第88話 名前
――製造進行率:91%。
俺は。
箱の中の少年を見ていた。
顔は。
五十年前の俺。
声も。
どこか似ている。
だが。
本人は。
はっきり言った。
『俺は、旧レインじゃない』
「じゃあ」
『お前が捨てたもの』
「……」
『その中にあった名前』
「名前だけ?」
『まだ分からない』
俺は。
少しだけ。
ため息をついた。
「結局」
「お前も分からないんだな」
『うん』
「堂々と言うなよ」
『でも』
一拍。
『お前も分からないだろ』
「……」
反論できなかった。
ミラが。
横から笑う。
「レイン」
「何だ」
「似た者同士だね」
「俺は違う」
『俺も違う』
「ほら」
ミラが。
さらに笑う。
「もっと似てる」
俺は。
無視した。
すると。
少年が。
箱の中から。
俺を見つめる。
『名前を』
「まだ決めない」
『……』
「急いで決める必要はない」
『でも』
「名前をつけたら」
「お前は固定されるんだろ?」
少年が。
黙る。
「だったら」
「まず」
「お前が何なのかを知る」
「その後でいい」
『……分かった』
その返事を聞いた瞬間。
壁の文字が変わった。
――命名延期。
――人格固定:保留。
――自由選択を確認。
そして。
自由領域。
17%。
「……増えた」
ミラが。
小さく言う。
「名前をつけなかったのに」
「むしろ」
「つけないことを選んだから増えた?」
俺は。
壁を見る。
「選ばない」
「それも選択ってことか」
01が。
静かに頷く。
「このシステム」
「今までとは逆になってきている」
「逆?」
「昔は」
「選ばせることで人格を作った」
「今は」
「選ばない自由を認めることで」
「人格を作ろうとしている」
「……」
それなら。
少しだけ。
理解できる。
誰かに決められた人生じゃない。
自分で。
決めることも。
決めないことも。
選べる人生。
俺が欲しかったもの。
そして。
たぶん。
俺が五十年前に。
誰かに残そうとしたもの。
その時。
箱の中の少年が。
突然。
俺を見る。
『一つ』
「何だ?」
『質問していい?』
「ああ」
『俺は』
一拍。
『どうして名前を捨てられたの?』
「……」
俺は。
答えられなかった。
五十年前。
俺は。
名前を捨てた。
アルドの名前を。
自分から切り離した。
でも。
その「名前」が。
今。
M-02として。
目の前にいる。
「……調べよう」
俺は。
言った。
「記録を探す」
『分かった』
ミラが。
扉の中を見回す。
「この部屋なら」
「何かあるかも」
俺たちは。
部屋を調べ始めた。
机。
棚。
壁。
床。
何もない。
そう思った時。
ミラが。
机の下に手を伸ばした。
「……あ」
「どうした?」
「紙」
一枚。
古い紙を。
引き出した。
表には。
何も書かれていない。
「裏は?」
ミラが。
裏返す。
そこには。
短い文章。
――名前を捨てる方法。
「……」
俺は。
嫌な予感がした。
紙を受け取る。
続きを読む。
――第一段階。
――名前を本人から分離する。
――第二段階。
――名前を別個体へ移す。
――第三段階。
――元の人格から名前の記憶を消去する。
――第四段階。
――移植された名前に、新しい人格を形成する。
俺は。
紙を握る。
「……これ」
ミラが。
小さく言う。
「MIRA計画?」
「たぶん」
その下。
最後の一行。
――第五段階。
――名前を返却する。
「返却……」
俺は。
呟く。
そこで。
気づいた。
「二十八年前」
ミラを見る。
「お前が」
「俺に名前を返した」
「……」
ミラが。
ゆっくり。
頷く。
「そうだね」
「でも」
「その時」
「お前は」
「人格形成を開始した」
ミラの表情が。
少し変わる。
「……うん」
「つまり」
俺は。
紙を見る。
「名前を返すことが」
「人格形成の開始条件だった」
少年が。
箱の中から。
呟く。
『じゃあ』
「ん?」
『俺は』
『名前を返されるために』
『作られたの?』
「……」
誰も。
答えられない。
だが。
紙の最後に。
もう一つ。
小さな文字があった。
――返却後、元個体は不要となる。
「……」
俺は。
その一文を見つめた。
ミラが。
黙り込む。
「不要?」
俺は。
答える。
「そう書いてある」
「じゃあ」
「私が名前を返した時」
「元の私は」
「いらなくなった?」
「……」
その瞬間。
第三心臓が。
強く鳴った。
――ドクン。
――ドクン。
ミラが。
胸を押さえる。
「……違う」
「ミラ?」
「私」
一拍。
「消えてない」
「そうだ」
「だから」
「この記録」
「失敗してる」
俺は。
紙を見る。
「……」
確かに。
計画通りなら。
ミラは。
名前を返した時点で。
不要になる。
でも。
今。
ミラは。
ここにいる。
「計画通りじゃない」
01が。
言った。
「M-00も」
「M-01も」
「同じだ」
「どういうこと?」
「この計画」
01が。
壁を見る。
「成功条件が」
一つしかない。
「何?」
01は。
答える。
「元の存在を」
「消すこと」
ミラが。
静かに言った。
「だから」
「第四段階が」
「役割の消去だったんだ」
俺は。
思い出す。
M-00の記録。
――対象を消去することで、模倣人格を自立させる。
成功条件。
――対象レインの死亡。
でも。
俺は。
死ななかった。
ミラも。
消えなかった。
つまり。
「MIRA計画は」
「ずっと」
「失敗してた?」
壁が。
反応する。
――否定。
「……え?」
続く。
――MIRA計画は失敗していない。
――予定外の結果を確認。
俺は。
息を呑む。
「予定外?」
――予定外の結果を、成功として再定義。
「……」
ミラが。
目を見開く。
「成功の意味を」
「途中で変えた?」
――肯定。
俺は。
背筋に。
冷たいものを感じた。
「誰が?」
壁に。
一文字。
表示された。
――製造者。
「レイン?」
俺は。
聞く。
だが。
壁は。
違う文字を出した。
――製造者:ミラ。
「……」
ミラが。
固まる。
「私……?」
その瞬間。
箱の中の少年が。
初めて。
ミラを見た。
『やっぱり』
「……何?」
『お前だったんだ』
ミラの顔が。
青ざめる。
「何が?」
『五十年前』
一拍。
『俺に』
『名前をくれたのは』
「……」
『お前だ』
地下室が。
静まり返る。
そして。
壁に。
新しい記録が浮かんだ。
――M-02。
――初回命名者:ミラ。
――命名時刻:五十年前。
俺は。
ミラを見る。
「……」
ミラは。
震える手で。
自分の胸元を押さえていた。
「レイン」
「何だ?」
「私」
一拍。
「五十年前」
「何て名前を」
「つけたの?」
その問いに。
壁が。
ゆっくり。
一文字ずつ。
答え始めた。
――名前:
――未登録。
――ただし、呼称記録あり。
そして。
最後の一行。
――呼称:――――。
文字が。
途中で。
消えた。
まるで。
誰かが。
意図的に。
消したように。
俺は。
その空白を見つめる。
そして。
箱の中の少年が。
小さく。
呟いた。
『その名前』
『俺は』
『今でも』
『覚えてる』
――製造進行率:93%。
自由領域。
17%。
そして。
五十年前にミラが呼んだ。
「本当の名前」が。
俺たちの前に。
まだ。
隠されている。




