっていた。
今日の僕の視界の端は、何も捉えていない。
今日は何もなく帰れそうだと、そう思った瞬間だった。
「ポポポポポポン子だぞ~! お化けだぞ~!」
突然、僕の目の前に、何かが叫びながら飛び出してきた。
「ひぃぃぃぃぃ!」
僕は反射的に悲鳴をあげた。
「やったーーーー!」
「やったーーーー!」
「やったです!」
聞き覚えのある二つの声と、先ほど聞いたばかりの声が、夜の住宅街に響く。
どこに隠れていたのか、ミカちゃんとマコさんが満面の笑みで、こちらを見てニヤニヤしている。
それと、見慣れない小さな子も一緒だ。
……マジかよ……こいつら何がしたいんだよ。
仕事を頑張って来た僕に、この幽霊達は何をしてるんだ?
暇なのか?幽霊ってそんなにも暇なのか?
しかも一人増えてるし……。
「よう!ひーさん♡」とミカちゃん。
「ひーさん。こんばんは」とマコさん。
「こんばんわです」と、見知らぬ小さな女の子。
状況が分からず、しばらく呆けていると、僕の目線くらいの所を、胡坐の姿勢のまま浮いているミカちゃんが首を傾げている。
「あれ?ビビり過ぎて死んだか? ひーさんは面白いから、死んでも成仏するなよ?」
何を訳の分からない事を、それに何を勝手な事を言っているのだと思いミカちゃんに反論する。
「生きてますよ! これは何なんですか!」
「えっと~、どっきりってやつ?」
本当にこの幽霊達は、また僕で遊んだのかとイラっとする。
「驚かせてしまって、すみませんでした」
そう言いながら、丁寧に頭を下げて謝っているマコさんの顔が、楽しそうに笑っているのを僕は見逃さなかった。
「……マコさん? ちょっと笑ってません?」
「そ、そんな事ないですよ」
両手の手のひらを僕に見せながら、マコさんが慌てて否定する。
「それで、この子は何なんですか? 二人のお友達ですか? 幽霊仲間なら、幽霊達だけで遊んでて下さい! 僕を巻き込まないで下さい!」
「ごめん、ごめん!そんなに怒らないでよ」
「すみません。ひーさん。まさか、こんなにも驚くとは思わなくって……」
「そうだぞ! こんなに可愛いポン子にそんなに驚くなんて、本当にひーさんはビビりだな!」
ミカちゃんから聞きなれない名前が出て来たので、「ポン子?」と聞き返す。
「はい!この子はポン子ちゃんって言って、とっても可愛い狸の幽霊さんなんですよ」
マコさんが隣に立っている小さな女の子の頭を撫でながらそう答えると、その子は丁寧に頭を下げた。
「よろしく、お願いするです」
……狸?ポン子?狸だからポン子なのか?
誰が名付けたのかは知らないが、なんてセンスの欠片も感じられない名前なんだ。
僕は主犯の二人を無視して、まずは実行犯のポン子とやらを、まじまじと見る。
確かに、狸の耳が頭の上にちょこんと生えている。
それに大きな、ふわふわの尻尾も生えている。
しかしベージュのダボダボの服を着ているし、ぱっと見は小さな女の子のようにしかみえない。
楽しそうなミカちゃんとは違い、狸の幽霊ポン子は、僕から少し離れた場所で、恥ずかしそうにモジモジしている。
……はぁ……またか。僕は深いため息をついた。
「また、何かを手伝わされるのですか?」
「いや、今回はもう終わったよ」
「ひーさんが驚いてくれたので、もう大丈夫です」
「……はい?どういう事?」
寒い夜のガードレールの傍らで、僕はマコさんの説明を聞く。
「実は数日前なんですけど、お母さんの買い物について行った時に、このポン子ちゃんに会ったんです」
「……元地縛霊だったとは思えない行動範囲ですね」
少し皮肉交じりの返事をマコさんに返す。
「これも、ひーさんのお陰です♡」
両手を頬に当てながら嬉しそうに答えるマコさんに、可愛いと思ってしまう。天然な子って憎めないって聞くけど、こういう所がそうなんだろうなと、つい思ってしまう。
「それで、どうなったら、この結末……僕にドッキリを仕掛ける事に、なったんですか?」
「それはですね~」
マコさんが少し懐かしそうに語り始める。
「お母さんがスーパーで買い物をしている間、私は外で待っていたんです」
お母さんも、少し元気になったみたいで嬉しいなぁ。
やっぱり私が帰って来た事に気付いてくれてるのかな?
そうだったら、もっと嬉しいな。
私もお店の中まで憑いて行きたいけど、なぜか入れない場所も、まだ多いのがちょっと不便だなぁ。
今度、ひーさんに憑りついて中に入ってみようかな……。
私がそんな事を考えながら、お店の前でぼーっとしていたその時でした。
突然、小さな影が叫び声と共に、私の前に飛び出してきたんです。
「ポポポポ、ポン子だぞ~!」
それは小さな狸の耳と尻尾の生えた女の子でした。
私は思わず、その子をじっと見つめてしまいました。
すると、その子は肩をすぼめて、申し訳なさそうに私を見つめ返してきたんです。
「……ポン子です」
モジモジしながら小声で名乗るその子を、私は思わず抱き上げてしまいました。
「キャー! なになに! 可愛いーーー♡」
「……また、失敗したです」
って事なんです。
ポン子の頭を撫でながらマコさんが、そう説明してくれたのだが、どうしても後半の部分が良くわからない。
「……すみません、マコさん。何も分からなかったです」
「そうですか? ポン子ちゃんの可愛さが伝わりませんでしたか?」
僕が知りたい事は、ポン子の可愛さではない。どうして僕を待伏せをして驚かせたのかを知りたいんだ。
「マコって、ちょっと天然だよな」
どうやらミカちゃんも、僕と同じ事を思ったらしい。
「そんな事はないですよ?」と首を傾げているマコさん。早く帰りたいので、主犯を問い詰める事に切り替えた。
「きっと主犯はミカちゃんだと思うので、ミカちゃんがもっと詳しく教えて下さい!」
「ふふふ、バレてしまったか」
「こんな事を考えるのは、ミカちゃんしか居ませんからね」
「でも、そんな複雑な事は別にないんだよ」
ミカちゃんのその言葉に、複雑な事がないのなら、さっさと教えて欲しいと思ってしまう。
「ポン子ちゃんは、私を人間だと間違えて驚かせようとしてたみたいなんです」
するとマコさんが話に割って入ってくる。また話が逸れそうなので、できる事なら隅で狸を撫でて待ってて欲しい。
「で、マコがポン子を見て、可愛い~!ってなっちゃってさ」
「だって、本当に可愛かったんですもの……」
僕はこの2人は幽霊だけれど、女の子だってことを再認識した。
職場でも女性達はこんな感じで話している。
話が全然前に進まなくても、いつも女性社員の方達は楽しそうに話している。
チャンスだと思った。
話に夢中になっている今なら、逃げられるはずだ!
僕は逃げる準備を始めたが、帰り道を塞がれている事に気付いて諦めた。
こうなったら、さっさと理由を聞いて、さっさと家に帰る方向に作戦を切り替える事にした。
「……それで、この子が可愛いと、なんで僕にどっきりを仕掛ける事になるんですか?」
「それには深~い理由があるんだよ」とミカちゃんが答える。
「お話を聞いてみたら、ポン子ちゃんは人を驚かせたいって思っているそうなんです」とマコさんが答える。
「ポン子はお化けだから、人を驚かせたいです」と狸のポン子が答える。
「……やっぱり幽霊って、人を驚かせることが使命みたいなもんなの?」
今度は純粋な疑問を3人に聞いてみる。
「いや、あたしは、そんな事を思った事も考えた事もないよ」
「私も、ないですね」
「幽霊によって、やりたい事は違うんじゃない?」
「ポン子ちゃんには、人を驚かせたいって未練があるのかも知れないですね」
「それで僕を犠牲にして、未練を晴らしてあげようとしたって事ですか?」
「そういう事! ひーさんなら、絶対驚いてくれるって思ったのだ! だから作戦を立てたんだよ!」
宙をフワフワ浮きながら両手を大きく上げて、どうだと言わんばかりにミカちゃんが嬉しそうにしている。
「……また僕は、利用されたんですね」
「申し訳ありませんでした。私達の事が視える人ってあまりいなくって……」
少しムッとしている僕を見て、マコさんが両手を前に重ね、丁寧に頭を下げながら謝ってくる。
その姿を見て、慌ててポン子も頭を下げている。
確かに、この狸、可愛いかもしれない。
「実はひーさんがここに来る前に、ここを通る人で練習したんだけど、結局だれも気付かないで去っていった」
まったく悪びれる様子もないミカちゃんは、少しも可愛くないなとしみじみ思う。
「……霊媒師とか占い師とか、そんな感じの人も試してみたんですか?」
「当選確実なひーさんを知ってるのに、わざわざそんな面倒な事をする訳ないじゃん!」
この幽霊めっ! 本当に可愛くない!
「……僕だって、いつもビビりな訳じゃないんですよ! 今回は突然だったので、たまたま驚いてしまっただけです! 僕が驚かないでスルーしたかもしれないんですからね!」
「私は、ひーさんを信じてました」とマコさんが答える。
「ポン子も信じてました」とポン子が答える。
「……ポン子ちゃんは、僕と初対面じゃん」と僕が返す。
するとポン子は恥ずかしくなったのか、慌ててマコさんの後ろに隠れてしまった。
だが、マコさんのお尻にしがみ付きながら、顔だけはしっかりとこちらを見ていた。
「でも成功したじゃん! ひーさん、思いっきり驚いてたよ!」
「ひーさんがビビりで助かりました。ありがとうございました」
「本当にありがとうです。ポン子は初めて人に驚いて貰って嬉しいです」
ポン子ちゃんがマコさんの後ろに隠れながら、ぺこっと頭を下げる。
僕にドッキリを仕掛けた実行犯のその姿を見て、少し可愛いと思ってしまう自分が情けない。
そんな事を、しみじみと考えていたその時だった。
「ポン子!まったくあんたは、こんな所でなにをしてるのよ!」
背後から凛とした声が響く。
振り向くと、そこにはまたもや、見知らぬ女の子が立っていた。
つづく




