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第十三章⑪『優しさ』

 「はい、もう大丈夫だよ、エア。」


 必死に救いを求めるエアの悲鳴を憐れんだエレツは、エアの頭上を懸命によじ登っているカメムシをそっと取ってあげた。

 カメムシをこのまま自由にさせれば、せっかくエアが育てた庭園の植物は、喰い荒らされかねない。

 暫くの間、エレツは自分の指に乗って待っておくように、とまたしても自然界の言葉を介してカメムシに伝えた。

 カメムシは、美しい枝木のようなエレツの細長い指の上で憩うように大人しくなった。


 「ありがとうっ。エレツ。怖かった……っ。ごめんね、でもカメムシだけは、どうしても駄目で……」

 「それほど怖い思いをしたのだから、君は気にしなくてもいいんだよ」


 カメムシを取ってくれたエレツに、エアは涙目で感謝を零す。

 危機一髪のところを救われたとはいえ、カメムシを邪険にしてしまったことに、エアは多少なりとも罪悪感を抱いているらしい。

 たとえ苦手なカメムシも無垢で小さな生き物だ、と尊ぶ故の痛みを理解しているエレツは、エアに優しく微笑みかけた。


 「安心しておくれ、エア。カメムシや他の虫達を含めて、命あるもの全てを尊ぶ君の想いも優しさも、この子にはちゃんと伝わっているようだから」

 「そう、かな? ありがとうエレツ……それを聞けて、安心したわ」

 「それならよかった。いつものことだけど、あまりエアをいじめたら駄目だよ? シャムス」


 エアの頭を優しく撫でるエレツは、彼女をいじめた親友をやんわりと諌める。

 眩い温顔に苦笑を浮かべながら、柔らかな声を強めに響かせた。

 エレツの態度は、妹に意地悪をやめられない兄を諌めつつも、彼を微笑ましく思っている愛情深い親を彷彿させた。


 「ふん。我が義妹が、私の親友にあまりにもちょっかいを出し過ぎている故にな。自粛するよう、つい義兄として諌めねばと考えたまでのことよ」


 エアと和解を果たして以降も、シャムスは子どもじみた意地悪をエアに仕掛けては、揶揄って愉しむのである。

 先ほどのように、お仕置きや戯れと称して、エアの苦手な虫を突然見せて驚かしては、彼女の飲み物にこっそり酒を垂らして酔わせ、彼女が楽しみにとっておいた甘菓子を横取りし、エアとエレツが談笑している時にエアを軽く押しのけるように割り込んでくる等……枚挙にいとまはない。


 「そう仰っていますけれど、義兄さまは、ただエレツを独り占め――」

 「どうやら貴様は、その正直で小生意気な瞳と減らず口を、この私の手で砂塵に変えられたいようだな……?」

 「! ご、ごめんなさい、義兄さま。冗談が、過ぎました……!」

 「ふん、なんだ、冗談か。冗談であるなら、そう怯えるでないぞ、はははっ。小さき愚妹のこの程度の冗談を、聞き流せぬのでは、王としての矜持も、義兄としての器の広さも、名折れるからな。ふはははははは!」


 シャムスにとって、口にするのは少々憚られる想いを、エレツの前で漏らそうとしたエア。

 しかし、シャムスはすかさず獲物に狙いを定めた獅子のように鋭い眼光でエアを牽制した。

 シャムスに威嚇されたエアは、寿命が縮まる思いで戦慄し、花のように小さな自分の手で言葉を押さえた。


 「大丈夫かい? エア」

 「え、ええ、大丈夫よ。冗談を言っていただけなの、本当に」

 「――?」


 一方、三人の中で唯一エアとシャムスの真意を読めていないエレツだけは、深緑の温厚な眼差しで、二人を不思議そうに見つめるのみ。

 いまいち分かっていない様子の天然なエレツ、と露のような冷や汗を流して怯える小動物のようなエア。

 純朴な反応を示す双方を、シャムスは愛らしい愚か者を愛でる温かみのある眼差しで眺めていた。


 このように、三人が城の中で憩う際は、決まってこの庭園へ足を運ぶのだ。

 甘く優しい自然の香り、白い太陽のぬくもり、棗椰子の甘く涼しい木陰に癒されながら、三人は共に心地よい一時を過ごす。

 王や神、どちらにも属さぬ生命も関係なく、ただ互いのありのままに――。


 天命に翻弄されてきたエア、孤高の王であったシャムス、双方にとってかけがえのない親友であるエレツと共に過ごす、どこまでも満ち足りた日々。

 一体誰が、神様ですら想像できたというのだろうか。



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