第79話 名前を作る
――自由領域:7%。
光は。
まだ弱い。
地下の中央で。
ただ静かに。
揺れている。
「一緒に決めよう」
俺は。
胸の奥にいる何かへ。
もう一度言った。
「名前」
返事はない。
「……?」
ミラが。
俺の顔を見る。
「寝た?」
「寝てない」
「じゃあ」
「考えてるんじゃない?」
「名前を?」
「うん」
ミラが。
少し笑う。
「じゃあ待ってあげれば?」
「そうだな」
俺も。
黙った。
名前というのは。
案外。
すぐには決まらない。
自分の名前だって。
俺が自分で決めたわけじゃない。
いつの間にか。
そこにあった。
だから。
自分で選ぶというのが。
どんなものなのか。
俺には。
まだ分からなかった。
その時。
01が。
壁を見ながら言った。
「一つ」
「何だ?」
「重要なことを忘れている」
「?」
「名前は」
一拍。
「自由だけではない」
「どういう意味だ?」
「名前を持つということは」
「記録されるということだ」
俺は。
壁を見る。
「……記録?」
「番号は」
「役割を記録する」
「名前は」
「存在を記録する」
「だから」
01が。
中央の空白を見る。
「この施設は」
「名前を嫌う」
「なぜ?」
「名前を持った存在は」
一拍。
「役割から外れるからだ」
ミラが。
腕を組む。
「じゃあ」
「私がミラって名乗ったから?」
「そうだ」
「番号が消えたのも?」
「そうだ」
ミラが。
自分を指差す。
「じゃあ私」
「結構すごいことしてたんだ」
「本人が一番軽いな」
「だって」
「私は私だし」
その言葉に。
胸の奥が。
小さく鳴った。
――ドクン。
少年の声が。
聞こえる。
『……羨ましい』
「何が?」
『自分の名前を』
『当たり前みたいに言えること』
俺は。
少し考える。
「なら」
「お前も」
「そうなればいい」
『……』
「急がなくていい」
少年は。
しばらく黙っていた。
そして。
『一つ』
「ん?」
『質問していい?』
「ああ」
『レインは』
『どうして』
『自分の名前を選ばなかったの?』
「……」
俺は。
答えられなかった。
五十年前。
俺は。
自分の名前を分けた。
捨てた。
あるいは。
誰かに渡した。
でも。
なぜ。
そこまでしたのか。
肝心なところだけが。
まだ。
抜け落ちている。
「分からない」
正直に答える。
『そっか』
「ただ」
一拍。
「今は」
「レインでいいと思ってる」
『どうして?』
「ミラが呼ぶから」
ミラが。
目を丸くした。
「……私?」
「ああ」
「私が?」
「何か問題あるか?」
「ないけど」
ミラが。
少しだけ。
顔を赤くする。
「……そっか」
その瞬間。
自由領域が。
**8%**へ進んだ。
01が。
驚いた。
「今のは」
「名前を選んだわけではない」
「なのに」
「存在が」
一つ。
確定した。
俺は。
中央を見る。
空白だった場所に。
小さな文字が浮かんでいる。
――名前:レイン。
ミラが。
驚く。
「レインが?」
「違う」
「じゃあ?」
「俺じゃない」
その文字の下に。
もう一行。
――所有者:未確定。
「……」
俺は。
息を呑んだ。
「俺の名前を」
「俺じゃない誰かが」
「持ってる?」
01が。
低い声で言う。
「違う」
「何が?」
「お前の名前を」
「誰かが持っているんじゃない」
一拍。
「お前が、誰かに渡したんだ。」
「……」
頭の中で。
何かが。
繋がりかけた。
五十年前。
名前を分けた。
俺は。
誰かに。
レインという名前を渡した。
でも。
その相手が。
誰なのか。
思い出せない。
すると。
壁の記録が。
突然。
書き換わった。
――名前分離計画:再生。
映像が。
浮かぶ。
五十年前。
雪の中。
若い俺がいる。
その隣に。
アルド。
-1番。
そして。
もう一人。
顔が。
見えない。
若い俺が。
言っている。
『この名前を』
『俺から切り離してくれ』
-1番が。
答える。
『それをすれば』
『お前は』
『レインではなくなる』
『分かってる』
『それでも?』
『それでもいい』
若い俺が。
誰かを見る。
その人物の顔は。
最後まで。
見えない。
『こいつに』
『レインを渡す』
俺は。
息を呑む。
映像の中の人物が。
ゆっくり。
顔を上げる。
その顔は――。
「……」
映像が。
そこで。
途切れた。
「何で止まるんだ!」
俺が。
壁を叩く。
――閲覧権限不足。
「俺の記録だろ!」
――現在のレインには閲覧権限がありません。
「ふざけるな」
ミラが。
俺の肩を掴む。
「レイン」
「……」
「落ち着いて」
「でも」
「分かってる」
ミラが。
壁を見る。
「見たいよね」
「ああ」
「なら」
「また別の方法を探そう」
その時。
胸の奥から。
声がした。
『僕』
「……」
『知ってる』
俺は。
ゆっくり顔を上げる。
「何を?」
『レインという名前を』
「誰から聞いた?」
『違う』
『僕は』
一拍。
『その名前を』
『もらった』
「……!」
俺の背中に。
冷たいものが走った。
「お前が?」
『うん』
「五十年前に?」
『うん』
「じゃあ」
俺は。
声を絞り出す。
「お前が」
「今の俺の名前を持ってるのか?」
『違う』
少年の声が。
少し震える。
『僕が持ってた』
『でも』
「でも?」
『返した』
「誰に?」
長い沈黙。
そして。
『……お前に』
「……」
俺は。
何も言えなかった。
『だから』
『僕には』
『今』
『名前がない』
自由領域が。
**9%**へ進む。
だが。
同時に。
別の表示が。
浮かび上がった。
――警告。
――名前返却履歴を確認。
――返却先:現在のレイン。
そして。
その下に。
赤い文字。
――返却時刻:二十八年前。
「……二十八年前?」
俺は。
壁を見つめる。
俺が。
今の人生を始めた。
その日。
名前を。
返した?
ミラが。
静かに呟く。
「じゃあ」
「二十八年前に」
「レインって名前を返したのは」
一拍。
「誰?」
壁が。
ゆっくり。
文字を表示する。
――返却者:ミラ。
「……え?」
ミラが。
固まる。
俺も。
言葉を失った。
そして。
最後の一行が。
表示された。
――ただし、当時のミラは存在していない。
地下が。
完全に。
静まり返った。




