第89話 名称
――製造進行率:93%。
壁に残った。
空白。
――呼称:――――。
俺は。
その文字を。
じっと見ていた。
「……覚えてるんだな?」
箱の中の少年に。
聞く。
『うん』
「じゃあ」
「言えるだろ」
『言える』
「なら」
一拍。
「言ってくれ」
少年は。
黙った。
しばらくして。
『言わない』
「……」
「何で?」
『この名前は』
一拍。
『俺だけのものじゃないから』
ミラが。
顔を上げた。
「……私も?」
『うん』
「どういう意味?」
『その名前を』
『君が呼んだ時』
『君も』
『その名前を持った』
「……」
俺は。
眉をひそめる。
「一つの名前を」
「二人で持った?」
『そう』
「アルドみたいに?」
『違う』
「じゃあ何が違う?」
『アルドは』
『受け渡した』
『この名前は』
一拍。
『共有した』
俺は。
黙った。
また。
名前の話だ。
だが。
今までとは。
少し違う。
「じゃあ」
ミラを見る。
「五十年前のミラと」
「今のミラは」
「同じ名前を共有してる?」
「……分からない」
ミラが。
苦笑する。
「私自身」
「五十年前のこと」
「何も覚えてないし」
「でも」
「記録は」
俺が。
続ける。
「お前を製造者としている」
「うん」
「M-00も」
「ミラになった」
「うん」
「M-02にも」
「五十年前に」
「お前が名前をつけた」
「……うん」
ミラは。
少し考える。
「ねえ」
「何だ?」
「もしかして」
「私」
「ずっと」
「名前を作ってきたのかな」
「……」
その言葉に。
俺は。
少しだけ。
違和感を覚えた。
「名前を作る?」
「うん」
「誰かに名前をあげるんじゃなくて」
「名前そのものを」
「作ってた」
「そんな気がする」
その瞬間。
壁が。
反応した。
――製造者:ミラ。
――製造物:名前。
「……」
俺は。
目を細めた。
「人間を作ってるんじゃない」
「名前を作ってる?」
01が。
壁を見る。
「なら」
「MIRA計画の目的は」
一拍。
「人格の製造じゃない」
ミラが。
静かに言う。
「名前によって」
「人格を生み出すこと」
俺は。
今までの記録を思い出す。
名前をつける。
人格が固定される。
名前を返す。
人格形成が始まる。
名前を捨てる。
人格が揺らぐ。
名前を持つ。
存在が確定する。
「……」
もしかすると。
俺たちは。
ずっと。
名前に振り回されていたんじゃない。
名前によって。
存在を作られていた。
そう思った時。
箱の中の少年が。
俺に言った。
『だから』
「ん?」
『俺は』
『お前に名前をつけてほしい』
「……」
『五十年前のミラは』
『俺に名前をくれた』
『でも』
『その名前は』
『俺とミラを繋ぎすぎた』
「繋ぎすぎた?」
『俺が』
『ミラの感情を感じる』
『ミラが』
『俺の記憶を見る』
「……」
『だから』
『二十八年前』
『ミラは』
『その名前を返した』
ミラが。
息を呑む。
「私が?」
『うん』
「誰に?」
『レインに』
俺は。
黙る。
「じゃあ」
「二十八年前」
「俺が受け取った名前って」
『アルドじゃない』
「……」
『本当は』
『別の名前』
俺の胸が。
――ドクン。
鳴った。
「……何て名前だ?」
『言えない』
「またか」
『今のレインが』
『まだ持っているから』
「俺が?」
『うん』
「どこに?」
『心臓の奥』
俺は。
胸を押さえる。
第二心臓。
第三心臓。
今まで。
何度も。
鼓動してきた。
その奥に。
まだ。
名前がある。
「……」
俺は。
目を閉じる。
すると。
また。
映像が見えた。
雪。
五十年前。
小さな研究室。
俺。
アルド。
そして。
ミラ。
いや。
ミラに似た。
誰か。
その「ミラ」が。
少年に向かって。
何かを言っている。
『あなたは』
声だけが。
聞こえる。
『この名前を』
『嫌いにならないで』
少年が。
答える。
『どんな名前?』
『あなたが』
一拍。
『自分で決めた名前』
俺は。
映像を見る。
「……」
おかしい。
ミラが。
名前をつけたんじゃない。
少年自身が。
決めた?
その時。
映像の中のミラが。
こちらを向いた。
『レイン』
「……!」
俺は。
息を呑む。
『これを』
『覚えていて』
『名前は』
『誰かからもらうものじゃない』
一拍。
『自分が生きた証だよ』
映像が。
途切れた。
「……」
目を開ける。
目の前には。
ミラ。
今のミラがいる。
「レイン?」
「……」
「どうしたの?」
「お前」
「五十年前」
「俺に何て言った?」
「え?」
「名前について」
ミラは。
困ったように笑った。
「知らないよ」
「でも」
一拍。
「今の私なら」
「たぶん同じこと言う」
「何て?」
ミラは。
俺を見る。
「名前は」
「自分で決めればいい」
俺は。
何も言えなかった。
その瞬間。
箱の中の少年が。
笑った。
『やっぱり』
「何が?」
『同じだ』
「誰と?」
『五十年前のミラと』
『今のミラ』
「……」
ミラの表情が。
少し曇る。
「私」
「五十年前の私と」
「同じなのかな」
俺は。
すぐに答えた。
「分からない」
「……」
「でも」
「今ここにいるミラは」
「今のミラだ」
ミラが。
目を瞬く。
「それ」
「答えになってる?」
「俺には」
「それで十分だ」
「……そっか」
ミラが。
笑う。
「じゃあ」
「私は私ってことで」
「ああ」
その時。
壁に。
新しい文字が浮かんだ。
――同一性:判定不能。
――人格:独立。
――存在:現在。
そして。
初めて。
最後の一行が。
赤ではなく。
普通の文字で表示された。
――それでいい。
俺は。
少しだけ。
驚いた。
「……システムが」
「肯定した?」
01が。
壁を見る。
「違う」
「何が?」
「システムが」
一拍。
「判断をやめた」
「……」
ミラが。
小さく笑う。
「それって」
「結構すごいことじゃない?」
「ああ」
俺は。
頷く。
今まで。
何でも。
番号をつけて。
名前をつけて。
役割を決めて。
答えを出してきた。
そのシステムが。
初めて。
答えを出さなかった。
――製造進行率:95%。
だが。
その直後。
箱の中の少年が。
苦しそうに。
胸を押さえた。
「おい!」
『……』
「どうした!」
『名前が』
「名前?」
『戻ってくる』
「どこから?」
『……』
少年が。
顔を上げる。
そして。
俺を見る。
『五十年前の』
『俺じゃない』
「……」
『二十八年前の』
『ミラでもない』
「じゃあ」
『もっと前』
一拍。
『MIRA計画が』
『始まる前』
壁が。
激しく揺れる。
――警告。
――原初記録への接続を確認。
――アクセス権限:不明。
「原初記録……?」
俺が。
呟いた瞬間。
地下の奥。
今まで。
誰も開けられなかった扉が。
ゆっくり。
開いた。
その扉には。
一つの文字だけが。
刻まれていた。
――M。
ミラが。
その文字を見て。
立ち止まる。
「……私」
「これ」
「知ってる」
「何を?」
ミラが。
小さな声で。
答える。
「私が」
「まだ」
「ミラになる前の」
「名前」
俺は。
息を呑んだ。
そして。
扉の向こうから。
誰かの声がした。
『やっと来たね』
『M-00』
『M-01』
『M-02』
一拍。
『そして』
『レイン』
――製造進行率:96%。
自由領域。
18%。
俺たちは。
まだ。
MIRA計画の。
本当の始まりすら。
知らなかった。




