第二十四話 幽霊のさっちゃん その1
残業帰りの夜道は、いつだって嫌な予感がする。
別に治安が悪いわけじゃない。
街灯もちゃんとあるし、時々車も通る。
しかし、僕にとって夜道というのは、昼間よりずっと怖くて面倒な時間帯なのだ。
いつものように、いつもの夜道を家路に向かって歩いていると、僕の視線の端が余計な仕事をしやがった。
「……居た」
街灯の下、僕の目の端が捉えたのは、道端にぼーっと立っている女性の姿。
長い前髪が顔を隠していて、眼鏡のレンズだけがぼんやり光っている。
肩が小刻みに震えていて、何かを呟いているようにも見える。
普通の人なら「大丈夫ですか?」と声をかけるか、関わりたくない変な人だと思い、見て見ぬふりをするところだろう。
でも僕には分かる。あの輪郭のぼやけ方、足元に落ちない影、そして何より生きている人間にはないあの独特の気配。
「ひぃぃぃぃ!」
考えるより先に足が動いていた。
全力ダッシュ。絶対に振り返らない。
振り返ったら絶対に目が合う。
目が合ったら絶対に話しかけられる。
話しかけられたら絶対に断れない。
僕はそういう人間だと、もう嫌というほど分かっている。
息を切らしながらアパートの階段を駆け上がり、鍵を開けて部屋に飛び込んだ。
はぁはぁと息を整えている僕に声がかかる。
「すっごい汗! どしたの?」
今、幽霊から逃げて来たばかりなのだが、僕の部屋にも、ここに住み着いて居る幽霊がいるのだ。
部屋のソファに当たり前みたいな顔で座っているのは幽霊のミカちゃん。
僕の事をひーさんと呼ぶこいつの見た目は、茶色のボブカットにカチューシャ、へそ出しの黒トップスに赤チェックのミニスカート。
高校生の時に亡くなってしまい幽霊になったらしいのだが、幼い顔と小さな体のせいで、見た目は高校生にはまったく見えない。
しかし長く幽霊をやっているミカちゃんは、それなにり人生経験というか幽霊経験を積んでいるので、見た目ほど中身は若くはない。
そしてこいつはミニスカートなのに、いつも胡坐をかいて座っている。
なのに、こいつはスカートの下に黒い短パンを履いているのだ。
ちらりとスカートの中が見える事があっても、あまり嬉しくはない。
だからといって、見ないわけではないのだけど……。
そんな幽霊が僕の部屋に住み着いてから、もう一ヶ月は過ぎただろう。
その幽霊のミカちゃんが、肩で息を吸っている僕に眉を寄せながら言う。
「まさか、また変なのに捕まった?」
しかし、久しぶりの全力疾走のせいと、怖い霊を見た事で落ち着かず、声がうまく出せない。
「……とりあえず、水飲んでくる」
そう返しながらキッチンに向かうと、「は~い」と元気な声がリビングから聞こえてきた。
キッチンで水を一杯飲むが心臓がまだバクバクしている。
空になったコップに水を注ぎなおし、それを持ってリビングに戻る。
「で、何があったのさ」
「はぁ、はぁ……道に幽霊が……」
青ざめている僕と違い、ミカちゃんはいたって普通に返してくる。
「ふ~ん。どんな奴だったの?」
「女の人だった。長い前髪で眼鏡かけてて……道端にぼーっと立ってた」
「あ、あの子かも! あたしが散歩してた時に見たことある!」
「知り合いなの?」
「知り合いってほどじゃないけど……」
そこで言葉につまるミカちゃんが気になる。
こいつは基本的に無害なのだが、僕をろくでもない事に巻き込む特技を持っている。
そんな奴が何かを言いづらそうにしている時は、僕を既に巻き込んでいる可能性が多い。
「……じゃないけどって何? また何か余計な事をしてきたんですか?」
「いや~。未練があるなら、あそこで待ってると良い事あるかもよとは伝えた気がする」
「……あそこって、僕が通勤で使ってるいつもの歩道?」
「うん!」
元気よく返事をするミカちゃんにイラっとし、つい大きな声を出してしまう。
「なんでそういう事するんだよ! って事は、あの幽霊は僕を待ってたって事じゃん! やめてよ……怖いんだよ」
「話くらい聞いてあげなよ」
「なんで僕が……」
「だってひーさんは幽霊とか見えるじゃん」
「それは確かにそうだけど、見えるからって全員助けてたら身が持たないよ」
「もしかしたら報酬で見せて貰えるかもよ?」
「……報酬? 見せて貰えるの?」
「まぁ地味な子の幽霊だったけど若かったし、意外と凄いのを履いてるかもよ?」
「……凄いのを履いてるの?」
「うむ! あたしの感だけどな!」
その言葉に不覚にも心が揺らいだ。
今まで関わってきた幽霊たちから、僕はお礼として色々なものを見せてもらってきた。
スカートの中とか……スカートの中とか……あとスカートの中とか……。
「固まっちゃってどしたの?」
僕の顔を見つめているミカちゃんに向かって呟く。
「……助けよう」
「マジか……ひーさん。さすがにチョロすぎるって……」
呆れ顔のミカちゃん。しかし僕は引き下がらない。
「困ってる幽霊を見過ごす訳にはいかないでしょ!」
「さっき走って逃げて来たくせに……」
それはごもっともな意見なのだが、やる気になった僕には、そんな言葉は届いて来ない。
するとミカちゃんが嬉しそうにソファからフワッと浮かびあがる。
「まぁ、あたしもあの霊を助ける事には大賛成だし、ひーさんも出かける準備して!」
「え? 今から行くの?」
「善は急げってやつ!」
「いや待って! 僕まだ心の準備が……」
「準備なんていらないっしょ! ほら行くよ!」
「さっきは準備をしろって言ってたじゃん!」
「は~や~く~」
そんな僕を無視して、ミカちゃんが僕の腕を掴んで引っ張る。
「はぁ……。じゃあ行きますか……」
「おう! 今回はさっちゃんを助けようぜ!」
「……あの子、さっちゃんって言うんだね」
「あたしが話したのと同じ幽霊だったらだけどね。まぁ、違ったら違ったで、そいつを助ければ良いだけだけどね」
「え?」
「ほら! 早くいくよ~」
こうして僕は、また道端に佇んていた幽霊に関わることになった。




