第87話 MIRA
――製造進行率:90%。
箱の中には。
何もない。
それなのに。
声だけが。
確かに。
存在していた。
『四人で』
『名前を選ぼう』
「……四人?」
ミラが。
小さく呟く。
「誰と?」
『レイン』
『ミラ』
『アルド』
『そして』
一拍。
『私』
俺は。
眉をひそめる。
「お前」
「ミラじゃないのか?」
『違う』
「じゃあ」
『まだ』
一拍。
『名前がない』
「……」
俺は。
箱を見る。
「M-00」
「M-01」
「M-02」
「この三つは何だ?」
返事は。
ない。
代わりに。
壁に記録が浮かんだ。
――M-00:観測個体。
――M-01:保護個体。
――M-02:未完成。
「……」
01が。
じっと壁を見る。
「俺が」
「保護個体?」
「記憶と違う」
「やっぱり」
俺は。
01を見る。
「お前はM-01じゃないんだな」
「そう言った」
「じゃあ」
「本物のM-01はどこにいる?」
01は。
答えなかった。
その代わり。
ミラが。
扉の中から言った。
「私」
「M-00は」
「知ってる」
「……」
「M-01は」
一拍。
「知らない」
「M-02は?」
「もっと知らない」
「なるほど」
俺は。
頷く。
「つまり」
「何も分からない」
「そう」
「堂々と言うな」
「だって本当だもん」
こんな状況でも。
ミラは。
いつもの調子だった。
少しだけ。
安心する。
だが。
次の瞬間。
壁の文字が。
変わった。
――M-00:人格形成完了。
――M-01:人格形成失敗。
――M-02:人格形成開始。
「……」
01が。
目を見開く。
「違う」
「何が?」
「M-01は」
「失敗していない」
「じゃあ?」
「俺が」
01が。
自分の胸を見る。
「生きている」
「……」
「それが」
「失敗なのか?」
壁が。
すぐに反応した。
――肯定。
01の表情が。
変わる。
「……」
「M-01は」
「生きてはいけなかった?」
――否定。
「じゃあ」
「何が失敗なんだ?」
壁は。
答えなかった。
代わりに。
別の記録が。
表示される。
――M-01:対象レインを保護。
――保護方法:未定義。
――結果:対象レイン生存。
――M-01:役割達成。
「……」
01が。
壁を見る。
「だったら」
「成功じゃないか」
――否定。
「なぜ?」
今度は。
文字が。
ゆっくり。
現れた。
――対象レインが、自身の役割を拒否したため。
「……俺が?」
「何を拒否したんだ?」
答えは。
短かった。
――保護されること。
「……」
俺は。
黙った。
ミラが。
ぽつりと言う。
「レインらしいね」
「何が?」
「誰かに守られるより」
「自分で決める方を選ぶ」
「……」
俺は。
少しだけ。
笑った。
「そうかもな」
その瞬間。
箱の中から。
声がした。
『だから』
『M-01は』
『必要なくなった』
01が。
振り返る。
「……お前」
『うん』
「お前は誰だ?」
『まだ』
「またそれか」
『名前がないから』
「名前がなくても」
「存在してるだろ」
『……』
「さっき」
「名前から生まれたって言ったじゃないか」
『そう』
「なら」
「名前がなくても」
「お前はいる」
『……』
長い沈黙。
そして。
初めて。
声が。
少しだけ。
嬉しそうになった。
『それ』
『初めて言われた』
「そうか」
『今まで』
『みんな』
『名前をつけてから』
『存在を認めようとした』
「……」
『でも』
『お前は』
『逆なんだね』
「何が?」
『存在してるから』
『名前をつける』
俺は。
少し考える。
「当たり前だろ」
ミラが。
笑った。
「レイン」
「何だ」
「それ」
「私が最初に言ったのと似てる」
「……そうか?」
「うん」
「私はミラ」
「それでいいじゃん」
俺は。
思い出す。
確かに。
あの時。
ミラは。
08という番号を拒否した。
番号を失っても。
名前だけは。
残した。
つまり。
ミラは。
最初から。
この仕組みに。
抗っていたのかもしれない。
その時。
壁に。
新しい文字が浮かぶ。
――M-00:番号を拒否。
――M-01:役割を拒否。
――M-02:人格を拒否。
「……」
俺は。
その三行を見る。
「拒否したものが」
「それぞれ違う?」
01が。
頷く。
「M-00は」
「番号を拒否した」
「俺は」
「役割を拒否した」
「M-02は」
「人格を?」
壁が。
反応する。
――正確。
「人格を拒否したら」
「何になる?」
――未定義。
「……」
ミラが。
少し困った顔をする。
「それって」
「私と似てない?」
「何が?」
「私も」
「最初は人格がなかった」
「……」
「でも」
「後から」
「私になった」
壁に。
また文字。
――M-00:人格形成。
――M-01:人格形成。
――M-02:人格未形成。
ミラが。
その文字を見つめる。
「じゃあ」
「M-02は」
「私?」
誰も。
答えない。
01も。
俺も。
箱の中の声も。
答えられない。
そして。
沈黙を破ったのは。
壁だった。
――同一性:判定不能。
「……」
ミラが。
少しだけ。
寂しそうに笑う。
「また」
「分からない、か」
「ミラ」
「大丈夫」
「うん」
「分からないなら」
一拍。
「今の私は」
「私だから」
「……」
その言葉に。
俺は。
頷いた。
「それでいい」
その瞬間。
箱の中で。
何かが。
初めて。
形を持った。
指。
細い腕。
肩。
そして。
顔。
まだ。
輪郭しかない。
だが。
俺は。
その顔を見て。
凍りついた。
「……」
ミラも。
息を呑む。
01が。
後ろへ下がる。
「嘘だろ」
その顔は。
俺だった。
いや。
正確には。
五十年前の。
俺。
旧レインと。
同じ顔だった。
「……お前」
箱の中の存在が。
ゆっくり。
目を開ける。
『やっと』
その声。
今度は。
聞き覚えがあった。
『見つけた』
「何を?」
『俺の』
一拍。
『本当の名前』
壁が。
一斉に。
赤く染まる。
――M-02:人格形成開始。
――基礎人格:旧レイン。
俺は。
思わず。
一歩下がった。
「……旧レイン?」
すると。
箱の中の少年が。
首を振る。
『違う』
「……何?」
『俺は』
少年が。
笑う。
『お前が』
『五十年前に』
『捨てた名前だ』
そして。
壁に。
たった一つ。
新しい名前が表示された。
――M-02:名称――未登録。
その下に。
小さく。
こう書かれていた。
――命名者:現在のレイン。
俺は。
息を呑む。
また。
俺が。
名前をつけることになる。
だが。
今度だけは。
少し違った。
少年が。
俺を見る。
『レイン』
「……」
『俺の名前を』
一拍。
『俺と一緒に』
『決めてくれ』
――製造進行率:91%。
自由領域。
16%。
そして。
俺たちの前に。
新しい「選択肢」が。
一つ。
生まれた。




