第三章④『苦なる晩餐』
なによりも、城での単調な毎日を過ごすエアにとって、折檻や飢饉以上に恐ろしく苦痛な時間は、食事であった。
「どうした、小娘。小食のようだが、遠慮することはないぞ? ちっぽけなお前の育ったみすぼらしい村とは違うのだ。ザハブでは財宝も食べ物も、女も、全て一級品のものが手に入るのだからな!」
今宵も尋常ならぬ量の多種豊富な最高級料理が、王の食卓に豪勢に並べられている。
華麗な紋様の刻まれた海色の壺には、新鮮な高級香草や匂い立つスパイシーなクミン粒、仔羊の肉をじっくり煮込んだカナシューシチュー。
パン生地に練り込んだ麦酒の香りで酔いそうだが、噛み応え抜群なパッピルパン。
ほくほくと温かいお日様色のレンズ豆に、しんなり炒り込んだ玉ねぎとポロねぎ、ふっくりと肥えた鶏もも肉を、純海水の結晶粉で味付けしたレンズ豆の麦粥。
一頭の牛や子羊から取れたわずか数百グラムの高級部位を、岩塩と香草、胡椒の香辛料をきかせて焼いた後、甘いとろみの素となる棗椰子と共に炒めた、肉汁滴るステーキ肉とスペアリブ。
飲み物には、とれたて牛乳とヨーグルトに、煌めく塩の結晶をふったシェニーナや、赤紫に澄んだ甘酸っぱい柘榴汁。
甘くて珍しい飲み物を容れるのは、氷色の透明グラス、と黄金の杯で踊る水晶のような氷。
食器一つ取っても、王が自ら厳選し、莫大な財を賭した至高の芸術品が大胆に使用されている。
星屑に砂糖と黄金をまぶして食すような贅沢を極めた食生活も、世界屈指の最高級品を目にする機会も、王族でない限りないだろう。
しかし如何せん、貧しい故郷では腹八分目が普通であったエアにとって、ザハブでの昼食と夕食は飽食気味だ。
それでも王様が贅沢な高級料理をエアに次々と勧めてくるのは、彼の言葉通り大盤振る舞いのためだろうか。
否、他者の不幸と涙を啜るのを喜ぶこの王の場合、飽食に辟易しているエアに対する嫌がらせも含んでいるのかもしれない。
食事の都度、エアと彼女の故郷を侮辱し、揶揄する言葉を連ねるのがその証拠だ。
そして、黄金の麦酒を呷りながら、己の武勇伝からザハブにまつわる華麗なる挿話について、延々と饒舌に語りだす。
王である自分は如何にして、この世界屈指の都市国家ザハブを改革し、築き上げたのか。
他国の王族が一生を捧げても入手できない莫大な富と財宝の貯蔵量まで、とにかく自慢話が尽きない。
毒蛇のようにぬくもりが欠如した金の眼差し。
麦酒のツンと突き刺すような芳醇な匂い。
隣のエアは息が詰まる感覚を堪えながら、愛想笑いで頷くのが精一杯だ。
辟易しているエアの心境を察してか否か、今宵の王は比較上機嫌に管を巻き続ける。
「おかげで貧相な田舎娘であったお前も、こうして身を清めて花のように着飾れば、幾分か見られるようになったではないか」
「お褒めにあずかり光栄、です」
「喜ぶがよい、小娘。お前は実に幸運だ。もしもお前が今でも尚、みすぼらしい小娘のままであれば……私ほどの猛者しか遊び相手のおらぬこ奴の相手しか、務まらなかったのかもしれないぞ?」
主人である王様の足元でお利口に鎮座しているのは、一匹の雄獅子。
王冠のように美しい毛並みに整った麦色のたてがみの獅子は、王様の愛玩動物らしい。
王様の膝上で甘えるように喉を鳴らす獅子は、懐いた猫のように愛らしい、が所詮は猛獣。
瞼の奥では、か弱き獲物を虎視眈々と狙う冷たい眼光と欲望が潜んでいる。
しかし、今のエアにとって最も恐怖の対象は、嗜虐の悦びを沸々と燃やす目の前の暴虐王。
こうして隣から王の威圧感に当てられているだけでも、エアの口腔は緊張に渇き、舌すら麻痺してくる。
どこまでも冷たく虚ろな黄金の視線が、自分に注がれているだけで、エアは胃も心臓も萎縮しそうになる。
そのせいか、せっかくの豪華な料理を呑気に味わう気分は一度もない。
ましてや、王の語りの端々には、エアと故郷への露骨な憐れみと侮蔑が籠っているのだ。
エアが今噛みしめている屈辱や哀しみを酒の肴にするために。
むしろ、故郷を愛するエアの心と誇りを踏み潰し、辱めるのが狙いではないか。
そのためだけに、毎回の食事にわざわざ自分を同席させているのではないか、エアは変な勘繰りを入れてしまう。
いずれにせよ、暴虐王が享受するのと同じ快楽を味わう己を、エアは心内で厳しく戒めた。
ザハブで快楽を味わうことは、この王と共に贅へ耽溺する堕落と屈服を意味し、エアにとっては屈辱にまみれた罪悪となる。
搾取されや民の涙と辛苦を糧に得た贅を謳歌する王様を、エアは決して許すわけにはいかない。
己の矜持、故郷と村人の名誉に賭けて。
搾取で肥え咲いた花々や宝飾品を見て、美しいと胸を躍らせてはいけない。
しかし豪華な料理を口に運んだ瞬間、蕩けるような食感と風味が舌に溶け、口の中に広がっていくのを感じる度に、エアは敗北感と屈辱に内心震えた。
それでも気性の荒い王のもてなしに対し、エアは満足気に応えなければならない。
たとえ間違っても、王の機嫌を損ねる等という命取りを冒してはならない、とエアは痛烈に理解している。
とはいえ、浴びるに堪えがたい王の視線や暴言、不快なほどきつい酒の香りも相まって、少しでも気を抜けば失神しかねない。
己の限界と不快感を紛らわしたくて、エアはつい問いを投げかけた。
ずっと王に訊きたかった事を。
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