第86話 四つ目
――製造進行率:88%。
地下の奥。
さっきまで何もなかった壁に。
一本の亀裂が入った。
「……開くぞ」
01が言った。
「何が?」
「扉だ」
亀裂が。
ゆっくり広がっていく。
俺は。
無意識に。
ミラの前へ出た。
「レイン」
「何だ」
「守るなら」
「自分も守ってね」
「……努力する」
「努力じゃなくて」
「約束」
「分かった」
ミラが。
少し笑った。
「よし」
その直後。
扉が開いた。
中には。
巨大な装置があった。
円形の台座。
その中央に。
透明な箱。
そして。
箱の中には――
「……何もない?」
俺が言う。
01が。
首を振る。
「違う」
「見えないだけだ」
「何が?」
「第八人目」
俺は。
目を凝らした。
確かに。
何かがいる。
人の形。
だが。
輪郭だけ。
顔も。
身体も。
何もない。
まるで。
「存在する前の人間」だった。
その存在が。
俺を見る。
『レイン』
「……お前か」
『そう』
「四つにするって」
『うん』
「何を?」
少し。
沈黙。
『名前』
「名前を四つ?」
『違う』
声が。
少し笑った。
『一つの名前を』
『四つの意味にする』
「……」
俺には。
よく分からない。
「もっと簡単に言ってくれ」
『無理』
「即答かよ」
ミラが。
吹き出した。
「そこは説明してよ!」
『説明すると』
一拍。
『お前たちが先に決めるから』
「……」
確かに。
それは。
少し分かる。
名前を聞いた瞬間。
俺たちは。
勝手に意味を決めてしまう。
アルド。
レイン。
ミラ。
それぞれ。
名前に。
過去を重ねてきた。
でも。
目の前の存在は。
その逆をしようとしている。
「四つの意味って」
「何?」
ミラが聞く。
『生まれた名前』
『受け取った名前』
『返した名前』
『選んだ名前』
「……」
俺は。
その言葉を。
頭の中で繰り返した。
生まれた。
受け取った。
返した。
選んだ。
それぞれ。
俺たちに当てはまる。
「レインは?」
『選んだ名前』
俺は。
少しだけ。
眉をひそめた。
「俺が選んだ記憶なんて」
『ある』
「どこに?」
『まだ』
「……」
ミラが。
笑う。
「それ、便利な言葉だね」
『何が?』
「まだ、って言えば」
「何でも隠せる」
『……』
「図星?」
『違う』
「じゃあ何?」
『怖い』
「え?」
声が。
初めて。
揺れた。
『私も』
『まだ』
『知らない』
「……」
俺は。
少し。
驚いた。
第八人目。
今まで。
何でも知っているように話していた。
だが。
こいつも。
分からないことがある。
「何が怖い?」
『名前を』
『選ぶこと』
「どうして?」
『選んだ瞬間』
『選ばなかったものが』
『消えるから』
「……」
その言葉に。
俺は。
反応した。
ずっと。
聞いてきた言葉だった。
名前を選ぶ。
人格を選ぶ。
選ばれなかったものは。
消える。
だから。
俺は。
ずっと。
それを拒否してきた。
「なら」
俺は。
言う。
「選ばなければいい」
『それでは』
『何も生まれない』
「じゃあ」
一拍。
「全部残せばいい」
『……』
「名前も」
「記憶も」
「人格も」
「全部」
第三心臓が。
――ドクン。
鳴った。
装置が。
反応する。
――自由領域:16%。
――共存条件:再計算。
そして。
新しい文字。
――第四条件を確認。
「第四条件?」
01が。
目を細める。
「まだ条件があるのか」
壁に。
文字が浮かぶ。
――七人目は、選択しない。
――七人目は、選択肢を増やす。
――八人目は、選択肢を製造する。
俺は。
そこで。
ようやく気づいた。
「……そういうことか」
ミラが。
俺を見る。
「何?」
「第八人目は」
「誰かを作るんじゃない」
「選択肢そのものを」
「作る」
「……」
ミラが。
少し考える。
「じゃあ」
「この装置は」
「人間を作ってるんじゃない?」
「たぶん」
01が。
静かに答える。
「役割を作っている」
俺は。
透明な箱を見る。
中には。
誰もいない。
なのに。
そこに。
確かに。
何かがいる。
「じゃあ」
「第八人目は」
「誰なんだ?」
装置が。
突然。
答えを表示した。
――第八人目:製造者。
――人格:未定。
――身体:不要。
――役割:選択肢を作る。
そして。
最後に。
赤い文字。
――製造者が完成すると、製造者は不要になる。
「……」
俺は。
その一文を。
何度も読む。
「自分を作ったら」
「自分がいらなくなる?」
ミラが。
小さく呟く。
「変なの」
「何が?」
「誰かを作る人って」
「最後には必要なくなるんだ」
「……」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の胸が。
強く鳴った。
――ドクン。
そして。
俺の頭の中に。
知らない映像が流れ込んだ。
五十年前。
雪。
古い研究室。
俺。
アルド。
そして。
もう一人。
白い服の人物。
その人物が。
俺に言っている。
『レイン』
『一つだけ』
『作ってほしい』
俺が。
聞く。
『何を?』
白い人物は。
答えた。
『俺を』
映像が。
そこで。
途切れた。
「……!」
俺は。
頭を押さえる。
「レイン!」
ミラが。
すぐに駆け寄る。
「大丈夫?」
「ああ……」
「何を見たの?」
「五十年前の」
「研究室」
「誰かが」
「俺に」
一拍。
「自分を作ってくれって」
01が。
険しい顔になる。
「誰だ?」
「分からない」
「顔は?」
「見えなかった」
「名前は?」
「……」
答えようとした瞬間。
俺の口が。
勝手に動いた。
「――ミラ」
「……え?」
ミラが。
固まる。
「今」
「俺」
「何て言った?」
俺は。
自分の口を押さえる。
「……ミラ」
第三心臓が。
激しく鳴る。
――ドクン。
――ドクン。
装置が。
一気に起動した。
――製造進行率:89%。
――製造対象:確定。
――対象名:ミラ。
「……」
ミラの顔から。
笑顔が消える。
「私?」
俺は。
首を振る。
「違う」
「たぶん」
「今のは」
「今のミラじゃない」
すると。
壁に。
新しい文字。
――対象名:ミラ。
――所有者:不明。
――製造時点:五十年前。
そして。
最後に。
今まで。
一度も見たことのない文字が。
表示された。
――現在のミラとの同一性:確認中。
ミラが。
静かに。
自分の名前を。
呟く。
「……私」
「五十年前から」
「いたの?」
俺は。
答えられなかった。
その時。
透明な箱の中で。
何もなかったはずの空間に。
一つだけ。
文字が浮かんだ。
――M-00。
そして。
その下に。
新しい名前。
――M-01。
さらに。
もう一つ。
――M-02。
俺は。
息を呑む。
「……三つ?」
ミラが。
小さく呟いた。
「私」
「一人じゃない……?」
装置が。
最後の文字を表示する。
――MIRA計画:第一段階を再開します。
自由領域。
16%。
製造進行率。
89%。
そして。
箱の中で。
まだ姿のない何かが。
初めて。
笑った。
『今度は』
『三人じゃない』
『四人で』
『名前を選ぼう』
――製造進行率:90%。




