第80話 二十八年前
――返却者:ミラ。
その文字を。
俺は。
何度も見直した。
「……ミラ?」
「うん」
ミラも。
壁を見ている。
「私だね」
「でも」
「うん」
「二十八年前には」
「存在していない」
「うん」
妙な会話だった。
「……どういうこと?」
ミラが。
困ったように笑う。
「それ」
「私が聞きたい」
01が。
壁に近づく。
「記録を確認する」
手を伸ばす。
――アクセス拒否。
「……」
01が。
眉をひそめる。
「俺にも見られない」
「珍しいな」
「これは」
一拍。
「番号の記録ではない」
「じゃあ何の記録だ?」
「名前の記録だ」
ミラが。
自分の胸を指差す。
「名前?」
「そうだ」
「私の名前が?」
「いや」
01が。
首を振る。
「お前に返された名前だ」
「……」
俺は。
嫌な予感がした。
「つまり」
「ミラという名前そのものが」
「二十八年前に」
「一度」
一拍。
「誰かに返された?」
01は。
答えなかった。
代わりに。
壁に新しい文字が浮かぶ。
――返却記録:一件。
――受領者:レイン。
――返却者:ミラ。
――返却時点:二十八年前。
――返却理由:人格形成開始。
「人格形成……」
俺は。
その言葉を呟く。
すると。
胸の奥から。
声がした。
『そう』
「お前か」
『うん』
「知ってるのか?」
『全部じゃない』
「何を知ってる?」
『名前が返されたこと』
「誰から?」
『ミラ』
「……」
『でも』
『その時のミラは』
一拍。
『今のミラじゃない』
ミラが。
顔をしかめる。
「どういう意味?」
少年は。
答えない。
「おい」
俺が。
胸に手を当てる。
「説明しろ」
『昔のミラは』
『名前だった』
「……名前?」
『人じゃない』
ミラが。
黙った。
俺も。
言葉が出なかった。
「じゃあ」
ミラが。
ゆっくり口を開く。
「私って」
「名前だけだったの?」
『たぶん』
「たぶんって……」
『僕も』
『全部は覚えてない』
ミラは。
しばらく俯いた。
そして。
「……そっか」
意外にも。
怒らなかった。
「じゃあ」
「私は」
「その名前から始まったのかな」
俺は。
彼女を見る。
「分からない」
「そっか」
ミラが。
笑う。
「じゃあ」
「これから調べればいいね」
「怖くないのか?」
「怖いよ」
「……」
「でも」
ミラが。
俺を見る。
「今の私は」
一拍。
「ちゃんとここにいるから」
その言葉に。
第三心臓が。
――ドクン。
鳴った。
自由領域。
9%。
そして。
10%。
「また増えた」
ミラが。
驚く。
壁の表示が。
変化する。
――自由領域:10%。
――条件:自己存在の確認。
「自己存在の確認?」
俺が読む。
「番号じゃなくても」
「名前だけでもなくても」
「自分で自分を認める」
「それが条件なのか」
01が。
頷く。
「そうらしい」
「じゃあ」
俺は。
ミラを見る。
「お前が」
「自分をミラだと思う限り」
「番号には戻らない」
「うん」
ミラが。
笑った。
「私はミラ」
――認証。
「私はミラ」
――認証。
「私は」
一瞬。
ミラが止まる。
「……ミラ」
――自由存在:確認。
その瞬間。
壁の「08」が。
完全に消えた。
代わりに。
別の文字が浮かぶ。
――名称:ミラ。
――番号:なし。
――製造者:不明。
――製造開始:不明。
――初回存在:二十八年前より前。
「……」
俺は。
息を呑む。
「二十八年前より前?」
ミラが。
目を見開く。
「じゃあ」
「私は」
その先を。
言えない。
01が。
静かに言った。
「二十八年前に生まれた存在ではない」
「じゃあ?」
「二十八年前に」
一拍。
「現在のミラになった。」
「……」
ミラが。
自分の手を見る。
「じゃあ」
「昔の私は」
「誰?」
誰も。
答えられない。
その時。
奥の壁が。
突然開いた。
――ゴゴゴゴゴ。
「またか」
俺は。
警戒する。
開いた先には。
一枚の古い扉。
扉には。
番号がない。
名前もない。
ただ。
一文だけ。
刻まれている。
――名前を返した者のみ、入室可能。
ミラが。
扉を見る。
「……私?」
「たぶんな」
「でも」
「入るの?」
俺は。
扉を見る。
「俺も行く」
「レインは入れないんじゃない?」
「その時は」
「その時?」
「外で待つ」
ミラが。
少し笑った。
「それ」
「なんか嫌だな」
「何が?」
「レインだけ外って」
「じゃあ」
「一緒に入る」
「入れるかな」
「試す」
二人で。
扉の前に立つ。
ミラが。
取っ手に手をかける。
――認証中。
――名称確認。
――ミラ。
扉が。
開く。
俺も。
続いて入ろうとする。
その瞬間。
――認証中。
――名称確認。
――レイン。
――拒否。
「……」
「レイン」
「大丈夫」
「でも」
「待ってろ」
俺は。
扉の前に立った。
すると。
扉の奥から。
声がした。
『レイン』
「何だ?」
『お前は』
一拍。
『まだ入ってはいけない』
「なぜ?」
『この部屋は』
『名前を返した者の部屋だから』
「……」
『お前は』
『名前を返された者だ』
俺は。
息を呑む。
つまり。
この部屋は。
ミラだけのために。
開いた。
「ミラ」
「うん」
「行ってこい」
「一人で?」
「ああ」
「……」
ミラが。
少し不安そうな顔をする。
「絶対戻ってきてよ」
「俺はここにいる」
「約束?」
「約束だ」
ミラが。
頷く。
「じゃあ」
一歩。
部屋の中へ。
入っていく。
扉が。
ゆっくり閉まる。
「……」
俺は。
外で待つ。
すると。
胸の奥から。
少年の声が。
聞こえた。
『レイン』
「何だ?」
『あの部屋には』
『ミラの最初の名前がある』
「……!」
『でも』
「でも?」
『それを知ったら』
一拍。
『今のミラが』
『ミラじゃなくなるかもしれない』
俺は。
閉じた扉を見る。
「……それでも」
『うん』
「ミラが決める」
『……』
「誰として生きるかは」
「本人が決める」
第三心臓が。
静かに。
鳴った。
――ドクン。
そして。
扉の向こうから。
ミラの声が聞こえた。
「……レイン」
「どうした?」
返事が。
震えている。
「ここに」
一拍。
「私の名前が二つある」
俺は。
扉を見る。
「二つ?」
「うん」
「一つは」
ミラが。
小さく呟く。
「ミラ」
そして。
もう一つ。
「もう一つは――」
そこで。
声が途切れた。
扉の向こうから。
何かが。
落ちる音。
カラン。
カラン。
カラン。
そして。
ミラが。
初めて。
怯えた声を出した。
「レイン」
「何だ!」
「私」
「……」
「二十八年前に、私自身を作ってる。」
俺は。
扉に手をかけた。
だが。
開かない。
――現在のレイン:入室禁止。
その下に。
新しい文字。
――製造者:ミラ。
そして。
そのさらに下。
――被製造者:ミラ。
俺は。
言葉を失った。
五十年前。
俺は。
レインの人生を作った。
二十八年前。
ミラも。
ミラの人生を作った。
なら。
これは偶然なのか。
それとも。
俺たちは最初から。
同じ仕組みの中にいたのか。
そして。
扉の向こうで。
ミラが。
小さく言った。
「……レイン」
「何だ?」
「私の最初の名前」
一拍。
「『ミラ』じゃない。」
自由領域が。
**11%**になった。




