13話. 慈束の儀
クアは振り向くと、眉間に皺を寄せた硬い表情のまま、ぎこちなくリルを抱きしめた。
背の高いクアに抱きしめられ、リルはクアの胸元に顔を寄せた。
リルの耳元で、クアの低い声が響く。
「リル王女、今日だけ我慢してくれ」
リルは首を左右に振り、クアの顔を見上げる。こんなに近くで人と見つめ合うのは初めてだ。
「クア様...今日だけは...リルと呼んでください」
そう言うと、リルは背伸びをしてクアにキスをした。クアは驚き、体をわずかに震わせる。
顔を離すと、クアは照れたような、なんとも言えない表情をしている。
リルの方からこんなことをするとは思っていなかったようだ。
「リル、俺が嫌ではないのか...?」
ブルーグレーの瞳が、リルを見つめていた。クアの瞳には、ランプの光が映り輝いている。
「クア様...綺麗」
リルはつい口に出た言葉と共に、もう一度クアにゆっくりとキスをした。
少しの沈黙の後、クアが口を開く。
「これから、慈束の儀を行う」
「...リル、今から言う言葉を復唱してくれ。古代ウタ語の術式だ」
「は、はい」
クアはゆっくりと術式を唱える。
「「&^:☆>」繰り返してくれ」
リルはなんとか復唱する。
「...&^:☆>」
「そうだ、もう一度、「&^:☆>」」
「...&^:☆>」
「これで最後だ。「&^:☆>」」
「...&^:☆>」
言い終えると同時に、クアがリルにキスをした。
「リル...これから俺達は一つになる」
そう言うと、リルを強く抱きしめた。そして二人の体は重なり、つながりあう。
すると、リルの前に紫の光が見え始めた。ちょうど、リルの胸の中心あたりが光っている。リルは目を閉じてもその光が見えた。
「クア様!光が」
「リルにも見えているのか?」
「はい。紫の光が、見えます」
「リル、今だけ、俺のことを思ってくれ。俺に意識を集中して」
「クア様っ」
「光が1点に集まってきている!リル、もっと俺を、俺だけのことを考えてくれ」
「はい、クア様だけ...」
紫の光が集まり、光の中心が歪み始めた。
「...クア様、これは」
「リル、伝承のとおりだ」
光は歪み、ゆっくりと回転し始めた。すると、紫の光の外側に金色の光が生まれ、2重になった。
光の回転は、さらに強くなっていく。
「リル、俺に、意識を向けていてくれ」
「はいっ!クア様っ」
光に包まれ、眩しさでリルはクアの姿も見えなくなっていた。自分がどこにいるのかもわからない。
怖い...でも今はクア様のことだけ考えよう、今はクア様の腕の中にいる...
徐々に、体の感覚が遠のいていく。お互いの息づかいも聞こえない。不思議な空間に迷い込んだような、肉体が存在しない世界に包まれた。
ただ感じるのは、感動、喜び、悲しみ、何もかもが溶け合って、全てあるような感覚。
リルは自分が誰なのかも全て忘れて漂っていた。
「...リル!」
リルは体の感覚が一気に戻って来た。もう光は見えない。
「リルにも禍の光が見えていたんだな?」
「はい、クア様にはいつもあの光が見えていたのですか?」
「禍を読もうとすれば見えるが、普段は見えない。儀式を始めて、しばらくしてから光りが見え出した」
「光が強まった後に空間が歪んで、光が回転し始めたのを見ました」
「俺も見えていた。あれは伝承のとおりだ。しかし、光の色が紫だけでなく、金色の光も見えた」
「はい。最後には何も見えなくなって...不思議な感覚と世界に包まれました。私なのかもわからなくなったのです」
「俺もだ。あの世界に禍を連れて行くのがこの儀式だ」
「では、禍はもう消えたのですか?」
「俺にはそう見えた。今、リルの体を読んでも何も見えない。明日、大神官様にも見てもらおう」
「はい」
「リル、部屋に戻りたいか?」
「...今日だけ、一緒に眠っていただけませんか?」
クアはリルにキスをして、答えた。
「この部屋なら誰も入ってこない」
二人は横になり、見つめあった。
「リル王女」
「クア様、今日だけはリルと呼んでください」
「リル、寒くないか?」
「クア様に触れていると温かいです」
リルからキスをした。
「ごめんなさい、今日だけは許してください」
クアはキスをされて少し照れたような表情をした。
「クア様、儀式はこれで終わりましたか...?」
「朝になったら祭壇でもう一度術式を唱える。それで儀式は終わる」
リルはクアの手のひらを両手で包み、そっと伝えた。
「この儀式の相手がクア様で、幸せでした」
クアの手がリルの手を強く握り返す。
「式典でクア様を見た時、クア様はとても勇ましくて、美しい狼の神様に見えました...」
リルはつい本音を言ってしまい、恥ずかしさで顔が熱くなる。
クアはリルから予想外の言葉を聞いて照れてしまう。
「俺を初めて見たのは、授与式か...?」
「はい...授与式のクア様...素敵でした。儀式でのクア様も...」
リルは先程のクアを思い出し口が滑る。
「な...」
クアは思いがけないリルの本音を聞き、耳まで熱くなった。
「俺がリルを初めて見たのはもっと前だ。知らないだろう?」
リルは驚き、クアを見つめる。
「い、いつですか...?」
「レイがこの国に来る前に、俺が宮殿に迎えに行った時だ。俺が17の時、リルはあの時15くらいか。テラスに俺はレイと居て、下の庭で絵を描いている君を見た」
そういえばあの頃は、よく庭に咲く花を描いていた。
「リルを見てつい、綺麗だな、とレイに言ってしまったんだ」
「え!?」
リルは照れてしまう。
「最初は妖精かと思ったんだ。赤い森には妖精がいる。レイにはあの後、よくからかわれた」
昔の自分をクア様が綺麗だと思ってくれたなんて...
クア様は気軽に女性のことを褒めるような方には見えない。
お兄様もきっと驚いたのだろう。楽しんでいたのかもしれないが...
「嬉しいです、クア様」
リルはクアに心から微笑んだ。クアがリルの笑顔を見たのは猫の時以来だ。クアは心を撃ち抜かれるような感覚を覚える。
俺と同じ人間とは思えない...やはり妖精か?
今、リルに触れたら全て消えてしまって夢なのでは...?
クアはそっとリルの頬に手をあて、優しく撫でる。
二人は顔を寄せ合ってキスをし、眠りについた。
リルはいずれラス王国に戻ること、クアとは結ばれない将来を、今日だけは忘れることにした。
明日、目が覚めたらもうクア様を、忘れる。朝なんて来なければいいのに...




