第二十五話 幽霊のさっちゃん その2
先ほど、仕事帰りにも通った例の場所に戻ると、彼女はまだそこにいた。ガードレールの側に立ったまま微動だにしていない。
しかし、その女に近づくにつれ、小さな呟きが聞こえてくる。
「……私なんか……どうせ……誰も……」
ネガティブオーラが凄い。まさに幽霊って感じの禍々しいオーラを纏っている。
「よう! さっちゃん! おひさ!」
「……あ!」
ミカちゃんが気軽に声をかけると、彼女はゆっくり顔を上げた。
「この子、さっちゃんって言うんだって」
ミカちゃんが僕に幽霊女を軽く紹介する。日本人の性なのか、思わず頭を下げ、どうもと挨拶をしてしまった。
そんな僕の事を、長い前髪の隙間から眼鏡越しの目がこちらを見る。
その瞬間、さっちゃんの顔が真っ赤になった。
「あ……あの……」
何か言いかけて、すぐに俯いてしまう幽霊のさっちゃん。
地面を見つめ、モジモジしながら小さい声で何かを呟いている幽霊のさっちゃん。
こいつからなら、いつでも逃げられるなと安心する僕。
さっちゃんがとても小さな声で呟く。
「す、すみません……ご迷惑ですよね」
「なにがですか?」
「……やっぱりいいです。……私なんかのために時間を使ってもらうなんて申し訳なくて……」
さっちゃんはモジモジしながら、すぐに口を閉じてしまう。まったくもって話が先に進まない。
こいつからなら、いつでも逃げられるという安心感と、早く報酬まで漕ぎつきたい一心で僕から話を振ってみる。
「いや、僕はまだ何も、あなたの悩みを聞いてもいないんですが……。あなたの未練はなんですか?」
僕の声が聞こえていないのか、さっちゃんは下を向いたままブツブツと呟き続けている。
「……生きてる人には時間は有限ですものね。そんな貴重なお時間を私の為になんて……。どうせ私なんかが話しかけても迷惑なだけだし……」
「いや、僕はあなたの話を聞きに来たんですけど……」
「存在自体が申し訳ないっていうか……。生きてた時もそうだったし……。死んでからも変わらないし……」
止まらない。さっちゃんの口からネガティブの奔流が止まらない。
「さっちゃん落ち着いて! ゆっくりで良いから話してみなって!」
ミカちゃんが軽く肩を叩くと、さっちゃんはびくっと震え、完全に黙ってしまった。
やれやれといった感じのミカちゃんが、さっちゃんの前に僕を軽く押して突き出す。
「この人が前に話した、ひーさんだよ。幽霊が見えるチョロい人だから、きっとさっちゃんを助けてくれるよ」
すると、さっちゃんが小さく呟く。
「……助けてくれるんですか?」
「うん!」と、ミカちゃんが元気に返事を返す。
「勝手に話を進めないで下さい! 僕はまだ承諾して……」
「アチョーー!」
どんっと僕の頭に痛みが走る。
「痛い! なんで? なんで僕は殴られたの?」
「殴ってはいない! 今のはミカちゃんチョップだ!」
「……同じだよ」
チョップされた頭を撫でていると、ミカちゃんが僕に向かって手招きをしている。
「ひーさん?」
「……なんですか?」
「ちょっと来なさい!」
「え? なんで?」
ミカちゃんに引っ張られ、数メートル先にある自動販売機の所まで連れて来られる。
「どうしたの? ジュースが飲みたいの?」
「ちが~う!」
自動販売機の光を背にしミカちゃんが怒っている。
「見てのとおり、さっちゃんはナイーブなの! だからまだ承諾して無いとか言っちゃダメ!」
ナイーブってより、あの暗さは、もの凄い幽霊っぽいなと思ってしまう。むしろ目の前にいる明るく元気なお前は全然幽霊っぽくないよなとも思った。
「ひーさんは何を言われても、はいはいって言ってれば良いの!」
「……え? 僕に拒否権はないの?」
「ない! ここに来た時点でそんなものは無い!」
「そんな~。もし一緒にあの世に来てとか言われたらどうするんですか?」
「ひーさんに危害を加えそうならあたしが全力で阻止する! だからそれ以外は全部聞いてあげて!」
「まぁ、護ってくれるなら……」
「良し! 決まり!」
一方的な話し合いの末、僕達はさっちゃんの居るガードレールに戻った。
さっちゃんは少しだけ顔を上げ、ちらりと僕達を確認すると、すぐに視線を地面に戻す。
するとミカちゃんが僕の脇腹を肘でコツコツと突いて来る。
どうやら僕から話しかけろという事らしい。
「あの、お困りの事がありましたら、僕になんでも言って下さい」
さっちゃんが顔も上げず俯いたまま呟く。
「……本当になんでも良いんですか?」
あまりにも、その声が小さいので自然と近くに寄ってしまう。
「僕に危害が及ばない事でしたら、出来る限りの事は聞くつもりです」
「……でしたら」
長い前髪と分厚いレンズの眼鏡のせいで半分ほどしか見えないのだが、さっちゃんの顔が赤く染まっているのがわかる。
こいつは幽霊のくせに、やたらと人間ぽい事をするなと思いながらも、次に発せられる言葉を待った。
「……ほ、ほほ本当に、良いんですか?」
「うん。未練があると成仏できないもんね」
さらに顔を赤くし、モジモジ具合も増しているさっちゃんが、さらに小さな声で呟く。
「で、でしたら……。わ、わわ、私と、デ、デ、デートをして下さい」
「はぁ? デート?」
僕が反応するよりも早く、ミカちゃんの声が深夜の住宅街に面した道路に響く。
その声にさっちゃんは、ますます俯いてしまった。
僕はミカちゃんを無視し、さっちゃんの顔を覗き込むようにして、静かにそっと訊き返す。
「デートですか?」
「……はい……ダメですか?」
俯いたまま消え入りそうな声で、さっちゃんが小さく頷く。
「ダメダメ! そんなのダメー!」
ミカちゃんが叫ぶ。本当に煩い幽霊だ。お前もさっちゃんのように幽霊っぽく出来ないのか?
「ミカちゃん煩いですよ? なんでも言う事を聞けって言ったのは、ミカちゃんじゃないですか」
「そうだけど……」
痛い所をつかれたとばかりに、ミカちゃんがしゅんと静かになる。
「しかもデートくらいなら簡単そうだし、それにとても安全そうじゃないですか」
「そうだけど……」
とにかくミカちゃんの事は放っておいて、話を先に進める事にする。
「さっちゃんさん? 本当にそんな事で成仏できるのですか?」
「……一度でいいから……デートってものをしてみたかったんです。……あと、さっちゃんさんじゃなくて、幸子で良いです」
「わかりました」
さっちゃんが顔を少し上げ僕と目が合うと、また頬が赤くなっていく。
「ほ、本当ですか?」
「ええ、まあ、そのくらいなら……。丁度、明日は休みですし……」
「あ、ありがとうございます」
さっちゃんの眼鏡の分厚いレンズの奥の目が、少しだけ潤んでいるように見えた。
こうして僕は人生で2回目の、幽霊とデートをする事になった。




