第二十三話 幽霊娘と山デート その8
僕達が近づいても、相変わらず千鶴さんは社の前に立ち、虚空を見つめたまま掃除をしている。
しかし周りの景色は、いつの間にか廃神社から綺麗な神社へと様変わりしていた。
どう声をかけて良いものかと悩んでいると、ミカちゃんが普通に呼びかけた。
「ねぇ。ちょっと良い?」
その呼びかけに、千鶴さんが視線をミカちゃんに向ける。
「……どうかしましたか?」
また機械的な反応をしてくるのかと思っていたが、以外にも、しっかりと返事が返って来る。
「神様に、お願いし忘れたことがありまして……」
そう僕が訊ねると、千鶴さんが僕の方に視線を移し訊ね返してくる。
「お詣りでございますか?」
「はい。もう一回お願いさせてもらえませんか?」
「……どうぞ」
そう答え僕達を社の前へ案内してくれたが、その動きはさっきと全く同じで、まるで先ほどと同じ場面を繰り返しているようだった。
夜空には星が瞬き、石灯籠の火が影を長く伸ばしている社の前に僕とミカちゃんは並んで立つ。
「始めるよ?」とミカちゃんに声をかける。
「おう! ばっちこい!」と元気な返事が返ってくる。
ふうっと一呼吸をし、本殿に向かって僕が手を合わせた瞬間、体の中にミカちゃんの想いが入ってくるのを感じた。
いつもは僕の知らない情報や想いが頭の中に流れてくるのだが、今回は違った。
千鶴さんを解放してあげたい。
僕と同じ想いが僕の中に流れ込んでくる。
隣を見ると、ミカちゃんがニヤリと笑うので、僕もミカちゃんに笑顔を返す。
まったく同じ想いの味方がいるなら心強い。
僕達は社に向かって手を合わせ声を出した。
「神様に願います」
「神様に願います」
僕たちが同時に同じ言葉を声にすると、それを聞いた千鶴さんが帳面を開く。そして帳面がぼんやりと光り始めた。
この本殿にはご神体はなく、きっとここには、もう神様は居ない事はわかっている。
それでも僕達は本殿に向かって、大きな声で願い事を叫んだ。
「この神社の鳥居は、もう朽ちています」
「屋根には穴が開いて、雨が降り込んでいます」
「石段は苔に覆われ、参道は草に埋もれています」
「手水舎の水は枯れ、石灯籠は倒れかけています」
帳面の光が強くなっていくと、千鶴さんの表情が変わっていく。
僕達が叫んだ言葉が記されているのだろう。
それを読んだ千鶴さんの顔が、人間らしい表情に変わっている。
「な、なに……これ……どういう事なの」
機械的だった声に、初めて感情が混じったのが分かる。
混乱しているのか、帳面を見つめたまま少し震えている。
でも僕達は止まらない。本殿に向かって大きな声で願い事を続けた。
「この神社に、参拝者はもう何百年も来ていません」
「この村には、もう誰も住んでいません」
千鶴さんが僕達の方を見て小さく呟く。
「そんな……嘘です……」
千鶴さんの声は震え、帳面を持つ手も震えている。
「御神体は……御神体は、もうここにはありません」
「神様はとっくの昔にここを離れています」
「嘘……嘘です!」
千鶴さんの叫ぶ声が聞こえてくる。初めて聞く感情のこもった大きな声だった。
僕達の願いが文字となり、帳面に次々と記されているのだろう。
千鶴さんはそれを読みながら顔を青ざめさせていく。
それでも僕達は願い事を叫び続けた。
「神様……千鶴さんは200年以上、一人でここを守り続けています」
「神様……千鶴は誰も来ないこの神社を、毎日掃除して参拝者を待っています」
千鶴さんの目から涙が溢れ出し、透明な雫が青白い頬を伝って落ちていく。
「私は……私はずっと……200年……私は200年も……」
千鶴さんが膝から崩れ落ち、帳面を胸に抱きしめながら声を上げて泣いている。
「誰も……誰も来てくださらなかった……神様もお戻りにならなかった……私は……私はずっと一人で……」
千鶴さんが涙を流しながら社を見つめているその姿を見て、胸が締め付けられる。
200年間たった一人で誰も来ない神社を守り続けた。
神様を信じて参拝者を待ち続けた。
その孤独が溢れ出している。
僕とミカちゃんは顔を見合わせ頷くと、声を揃えて最後の願いを叫んだ。
「神様。この巫女さんを、お役目から解放してあげてください!
千鶴はずっと一人でここを守ってきたんです!
どうか、どうかこの人を救ってあげてください!」
僕達が願い事を言い終わると、神社がもとのあるべき姿、僕達がここへ訪れた時の朽ち果てた姿へと戻って行く。
千鶴さんが近くにいるのに、神社は僕達が最初に見た廃神社のままだ。
やがて東の空が白み始め、山の端から朝日が顔を出す。
すると本殿の奥からも、優しい光が漏れ始めた。
それはとても温かく、とても柔らかい光が境内を包んでいく。
朝日と混じり合い、全てを包み込むような光だった。
千鶴さんが顔を上げ、涙で濡れた瞳が光の方を見つめている。
今の千鶴さんの目には、しっかりとその光景が映っているようだった。
「……お迎えに来てくださったのですね」
千鶴さんが光に向かって呟くと、光の中から声が聞こえてくる。
その声はとても静かで、だがとても重く、体の芯まで響いてくるような不思議な声だった。
「すまなかった。力を失ったワシには、お前を迎えに来る事が出来なかったのだ」
その声に千鶴さんは涙を流していた。
しかしその顔は先ほどまでの機械的な無表情ではなく、何かを懐かしむかのような遠い目をした笑顔だった。
「でも、こうして今、私を迎えに来てくださったではありませんか。ありがとうございます。とても嬉しいです」
「さぁ、ワシと共に還るべき場所に帰ろう」
「はい」
千鶴さんは涙を流しながら安堵の微笑みを浮かべている。
200年の孤独が、やっと終わりを迎えようとしていた。
千鶴さんはゆっくりと立ち上がり、僕達の方を向くと深々と頭を下げた。
「この神社に来てくださって、本当にありがとうございました」
やがて千鶴さんの体が光に包まれ始め、輪郭がぼんやりと薄れていく。
千鶴さんが光の中で微笑む。
それは心からの穏やかな笑顔で、とても綺麗な笑顔だった。
千鶴さんが、もう一度、僕達に向かって深々と頭を下げる。
「どうか、お気をつけてお帰りくださいませ」
「千鶴! お前もな!」とミカちゃんが元気よく言葉を返す。
その言葉に千鶴さんは優しく微笑み、そして朝日の光に溶けて消えていってしまった。
ヒュ~っと、千鶴さんが消えた境内に朝の風が吹き抜ける。
緊張がとけたのか、一気に現実へと戻ってくると、朝の廃神社に吹く風が冷たい事を感じる。
「……寒い……寒すぎる」
身を縮めて震えている僕に、朽ちた神社を見つめたままのミカちゃんが呟いた。
「……ひーさん」
「なに?」
「あたし達も、お家に帰ろう」
「僕はずっと前から帰りたいって言ってたのに……」
朽ちた神社を見つめているミカちゃんに、僕は寒さに震えながら、そう返した。
※ ※ ※
僕達は朝日に照らされた山道を歩いている。
もちろん、自分達の家に帰るためだ。
珍しくミカちゃんも浮く事はせずに僕の隣を一緒に歩いている。
不思議なことに少し歩くと帰り道は簡単に見つかった。
整備された道に出る前に足を止め、山の方へ振り替える。
隣を見ると、ミカちゃんも同じ事をしていた。
心の中で静かに呟く。
「千鶴さん。お疲れ様でした。ゆっくり休んでください」
心の中でそう呟き終わり、隣にいる幽霊を見てみると、なんとなく嬉しそうな顔をしている。
「……さて、僕達も家に帰ろう」
「うん! 帰る場所があるって、なんか嬉しいな」
僕達は朝日に向かってまた歩き出す。
こんな幽霊と一緒なら、多少の長い散歩も悪くない気がした。
おしまい
長くなってしまった「山デート編」も、これで完結となります。
このシリーズはまだ続きますので、次の話も読んで頂けると幸いです。




